11月29日に大阪で対局があった第4期女流王座戦五番勝負第三局。
西山朋佳奨励会二段の先手で角道オープン中飛車。後手の加藤桃子女王が角を交換した後,玉を深く囲おうとしたのがまずかったようで,中盤で先手がリードする展開に。結果からいえば先手は攻めて勝ちを目指すべきだったのですが,受けての勝ちを狙いにいきました。
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☗5三歩成から攻め合うのが有力であったようですが,☗8七角打と受けました。後手も飛車を逃げてはいられないでしょうから☖5八と☗7八角☖4八とまでは一本道でしょう。飛車を取るのも先手の狙いだったようで☗8一飛でしたが,ここでも☗5三歩成が有力だったとのこと。☖3九金と打って後手の勝ちになっているようです。☗4九銀☖同と☗5三歩成☖2九金☗同玉☖2六桂☗2八玉。これで勝ちというのが先手の読みだったようですが,☖6五銀と桂馬を取る手があり,これを見落としていたとのことでした。
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相手が☖同銀と取らない場面で☗5三歩成を指したことになり,この手を指すのがいかにも遅かったという一局でした。
加藤女王が三連勝で女流王座に。第1期,2期を連覇していて2期ぶり3期目の女流王座。タイトル通算は4期。
デカルトの哲学での神の実在の論証が,スピノザの哲学に立脚すればとても容易であるのは,実は当然のことなのです。だから僕はここにはあるからくりがあるといいました。それを説明しておきます。
デカルトはスピノザに先行していました。だからスピノザはデカルトの哲学を熟知していましたが,デカルトはスピノザを知らなかったのです。スピノザはデカルトの哲学の中に,神Deusの実在は神の本性essentiaのうちにあるという意味があることを見出しました。そこでそれをそのまま利用して,『エチカ』の冒頭,第一部定義一で,その存在が本性に含まれているものcujus essentia involvit existentiamを自己原因causam suiというと定義したのです。
第一部定義一は,『エチカ』の公理系においては自己原因の定義Definitioです。しかし時代的背景を考慮するなら,この定義のうちにすでに主張が含まれているといえるでしょう。すなわちそれは,第一に,デカルトは神の作出原因causa efficiensを実際には認めていて,それは神が自己原因であるということだとスピノザは解するという,デカルト哲学の解釈に関わる主張です。デカルト以後のデカルト主義者たちは,むしろこの解釈に否定的な者が多数であったと思われます。そして第二の主張は,スピノザが解したようなデカルトの主張を,スピノザ自身も肯定するというものです。要するに第一部定義一は,神は自己原因であるという意味で,神にも作出原因があるという主張であると解せるのです。スピノザは自身の哲学に対して,神の作出原因に関する水掛け論のような不毛な論争が生じることを,最初の時点で封じておきたかったのだと考えられます。
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松田克進に「〈自己原因〉論争の目撃者としてのスピノザ」という論文があります。これは『近代哲学史点描』という本の第五章に収録されています。その終盤で,第一部定義一に関して,概ね僕が述べたようなことが主張されています。そして前半では,思想史的な観点まで含めて,かなり詳細に論述されています。これは非常に参考になるものですし,デカルトやスピノザの時代において,どのような思想内容が反動的な観点から問題になったのかということまでよく理解できる内容になっています。一読をお勧めします。
西山朋佳奨励会二段の先手で角道オープン中飛車。後手の加藤桃子女王が角を交換した後,玉を深く囲おうとしたのがまずかったようで,中盤で先手がリードする展開に。結果からいえば先手は攻めて勝ちを目指すべきだったのですが,受けての勝ちを狙いにいきました。
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☗5三歩成から攻め合うのが有力であったようですが,☗8七角打と受けました。後手も飛車を逃げてはいられないでしょうから☖5八と☗7八角☖4八とまでは一本道でしょう。飛車を取るのも先手の狙いだったようで☗8一飛でしたが,ここでも☗5三歩成が有力だったとのこと。☖3九金と打って後手の勝ちになっているようです。☗4九銀☖同と☗5三歩成☖2九金☗同玉☖2六桂☗2八玉。これで勝ちというのが先手の読みだったようですが,☖6五銀と桂馬を取る手があり,これを見落としていたとのことでした。
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相手が☖同銀と取らない場面で☗5三歩成を指したことになり,この手を指すのがいかにも遅かったという一局でした。
加藤女王が三連勝で女流王座に。第1期,2期を連覇していて2期ぶり3期目の女流王座。タイトル通算は4期。
デカルトの哲学での神の実在の論証が,スピノザの哲学に立脚すればとても容易であるのは,実は当然のことなのです。だから僕はここにはあるからくりがあるといいました。それを説明しておきます。
デカルトはスピノザに先行していました。だからスピノザはデカルトの哲学を熟知していましたが,デカルトはスピノザを知らなかったのです。スピノザはデカルトの哲学の中に,神Deusの実在は神の本性essentiaのうちにあるという意味があることを見出しました。そこでそれをそのまま利用して,『エチカ』の冒頭,第一部定義一で,その存在が本性に含まれているものcujus essentia involvit existentiamを自己原因causam suiというと定義したのです。
第一部定義一は,『エチカ』の公理系においては自己原因の定義Definitioです。しかし時代的背景を考慮するなら,この定義のうちにすでに主張が含まれているといえるでしょう。すなわちそれは,第一に,デカルトは神の作出原因causa efficiensを実際には認めていて,それは神が自己原因であるということだとスピノザは解するという,デカルト哲学の解釈に関わる主張です。デカルト以後のデカルト主義者たちは,むしろこの解釈に否定的な者が多数であったと思われます。そして第二の主張は,スピノザが解したようなデカルトの主張を,スピノザ自身も肯定するというものです。要するに第一部定義一は,神は自己原因であるという意味で,神にも作出原因があるという主張であると解せるのです。スピノザは自身の哲学に対して,神の作出原因に関する水掛け論のような不毛な論争が生じることを,最初の時点で封じておきたかったのだと考えられます。
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松田克進に「〈自己原因〉論争の目撃者としてのスピノザ」という論文があります。これは『近代哲学史点描』という本の第五章に収録されています。その終盤で,第一部定義一に関して,概ね僕が述べたようなことが主張されています。そして前半では,思想史的な観点まで含めて,かなり詳細に論述されています。これは非常に参考になるものですし,デカルトやスピノザの時代において,どのような思想内容が反動的な観点から問題になったのかということまでよく理解できる内容になっています。一読をお勧めします。