「MEGAMI」は「グッバイガール」というアルバムに所収されています。このアルバムのラストが「吹雪」という歌。僕にはよく分からないところがあります。
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恐ろしいものの形を ノートに描いてみなさい
そこに描けないものが 君たちを殺すだろう
たとえばこのフレーズなら理解できます。第二部公理五は,僕たちが認識するのは延長の様態か思惟の様態だといっています。描けるものは形のあるもの。つまり延長の様態です。僕たちを殺すのは,僕たちが本当に恐れるべきは,物体ではなく思惟の様態なのです。物質的な武器ではなくて人間の精神なのです。
降り積もる白いものは 羽の形をしている
数えきれない数の 羽の形をしている
あまりにも多過ぎて やがて気にならなくなる
こうなると分からなくなります。いや,何を暗示しようとしているのかは分かります。数えきれなくて気にならなくなるほどの羽の形をした白いものとは,直接的には何でしょう。タイトルから類推すれば雪の筈です。でもこの雪はどうして羽の形をしていなければならないのでしょうか。
疑うブームが過ぎて 楯突くブームが過ぎて
静かになる日が来たら 予定どおりに雪が降る
ここは僕が気に入っているフレーズ。予定通り,といわれれば僕は決まって雪が降ると結語したくなります。また,雪が降るといわれれば,予定通りにという枕詞をつけたくなります。それくらいこのふたつのことばの表象像は,僕の精神のうちで直結しています。
いつの日か,予定通りに雪は降るでしょう。ことによると,気にはなっていないだけで,もう降っているのかもしれません。
前提の条件は,僕が論理的に帰結させた結論です。いかに論理的な帰結とはいえ,推論の域を出ていないのは事実です。このまま複合の無限連鎖について考えていくことには危険が伴います。そこでまず,任意に抽出されたどんな個物res singularisも,他の個物と協同してより複雑な個物を構成すると,本当にスピノザが考えていたのかどうかを確認しておくことにします。
スピノザはこのことを直接的に明言していません。これは僕の推論が正しいということが確実であるとはいえないという意味です。しかし同時にこれは,僕の推論に誤りがあるということも確実であるとはいえないという意味でもあります。ですから何らかのテクストを根拠に据えて,まずこの点を確定させる必要があります。
僕が注目するのは,岩波文庫版115ページから116ページの,第二部自然学②補助定理七備考です。この部分は,任意に抽出されるどんな物体corpusも,他の物体と協同して,より複雑な物体を構成するということを前提におかない限り,成立しないように僕には思えます。いい換えればこの前提なしには成立しないことをスピノザは主張しているように思われます。
物体は第二部定義一により,延長の属性Extensionis attributumの個物res particularisです。しかしある単一の物体を任意に抽出する限り,それがres singularisであることに異論はないものと思います。個物の定義である第二部定義七に示される条件に,物体は合致するからです。
つまり,少なくとも延長の属性に限定するなら,どんな個物も他の個物と協同して複合個体を構成するということを,スピノザは認めていたと考えられます。あるいはこのことをスピノザは否定することができないと考えられます。ですから残るのは,これと同じことが,延長以外の属性においても成立するといえるのかどうかという点です。
第二部定理七は,多く見積もっても,観念ideaと観念対象ideatumの間でのみ成立します。ですからこの平行論に訴求することは,ここで導き出したい事柄の根拠にはなり得ません。平行論はどこまで推進することができるのでしょうか。
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恐ろしいものの形を ノートに描いてみなさい
そこに描けないものが 君たちを殺すだろう
たとえばこのフレーズなら理解できます。第二部公理五は,僕たちが認識するのは延長の様態か思惟の様態だといっています。描けるものは形のあるもの。つまり延長の様態です。僕たちを殺すのは,僕たちが本当に恐れるべきは,物体ではなく思惟の様態なのです。物質的な武器ではなくて人間の精神なのです。
降り積もる白いものは 羽の形をしている
数えきれない数の 羽の形をしている
あまりにも多過ぎて やがて気にならなくなる
こうなると分からなくなります。いや,何を暗示しようとしているのかは分かります。数えきれなくて気にならなくなるほどの羽の形をした白いものとは,直接的には何でしょう。タイトルから類推すれば雪の筈です。でもこの雪はどうして羽の形をしていなければならないのでしょうか。
疑うブームが過ぎて 楯突くブームが過ぎて
静かになる日が来たら 予定どおりに雪が降る
ここは僕が気に入っているフレーズ。予定通り,といわれれば僕は決まって雪が降ると結語したくなります。また,雪が降るといわれれば,予定通りにという枕詞をつけたくなります。それくらいこのふたつのことばの表象像は,僕の精神のうちで直結しています。
いつの日か,予定通りに雪は降るでしょう。ことによると,気にはなっていないだけで,もう降っているのかもしれません。
前提の条件は,僕が論理的に帰結させた結論です。いかに論理的な帰結とはいえ,推論の域を出ていないのは事実です。このまま複合の無限連鎖について考えていくことには危険が伴います。そこでまず,任意に抽出されたどんな個物res singularisも,他の個物と協同してより複雑な個物を構成すると,本当にスピノザが考えていたのかどうかを確認しておくことにします。
スピノザはこのことを直接的に明言していません。これは僕の推論が正しいということが確実であるとはいえないという意味です。しかし同時にこれは,僕の推論に誤りがあるということも確実であるとはいえないという意味でもあります。ですから何らかのテクストを根拠に据えて,まずこの点を確定させる必要があります。
僕が注目するのは,岩波文庫版115ページから116ページの,第二部自然学②補助定理七備考です。この部分は,任意に抽出されるどんな物体corpusも,他の物体と協同して,より複雑な物体を構成するということを前提におかない限り,成立しないように僕には思えます。いい換えればこの前提なしには成立しないことをスピノザは主張しているように思われます。
物体は第二部定義一により,延長の属性Extensionis attributumの個物res particularisです。しかしある単一の物体を任意に抽出する限り,それがres singularisであることに異論はないものと思います。個物の定義である第二部定義七に示される条件に,物体は合致するからです。
つまり,少なくとも延長の属性に限定するなら,どんな個物も他の個物と協同して複合個体を構成するということを,スピノザは認めていたと考えられます。あるいはこのことをスピノザは否定することができないと考えられます。ですから残るのは,これと同じことが,延長以外の属性においても成立するといえるのかどうかという点です。
第二部定理七は,多く見積もっても,観念ideaと観念対象ideatumの間でのみ成立します。ですからこの平行論に訴求することは,ここで導き出したい事柄の根拠にはなり得ません。平行論はどこまで推進することができるのでしょうか。