スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&墓参

2014-09-12 19:03:54 | 将棋
 一昨日,昨日と鶴巻温泉で指された第55期王位戦七番勝負第六局。
 木村一基八段の先手で角換り相腰掛銀。定跡には含まれているものの,あまり見られない仕掛けを羽生善治王位が敢行して戦いが始まりました。
                         
 これがその仕掛け。▲同歩と取らせて△2四銀が一連の手順。そこで▲3四歩と突き出して逃げておくのも,たぶん最も多い受け方なのではないかと思います。対して△2七角と打っていますが,おそらくこの手に期待しての仕掛けであったのではないかと推測します。
 そのまま△3六角成は許せないので受けるほかありませんが,▲4七銀と引きました。△3五銀は継続手といえるのではないでしょうか。先手は▲2八飛と回り,△4九角成を許して▲5八金と寄りました。
 仕掛けは,事前に先手が▲6八金寄としていたために生じた面があり,明らかな手損で指しにくそうなのですが,これでやれるという判断はなかなかのものだったのではないでしょうか。黙して▲2九飛とされれば終了ですから△3九馬はほぼこの一手。▲2七飛と逃げた手に,△4三金左で歩を払いにいきました。
                         
 局面自体はまだ難しいのではないかと思います。仕掛けて悪くならなかったのであれば,仕掛けた価値はあったともいえるのでしょうが,自玉を崩しての攻めなので,明確な戦果がないと,勝ちにくくなっているとも考えられます。後手がリスクに見合った代償を入手したといえるのかどうかが,この局面の課題だといえそうです。
 第2図は封じ手の局面で,実際の勝敗の帰趨はこの後にありました。ただ少しばかり強引なところがあって,それがこれ以降の後手を苦しめた部分があった,そしてそれが勝敗にも影響した可能性はあったように思います。
 木村八段の勝利で2勝3敗1持将棋。第七局は24日と25日です。

 この後,清算に時間を要しました。とはいえ午後2時前には病院を出発。乗ったバスが渋滞に巻き込まれ,薬局でインスリンと注射針を受け取って帰宅できたのは午後3時過ぎ。それでも早かったので,この後さらに長者町へ出ています。
 翌週,3月24日,月曜日。午前中に本牧に行き,午後はオフ。日野公園墓地に父の墓参りに行きました。彼岸だったからです。ひとりで行くのはこれが2度目。約3年前と同様,線香と空のペットボトルを持ってバスで汐見台に。そこからは徒歩。これは運動療法としてのウォーキングの一環です。途中で花を買い,無事に墓参りは終了。やはり前回と同様,来たのとは別の入口から出て,上大岡経由でバスを乗り継いで帰りました。なお,彼岸には塔婆を立てますが,このときの塔婆は母の手配で,お寺に預けてありました。帰国したら母も墓参りに行くつもりだったからです。ですからこのときは塔婆は持っていってはいません。
 4月1日,火曜日。この日に母と妹が帰国。家に着いたのは夜9時半過ぎでした。
 4月6日,日曜日。妹のピアノのレッスン。午後4時からの予定でしたが,10分ほど遅れての開始になりました。この程度の遅れはどうということはありませんが,先生からは直前に電話が入っています。
 4月11日,金曜日。この日に塔婆を持って母と墓参りに。帰国して10日ほど経過してしまったのは,まずお寺から塔婆を受け取らなければならなかったことがひとつですが,僕と母とで日程を合わせるなら,この日まで待たなければならなかったというのが最大のもの。帰りにファミリーレストランで外食。こういう場合に,果物を摂取できなくなるのです。この日も帰宅してから長者町に。
 4月13日,日曜日。母と妹は午後1時から美容院の予約を入れてありました。しかし当日の正午過ぎに先方から電話があり,発熱したので休みにするとのこと。なのでこの日は行くことができませんでした。
 4月15日,火曜日。午前中にО眼科に。この日はこの眼科にしては空いていました。視力検査はいつもはまず裸眼からですが,この日はなぜか矯正視力だけの検査でした。
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