「ノスタルジア」はその本来的な意味である望郷心が主題となっているわけではなく,この意味だと「ホームにて」の方が相応しいといえます。「ノスタルジア」は故郷より過去への想起としてこのタイトルになっているのでしょう。僕は産まれも育ちも横浜であり,だから望郷心というのを抱くことはありません。なので僕自身にはノスタルジーは,むしろ過去との関係で抱かれる情念です。そしてこの点において,「ノスタルジア」は「ホームにて」よりリアルに感じられます。というのは,「ホームにて」からはどことなく甘美な思いも感じられるのに対し,「ノスタルジア」からはそうした印象を受けないからです。いうなれば僕にとってノスタルジーとは,必ずしも甘美な情念ではないのです。
「ノスタルジア」の歌い手が,だれのことも天使だったと言う,というとき,僕はすごく共感できるのです。これは過去のすべてを懐かしく思い出しているというより,それを受け入れているというように思えるからです。これと同じような意味において共感できるフレーズが,「かもめの歌」にもあります。
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思い出話はえこひいきなもの
いない者だけに味方する
いまさら本当も嘘もない
私のせいだと名乗るだけ
大好きな曲のひとつですが,僕はよほどのことがない限りこの歌は聴きません。歌い手自身がこう歌っているからです。
いつかひとりになった時に
この歌を思い出しなさい
どんななぐさめも追いつかない
ひとりの時に歌いなさい
きっといつか,これをひとりで歌う日がやってくるのでしょう。
『フェルメールとスピノザ』では,カメラ・オブスキュラのために必要とされたレンズは大きなものであったとされています。そして顕微鏡や望遠鏡のレンズとは違った機能を有していなければならなかったともされています。このことは,このレンズを製作するために必要とされている理論が,顕微鏡を製作するために必要だった理論や望遠鏡を製作するために必要であった理論と異なっていた筈だということを推測させます。この観点から考えてみましょう。
レーウェンフックは顕微鏡によって多くの発見をなしました。それは単にそれだけの技術力があったというだけではなく,その理論にも長けていたということの証であると僕は思います。一方,スピノザはケルクリングのために顕微鏡のレンズを製作していました。そしてケルクリング自身がこのレンズのことを第一級と評し,これによってリンパ管の束を観察することが可能になっているといっています。ですから顕微鏡のレンズの製作に関する理論も実践も,スピノザはレーウェンフックに対してそんなに劣っていたとは考えなくてよいだろうと僕は判断します。
一方,スピノザはホイヘンスのためには望遠鏡のレンズを製作していました。ホイヘンスはスピノザが精巧な道具によって仕上げているから,このレンズは非常に優れたものになっているという主旨のことをいっています。つまりスピノザには,望遠鏡のレンズについても水準以上に理論を理解していたし,その理論を実践する能力を有していたと理解して大丈夫でしょう。もしかしたらレーウェンフックにはこの種の能力はなかったかもしれません。顕微鏡のレンズの製作のために必要とされる技術と望遠鏡のレンズの製作のために必要とされる技術にはあまり大きな差はないと考えておいた方がたぶん安全で,だから実践的な能力においてスピノザの方が優っていたと断定するのは危険だと思いますが,理論の方に関してはスピノザの方が長けていたと理解する余地はあります。というのもレーウェンフックはあくまでも顕微鏡学者なのであり,そのためには望遠鏡のレンズのための理論というのは知る必要がなかった可能性もあるからです。
「ノスタルジア」の歌い手が,だれのことも天使だったと言う,というとき,僕はすごく共感できるのです。これは過去のすべてを懐かしく思い出しているというより,それを受け入れているというように思えるからです。これと同じような意味において共感できるフレーズが,「かもめの歌」にもあります。
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思い出話はえこひいきなもの
いない者だけに味方する
いまさら本当も嘘もない
私のせいだと名乗るだけ
大好きな曲のひとつですが,僕はよほどのことがない限りこの歌は聴きません。歌い手自身がこう歌っているからです。
いつかひとりになった時に
この歌を思い出しなさい
どんななぐさめも追いつかない
ひとりの時に歌いなさい
きっといつか,これをひとりで歌う日がやってくるのでしょう。
『フェルメールとスピノザ』では,カメラ・オブスキュラのために必要とされたレンズは大きなものであったとされています。そして顕微鏡や望遠鏡のレンズとは違った機能を有していなければならなかったともされています。このことは,このレンズを製作するために必要とされている理論が,顕微鏡を製作するために必要だった理論や望遠鏡を製作するために必要であった理論と異なっていた筈だということを推測させます。この観点から考えてみましょう。
レーウェンフックは顕微鏡によって多くの発見をなしました。それは単にそれだけの技術力があったというだけではなく,その理論にも長けていたということの証であると僕は思います。一方,スピノザはケルクリングのために顕微鏡のレンズを製作していました。そしてケルクリング自身がこのレンズのことを第一級と評し,これによってリンパ管の束を観察することが可能になっているといっています。ですから顕微鏡のレンズの製作に関する理論も実践も,スピノザはレーウェンフックに対してそんなに劣っていたとは考えなくてよいだろうと僕は判断します。
一方,スピノザはホイヘンスのためには望遠鏡のレンズを製作していました。ホイヘンスはスピノザが精巧な道具によって仕上げているから,このレンズは非常に優れたものになっているという主旨のことをいっています。つまりスピノザには,望遠鏡のレンズについても水準以上に理論を理解していたし,その理論を実践する能力を有していたと理解して大丈夫でしょう。もしかしたらレーウェンフックにはこの種の能力はなかったかもしれません。顕微鏡のレンズの製作のために必要とされる技術と望遠鏡のレンズの製作のために必要とされる技術にはあまり大きな差はないと考えておいた方がたぶん安全で,だから実践的な能力においてスピノザの方が優っていたと断定するのは危険だと思いますが,理論の方に関してはスピノザの方が長けていたと理解する余地はあります。というのもレーウェンフックはあくまでも顕微鏡学者なのであり,そのためには望遠鏡のレンズのための理論というのは知る必要がなかった可能性もあるからです。