スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ゴールド・ウイング賞&決定の実現

2015-04-13 19:24:05 | 競輪
 昨日の西武園記念の決勝。並びは佐藤友和に岩津,平原-武田-飯嶋の関東,佐藤龍二-渡辺の南関東,稲垣-村上の京都。
 渡辺がスタートを取って佐藤龍二の前受けに。3番手に佐藤友和,5番手に平原,8番手に稲垣で周回。残り3周のバックから稲垣が上昇し,村上の後ろを平原が追いました。ホームで佐藤龍二は下げ,斬った稲垣を叩いて平原が先頭でバックに。引いて4番手の外まで追い上げていた佐藤龍二がバックで平原を叩くとこのラインを追ってきた佐藤友和が打鐘で佐藤龍二を叩いて先行。ホームでは渡辺の後ろが内に平原,外に稲垣でしたが稲垣が構わずそのまま発進。村上が離れてしまったので平原が稲垣を追うことに。稲垣はバックの入口で岩津の横まで上がったところで一杯。バックで外から平原が発進。岩津が応戦しようとしましたが,平原は前に出ました。岩津に絡まれるところがあったものの,しっかり平原を追走した武田がゴール前で平原を差して優勝。平原が4分の1車輪差の2着で関東のワンツー。半車身差の3着に岩津。
                         
 優勝した茨城の武田豊樹選手は先月の玉野記念に続いてGⅢ25勝目。西武園記念は2005年と2012年に優勝していて3年ぶりの3勝目。絶好調という感じは受けないのですが,早くも今年の記念競輪3勝目は,底力のなせるところでしょう。ここは現状の力を考えれば,平原を差せるか差せないかの勝負。平原もそんなに脚を使ったという感じではないので,きっちり差し切ったのは立派だったと思います。自力も使えるし,番手も回れるので,今後も安定した結果を残していくものと思われます。

 ここからは,モナドの中のモナドである神が,無限に多く実在するすべてのモナドと共通点を有し得るのは,いかなる条件の下にであるのかを探求します。
 これを問うことは,なぜ無限に多くのモナドすなわち可能世界が実在し得るのかを問うことと同じです。なぜなら,モナドすなわち可能世界はそれ自身のうちにあるけれども神すなわちモナドの中のモナドによって概念されるというのがライプニッツ主義の立場であり,すでにみたように,そのことの条件は,あらゆるモナドが他のモナドとは共通点を有さず,モナドの中のモナドとは共通点を有するということのうちにあるのだからです。
 また,これを問うことは,なぜ神は無限に多くのモナドすなわち可能世界から,ひとつだけを抽出し,それを現実世界にすることができるのかと問うているのとも同じです。なぜなら,神は善意によってそれを選択するのですが,第一部定理三三備考二にあるように,この場合の善は神の本性のうちにあるのではなく,神の外部にある目的であるのですから,神が選択可能である条件というのは,モナドすなわち可能世界が無限に多くあるということのうちにしかないといえるからです。
 つまり,これは多角的な方面から探求が可能なのです。そこで僕は,おそらくそのうちで最も簡明であると思われる方法でこの問いに対する解答を出していくことにします。
 このために,ひとつだけ前提をしておきます。これはライプニッツの哲学に関係するだけでなく,おおよそ哲学というものが覆してはならない条件であると僕は考えます。それは,もしもある哲学の中で神というものが定義されている場合に,その神が何がしかの事柄を決定するという場合には,その決定が必ず実現しなければならないというものです。たぶんこれが哲学一般に妥当する前提であるということに,異論は出ないものと思います。
 スピノザとの対決の本質がどのようなものであったとしても,ライプニッツは神学的観点を死守しなければなりません。ですからライプニッツがこの前提を覆すということに関しては,とくに不可能であるし,哲学自体が無意味に帰するといえるでしょう。
コメント
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