スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

桜花賞&モナドの中のモナド

2015-04-12 19:15:53 | 中央競馬
 牝馬クラシック第一弾の第75回桜花賞
 ローデッドが躓くような発走。内からムーンエクスプレスが自然に先頭に。その外からレッツゴードンキが抑えきれないように交わしていき,レッツゴードンキが単騎で逃げる形。無理に競りかける馬がなく,前半の800mが50秒0という信じられないような超スローペースに。力がある馬にこんなに楽に逃げられては,この時点で勝負は決していたといえるでしょう。クールホタルビは注文をつけてやや離れた殿を追走しましたが,残りの16頭はごった返していました。
 レッツゴードンキは4コーナーの辺りではすぐ後ろをついてきた馬たちに並ばれるようなシーンこそあったものの,直線ではほかの17頭を置き去りにし,4馬身差の圧勝。後方の内を追走,3コーナー過ぎから徐々に外に出し,直線は密集した馬群のすぐ外,馬場の中ほどから脚を伸ばしたクルミナルが2着。中団の内を追走し,直線もそのまま最内に進路を選択したコンテッサトゥーレが4分の3馬身差で3着。
 優勝したレッツゴードンキはこれが2勝目ですが,新馬を勝った後は王道路線の重賞ばかりを使って3着,2着,2着,3着ですから勝つ力は十分にありました。大きく差をつけることになったのは展開の恩恵でしょう。やや行きたがる部分が残っていますので,そのあたりは今後の課題といえそうです。父はキングカメハメハ。母の父はマーベラスサンデー。祖母の従妹に2009年のエリザベス女王杯を勝ったクィーンスプマンテ
 騎乗した岩田康誠騎手は昨年11月のマイルチャンピオンシップ以来の大レース制覇。第72回以来3年ぶりの桜花賞2勝目。管理している梅田智之調教師は昨年10月のコーフィールドカップ以来の大レース2勝目。

 ライプニッツ主義における神とモナドの区別が,スピノザ主義における神と属性の理性的区別に類する区別であると把握します。僕がライプニッツは神は実体であるけれども同時にモナドでもあるという道を選択するであろうというスチュアートの考えに賛同するのは,この意味においてです。スピノザ主義では,属性は神の本性を構成するという意味において,神とは属性であると規定することは不可能ではありません。これに類する意味において,神はモナドであると規定することが,ライプニッツ主義においては不可能ではないし,そればかりではなく不可欠であろうと僕は考えるのです。というのも,神はモナドではない純然たる実体であると主張するならば,ヘーゲルのライプニッツ批判にある通り,ライプニッツは結局のところスピノザ主義者になってしまうからです。いい換えれば,スピノザ主義者と対決するライプニッツ主義者であることができなくなってしまうからです。
 ただし,スピノザ主義において,神と属性を同一視することは,ある条件の下に不可能ではないというだけであり,それを文字通りに理解してよいかといえば必ずしもそうではありません。事物とその事物の本性は理性的に区別されますが,実体と属性の理性的区別の場合だけは,固有の難題を有しているからです。これと同様のことが,ライプニッツ主義で神とモナドの区別を理性的区別とみなす場合にも成立します。実際,あるモナドと別のモナドは実在的に区別されるのでなくてはなりません。ですから単に神はモナドであると主張するなら,神とあらゆるモナドは実在的に区別されなければならないことになってしまうからです。そこでここでは,神がモナドであるということのうちには,ある特有の意味があるのだということを示すために,スチュアートが使用している表現に倣い、神はモナドの中のモナドであるといっておくことにします。繰り返しますが,無限に多くあるどのモナドも,他のモナドとは一切の共通点を有しません。モナドの中のモナドである神だけが,すべてのモナドと何らかの共通点を有するのです。
                         
 これでライプニッツの選択する道は決定されました。
コメント
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