スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第三部諸感情の定義三三&老化

2016-05-20 19:13:50 | 哲学
 第三部定理二七に示されている,人間一般に対する感情の模倣affectum imitatioが僕たちに生じるとき,もしこの模倣が悲しみに関係する場合,すなわち他人が悲しんでいると表象することによって自分も悲しみにおそわれる場合,その感情はとくに憐憫といわれます。これは第三部諸感情の定義一八から明らかです。その定義では,他人の悲しみの観念を伴った悲しみとはいわれずに,他人に生じた害悪の観念を伴った悲しみといわれていますが,第四部定理八が端的に示しているように,他人に生じた害悪というのは,その他人が意識しているその人自身の悲しみにほかならないからです。要するにスピノザの哲学では,悪とは意識された自分の悲しみ,いい換えれば自分の悲しみの観念と何ら変わるところはないのです。
                                     
 ですが一般的な他者に対する感情の模倣は,悲しみだけに関係するわけではありません。つまり人は他人の悲しみだけを模倣して,それ以外の感情を模倣しないというわけではありません。基本感情のすべてについて,感情の模倣は生じ得るのです。そしてそのとき,もしも欲望に関係した感情の模倣が生じる場合には,この感情は競争心といわれ,第三部諸感情の定義三三で示されます。
 「競争心とは,他の人がある物に対する欲望を有することを我々が表象することによって我々の中に生ずる同じ物に対する欲望である」。
 簡単にいうと,人はほかの人がほしがっているものをほしがる傾向があるということです。こういう傾向が人間にあるということ,あるいは自分にもあるということは,多くの方が経験的に知っているでしょう。
 このとき,そのものがだれにでも入手できるものであれば,競争心という感情が他者との軋轢を起こすことはないでしょう。しかしもし他人が手に入れることで自分の入手が困難になるのであれば,第三部定理三二により,人は他人の欲望が実現することを阻止する傾向を有することになります。つまりこの場合には競争心は軋轢の原因になります。感情でいえば,第三部諸感情の定義二三のねたみinvidiaの原因に容易になる欲望が,競争心であるといえるでしょう。

 医師の診断についていえば,この耳鳴りは老化現象の一種であろうということでした。ただ,このいい回しは僕には不自然に感じられる部分もあります。
 人間はだれでも,若い頃には可能であったたことが,年を重ねることによって不可能になるという現象が生じます。たとえば僕は以前は近眼の眼鏡を掛けていても,細かい文字を読むことに何の苦労もありませんでした。それが今では眼鏡を外さなければ正確には読めない場合が生じています。僕の感覚でいえばこういうのを老化というのです。つまりかつてはできたことが加齢によってできなくなるのが老化現象なのです。ところが,耳鳴りの場合にはこれが妥当しません。むしろかつては聴こえていなかったものが聴こえるようになったというのは,いってみればかつてはできなかったことができるようになったのに類する現象だからです。これはそれ自体でみれば成長とか進化に近いわけです。つまり老化が劣化だけを意味するのであれば,耳鳴りがすることを老化と表現するのは実に不自然なことだと感じられるのです。
 もちろんこれは,聴こえるべきでないもの,あるいは聴こえなくてよいものが聴こえるということなので,身体の完全性ということでいえば,より大なる完全性からより小なる完全性への移行に違いありません。なので老化という語がそういう移行の全般を意味するのであれば,僕の耳鳴りを老化という語で指示するのは誤りではありません。ですが,第三部諸感情の定義三から明白なように,この種の移行は常に悲しみでなければなりません。いい換えれば加齢を原因として生じるこの種の移行をすべて老化というなら,老化は人間にとって必然的に悲しみでなければならないことになります。しかし一般に加齢による悲しみだけが老化といわれるのかといえば,必ずしもそうではないでしょう。むしろかつてはできたことが加齢によってできなくなることによって,喜びを感じるという場合が人間には生じ得ます。だからたとえ老化が劣化だけを意味するのであっても,必ずしもそれが悲しみであるとはいえません。より小なる完全性から大なる完全性へ移行する老化もあると僕は思います。
コメント
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