日本時間の昨夜にフランスのシャンティイ競馬場で行われたイスパーン賞GⅠ芝1800m。
エイシンヒカリは加速のよさでハナへ。一般にヨーロッパの馬は前に行きたがりませんし,軽快なスピードには欠けるタイプの馬が多いので,逃げることになると思っていましたし,場合によっては後ろを離しての逃げになるのではないかと想定していました。ですが外から1頭が並び掛けてきて,やや強引な形でエイシンヒカリのハナを叩いて前に。エイシンヒカリは頭を上げていましたが,うまく外に切り返して2番手を追走。少し行きたがっているようにも見えましたが,消耗するほどではないようには思えました。最後の直線に入るあたりで2番手のエイシンヒカリと3番手以降の馬はやや離れる形に。このとき,追い上げようとする馬たちはかなり手綱をしごいていたので,逃げている馬を交わせば勝てるのではないかと思いました。僕には逃げた馬にも余裕があるように見えていたのですが,実際にはそうでもなかったようで,残り400m付近でエイシンヒカリがほぼ馬なりのまま自然に先頭に。ここから追われるとあとは独走。2着に10馬身もの差をつける圧勝になりました。
優勝したエイシンヒカリは暮れの香港カップ以来の実戦で大レース連勝。日本馬による海外GⅠ制覇は1日のチャンピオンズマイル以来。フランスでの重賞制覇は2013年のフォワ賞以来。フランスでのGⅠ制覇はアグネスワールドによる1999年のロンシャン大修道院賞(アベイユドロンシャン賞)以来。イスパーン賞は初勝利。この馬の力をもってすれば勝つということもあり得るとは思っていました。出走メンバーのレベルが低かったとは思えません。軽快なスピードが身上の馬には馬場状態が向いたとも思えませんし,レースぶりもスムーズだったわけではないと思います。それでいてこの大楽勝は大変な驚きでした。僕にとってさえそうなのですから,ヨーロッパの競馬関係者やファンにとっては衝撃的だったのではないかと思います。おそらくはこの距離がベストなのでしょう。父はディープインパクト。
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騎乗した武豊騎手はかしわ記念以来の大レース制覇。海外重賞は3月のUAEダービー以来。海外GⅠは昨年の香港カップ以来。フランスでの重賞制覇は先述のフォワ賞直前のニエル賞以来。日本馬に騎乗してのフランスでのGⅠ制覇は先述のロンシャン大修道院賞以来。管理している坂口正則調教師は香港カップ以来の大レース3勝目。
僕は事物の本性の変化とその事物の完全性の移行を,同じ現象のふたつの観点と解します。ですから現実的に存在するある人間の中に,何らかの本性の変化が生じたとき,それがその人間の精神によって必然的に知覚されるということは,ある人間に完全性の移行が生じたなら,その人間の精神は完全性が移行したことを必然的に知覚するという意味になります。ただし,それがどのように移行したのかということ,つまり大なる完全性から小なる完全死に移行したのか,それともより小なる完全性からより大なる完全性へと移行したのかということは,その知覚それ自体で判別されるわけではありません。どのような移行であるかは,それに伴う感情の認識,すなわち喜びが認識されるか悲しみが認識されるかということによって判別されることになるからです。
ここまでの事柄は一般的に正しいといえます。いい換えれば理性によって認識されるといえます。そして同時に,ある特定の刺激が現実的に存在する人間に与えられ,かつその刺激が現実的に存在する人間の本性の変化すなわち完全性の移行を齎すとしても,それが大なる完全性から小なる完全性への移行を齎すのか,それとも小なる完全性から大なる完全性への変化を齎すのかということは,理性によっては認識され得ないということも事実だといわなければなりません。
このことはまず第三部定理五一から明らかだといえます。ある特定の刺激がある特定の人間に与えられても,その刺激によってその人間に発生する結果は常に同一であるとは限らないということがこの定理には含まれているからです。ですがこのことは経験則としてだれでも知っていることだと僕は思っています。他者が喜んでくれるだろうと思ってなしたことが,かえって他者に悲しみを与えたというような類のことが現実的に生じ得るということは,だれでも知っていることであろうからです。
ですが僕はここでは,このことは一般的には認識することができない,つまり理性によっては認識できないということを,理性そのものの特性から示したいのです。そのためにまず第二部定理一九と第二部定理二七に訴求することにします。
エイシンヒカリは加速のよさでハナへ。一般にヨーロッパの馬は前に行きたがりませんし,軽快なスピードには欠けるタイプの馬が多いので,逃げることになると思っていましたし,場合によっては後ろを離しての逃げになるのではないかと想定していました。ですが外から1頭が並び掛けてきて,やや強引な形でエイシンヒカリのハナを叩いて前に。エイシンヒカリは頭を上げていましたが,うまく外に切り返して2番手を追走。少し行きたがっているようにも見えましたが,消耗するほどではないようには思えました。最後の直線に入るあたりで2番手のエイシンヒカリと3番手以降の馬はやや離れる形に。このとき,追い上げようとする馬たちはかなり手綱をしごいていたので,逃げている馬を交わせば勝てるのではないかと思いました。僕には逃げた馬にも余裕があるように見えていたのですが,実際にはそうでもなかったようで,残り400m付近でエイシンヒカリがほぼ馬なりのまま自然に先頭に。ここから追われるとあとは独走。2着に10馬身もの差をつける圧勝になりました。
優勝したエイシンヒカリは暮れの香港カップ以来の実戦で大レース連勝。日本馬による海外GⅠ制覇は1日のチャンピオンズマイル以来。フランスでの重賞制覇は2013年のフォワ賞以来。フランスでのGⅠ制覇はアグネスワールドによる1999年のロンシャン大修道院賞(アベイユドロンシャン賞)以来。イスパーン賞は初勝利。この馬の力をもってすれば勝つということもあり得るとは思っていました。出走メンバーのレベルが低かったとは思えません。軽快なスピードが身上の馬には馬場状態が向いたとも思えませんし,レースぶりもスムーズだったわけではないと思います。それでいてこの大楽勝は大変な驚きでした。僕にとってさえそうなのですから,ヨーロッパの競馬関係者やファンにとっては衝撃的だったのではないかと思います。おそらくはこの距離がベストなのでしょう。父はディープインパクト。
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騎乗した武豊騎手はかしわ記念以来の大レース制覇。海外重賞は3月のUAEダービー以来。海外GⅠは昨年の香港カップ以来。フランスでの重賞制覇は先述のフォワ賞直前のニエル賞以来。日本馬に騎乗してのフランスでのGⅠ制覇は先述のロンシャン大修道院賞以来。管理している坂口正則調教師は香港カップ以来の大レース3勝目。
僕は事物の本性の変化とその事物の完全性の移行を,同じ現象のふたつの観点と解します。ですから現実的に存在するある人間の中に,何らかの本性の変化が生じたとき,それがその人間の精神によって必然的に知覚されるということは,ある人間に完全性の移行が生じたなら,その人間の精神は完全性が移行したことを必然的に知覚するという意味になります。ただし,それがどのように移行したのかということ,つまり大なる完全性から小なる完全死に移行したのか,それともより小なる完全性からより大なる完全性へと移行したのかということは,その知覚それ自体で判別されるわけではありません。どのような移行であるかは,それに伴う感情の認識,すなわち喜びが認識されるか悲しみが認識されるかということによって判別されることになるからです。
ここまでの事柄は一般的に正しいといえます。いい換えれば理性によって認識されるといえます。そして同時に,ある特定の刺激が現実的に存在する人間に与えられ,かつその刺激が現実的に存在する人間の本性の変化すなわち完全性の移行を齎すとしても,それが大なる完全性から小なる完全性への移行を齎すのか,それとも小なる完全性から大なる完全性への変化を齎すのかということは,理性によっては認識され得ないということも事実だといわなければなりません。
このことはまず第三部定理五一から明らかだといえます。ある特定の刺激がある特定の人間に与えられても,その刺激によってその人間に発生する結果は常に同一であるとは限らないということがこの定理には含まれているからです。ですがこのことは経験則としてだれでも知っていることだと僕は思っています。他者が喜んでくれるだろうと思ってなしたことが,かえって他者に悲しみを与えたというような類のことが現実的に生じ得るということは,だれでも知っていることであろうからです。
ですが僕はここでは,このことは一般的には認識することができない,つまり理性によっては認識できないということを,理性そのものの特性から示したいのです。そのためにまず第二部定理一九と第二部定理二七に訴求することにします。