スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

桜花賞&特権と優越性

2016-04-10 19:14:42 | 中央競馬
 第76回桜花賞
 好発はソルヴェイグ。ですがこの馬が控えたために隊列が決まるのに少しの時間を要しました。逃げることになったのはカトルラポール。アッラサルーテとメイショウバーズが2番手を併走。さらにジープルメリア,メジャーエンブレム,ラベンダーヴァレイ,ウインファビラスの4頭が一団でここまでが先行集団。好位にビービーバーレルとシンハライトの2頭。中団は控えたソルヴェイグ,アットザシーサイド,ブランボヌール,キャンディバローズとメイショスイヅキが占め,レッドアヴァンセ,デンコウアンジュ,ジュエラーの順で続きました。前半の800mは47秒1のスローペース。
 直線に入るあたりで前はカトルラポール,メイショウバーズ,ジープルメリア,ウインファビラスの4頭が雁行。さらにその外にラヴェンダーヴァレイも追い上げてきて,これらの後ろにいたメジャーエンブレムは行き場がなくなるような形に。それでもウインファビラスとラヴェンダーヴァレイの間を抜けたものの,この時点でさらに外からシンハライトが先頭に立っていて,瞬発力には劣るメジャーエンブレムには苦しい展開。シンハライトをマークするように追ってきたアットザシーサイドが2番手に上がり大外からジュエラーが強襲。シンハライトはアットザシーサイドの追い上げは振り切りむしろ突き放しましたが,ジュエラーはぐんぐんと迫って2頭が並んでゴールイン。写真判定の結果,優勝はジュエラー。ハナ差の2着にシンハライト。1馬身4分の3差の3着がアットザシーサイド。
 優勝したジュエラーはこれが重賞初勝利。ただ新馬を勝った後,シンザン記念,チューリップ賞と連続2着でここが4戦目でしたので,優勝候補と考えていた1頭。メジャーエンブレムがもっと強気にレースをしてペースを上げていればまったく違ったと思いますが,ここは瞬発力が生きる展開になりました。それでも後方2番手から外を回って差し切ってしまったのですから,掛け値なしに強い内容。2着馬とは連続して僅差の勝負で,抜けた存在ではないと思いますが,高いレベルで戦い続けてくれるだろうと思います。父はJRA賞で2010年の最優秀3歳牡馬,2011年の最優秀4歳以上牡馬に選出されたヴィクトワールピサ。7つ上の半姉に2009年のフィリーズレビュー,2010年の函館スプリントステークスとキーンランドカップ,2012年のオーシャンステークスを勝ったワンカラット。Jewelerは宝石商。
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手は2月のフェブラリーステークス以来の大レース制覇。桜花賞は初勝利。管理している藤岡健一調教師は先月の高松宮記念に続いて大レース2勝目。

 認識をなし得るということが身体に対する精神の特権であるというならば,僕はそれを絶対的な意味で否定することはしません。ただしそれは人間において認識をなすのは精神であって身体ではないという以上の意味ではありません。一方,そのことによって精神には身体に対するある優越性が与えられているというなら,僕はこれを全面的に否定します。もしそのことによって精神は身体より優越的であるというなら,身体は運動をなし得るけれども精神は運動をなし得ないという意味において身体は精神よりも優越的であると主張しなければならないからです。第二部定理一と第二部定理二から明らかなように,思惟も延長も同じように神の属性です。したがって思惟が延長に優越することはありませんし,延長が思惟に優越することもありません。よって思惟の様態である精神は身体に対して優越的ではないし,延長の様態である身体が精神に対して優越的であるということもないのです。
                                     
 精神が永遠性を観想するのが自分の精神だけであり,自分の身体ではないという点についてはこれでいいでしょう。もうひとつは第五部定理二三で,身体が現実的に存在することを停止しても,精神の中の「あるもの」は残存するといわれている点です。これは確かに精神が身体より優越的であるとか,精神には身体に付与されていない特権が与えられているという解釈の余地を与えるのではないかと思います。
 僕の見解をいえば,ここで何か特権といい得るようなものが与えられているのだとすれば,それは精神に対してではなく,人間の本性に対してなのです。したがってもしも人間の本性と人間の精神が完全に同一視できるのであれば,この特権が精神に与えられているということを僕は肯定します。そしてスピノザの哲学ではそういう余地があると思います。なので僕はこちらの点に関しては,懐疑的ではあっても全面的に否定はしないのです。
 第五部定理二二では,神の中にある永遠の相の下に表現される観念が,現実的に存在する人間の身体の本性を表現する観念だとされています。僕が特権を付与されているのは人間の本性であると解するのは,この点に依拠します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする