17日の全日本2歳優駿を勝って大レース勝ち馬の仲間入りを果たしたディアドムスは祖母がノーザンドライバー。そのノーザンドライバーの祖母が1967年にアメリカで産まれたロードマップで,一族の輸入基礎繁殖牝馬となります。ロードマップからみて4代母がダイナゴンの4代母にもあたり,ほかにチップトップやクリアアンバーも属する4-mというファミリーナンバー。テイエムオペラオーなど,大レースの勝ち馬も多く出ていて,日本とは親和性が高いナンバーです。母系をかなり遡ってようやく同じ牝馬にいきつくので,その影響が大きいとはいい難いと思うのですか,いくつかのファミリーナンバーが特異に多くの活躍馬を出すのも事実で,4-mはそのひとつといえます。
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ロードマップはアメリカで3頭の仔を産んでからの輸入。日本では7頭の産駒が登録されましたが,直仔からの重賞勝ち馬はなし。1981年産のダイナドライブが母になってノーザンドライバーを産み,ここで重賞の勝ち馬が出ました。
実はこれまで,この一族の重賞勝ち馬はノーザンドライバーだけでした。その孫のディアドムスが北海道2歳優駿を勝ったのが2頭目。ノーザンドライバーは代表馬にはなっていますが,大レースを勝ったわけではありません。ディアドムスが一族から初の大レース勝ち馬になったのです。
ノーザンドライバーのライバルのうち,スカーレットブーケは繁殖牝馬として大成功。シスタートウショウからは重賞勝ち馬は出ていませんが,近親にとても多くの活躍馬がいる一族。またイソノルーブルは孫に重賞勝ち馬を出していました。スカーレットブーケは突出していますが,その他の馬の仲間入りはノーザンドライバーもできたといえるでしょう。
重賞勝ち馬は少ないですが,一族の枝葉は大きく広がっています。ロードマップを基点とする一族から別の重賞勝ち馬が輩出する可能性は残っていると思います。
第二部定義二を形而上学的に考えてみましょう。X,Y,Zとみっつの本性essentiaがあり,もしYがAの本性であるとしたら,Aの本性はYだけでなければなりません。しかしこのことは実体substantia以外のもの,それは第一部公理一の意味により様態modiですが,その場合にしか成立しません。第一部定理一〇備考は,仮に属性Yが実体Aの本性を構成するとしても,実体Aの本性を構成するのが属性Yだけであるとは限らないといっているからです。このゆえに実体の本性は,単に本性といわれるのでなく,属性attributumという特別な語句によって記述されるといえるかもしれません。属性は第一部定義四にあるように,実体の本性ですが,形而上学的に考えた場合には,それだけの相違が様態の本性と様態それ自体の関係との間にあるのです。
そして実体の本性が何であるかは,形而上学的観点からは不明であるとスピノザは考えたのです。知性intellectusには実体の属性の区別の方法が,形而上学的にはこれ以上は存在しないからです。そのためにスピノザはこの解答を実在的観点から与えたのです。
ただし,この形而上学は,本性に関した場合にのみ通用します。一般的な意味において,YがAにとって妥当するから,Yに妥当するのがAだけであるということではありません。また,XとYがAに妥当し,YとZがBに妥当するから,AとBとは同一のものであると知性が認識するというものではありません。本性という条件を外してしまえば,このようなことはいくらでも生じ得ます。いい換えれば,Aに妥当するのがXとYであり,Bに妥当するのがYとZであるというとき,だから知性は一般にAとBを区別することができないというわけではありません。むしろこの条件下で、AとBを区別し得る事例というのも,いくらでもあるのです。
たとえば,すべての角の大きさが同一の四角形というカテゴリーを形成します。長方形と正方形はこのカテゴリーに含まれます。ひし形は含まれません。次に,すべての辺の長さが同一の四角形というカテゴリーを形成します。正方形とひし形はこのカテゴリーに妥当しますが,長方形は妥当しません。しかしふたつのカテゴリーを,知性は十全に区別できます。
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ロードマップはアメリカで3頭の仔を産んでからの輸入。日本では7頭の産駒が登録されましたが,直仔からの重賞勝ち馬はなし。1981年産のダイナドライブが母になってノーザンドライバーを産み,ここで重賞の勝ち馬が出ました。
実はこれまで,この一族の重賞勝ち馬はノーザンドライバーだけでした。その孫のディアドムスが北海道2歳優駿を勝ったのが2頭目。ノーザンドライバーは代表馬にはなっていますが,大レースを勝ったわけではありません。ディアドムスが一族から初の大レース勝ち馬になったのです。
ノーザンドライバーのライバルのうち,スカーレットブーケは繁殖牝馬として大成功。シスタートウショウからは重賞勝ち馬は出ていませんが,近親にとても多くの活躍馬がいる一族。またイソノルーブルは孫に重賞勝ち馬を出していました。スカーレットブーケは突出していますが,その他の馬の仲間入りはノーザンドライバーもできたといえるでしょう。
重賞勝ち馬は少ないですが,一族の枝葉は大きく広がっています。ロードマップを基点とする一族から別の重賞勝ち馬が輩出する可能性は残っていると思います。
第二部定義二を形而上学的に考えてみましょう。X,Y,Zとみっつの本性essentiaがあり,もしYがAの本性であるとしたら,Aの本性はYだけでなければなりません。しかしこのことは実体substantia以外のもの,それは第一部公理一の意味により様態modiですが,その場合にしか成立しません。第一部定理一〇備考は,仮に属性Yが実体Aの本性を構成するとしても,実体Aの本性を構成するのが属性Yだけであるとは限らないといっているからです。このゆえに実体の本性は,単に本性といわれるのでなく,属性attributumという特別な語句によって記述されるといえるかもしれません。属性は第一部定義四にあるように,実体の本性ですが,形而上学的に考えた場合には,それだけの相違が様態の本性と様態それ自体の関係との間にあるのです。
そして実体の本性が何であるかは,形而上学的観点からは不明であるとスピノザは考えたのです。知性intellectusには実体の属性の区別の方法が,形而上学的にはこれ以上は存在しないからです。そのためにスピノザはこの解答を実在的観点から与えたのです。
ただし,この形而上学は,本性に関した場合にのみ通用します。一般的な意味において,YがAにとって妥当するから,Yに妥当するのがAだけであるということではありません。また,XとYがAに妥当し,YとZがBに妥当するから,AとBとは同一のものであると知性が認識するというものではありません。本性という条件を外してしまえば,このようなことはいくらでも生じ得ます。いい換えれば,Aに妥当するのがXとYであり,Bに妥当するのがYとZであるというとき,だから知性は一般にAとBを区別することができないというわけではありません。むしろこの条件下で、AとBを区別し得る事例というのも,いくらでもあるのです。
たとえば,すべての角の大きさが同一の四角形というカテゴリーを形成します。長方形と正方形はこのカテゴリーに含まれます。ひし形は含まれません。次に,すべての辺の長さが同一の四角形というカテゴリーを形成します。正方形とひし形はこのカテゴリーに妥当しますが,長方形は妥当しません。しかしふたつのカテゴリーを,知性は十全に区別できます。