日本時間の昨晩にフランスのシャンティイ競馬場で行われたニエユ賞GⅡ芝2400m。
出走したのは5頭。縦一列という隊列になり,マカヒキは3番手でした。道中は何の動きもなく,この隊列のまま4コーナーを回り,マカヒキは外の方に。後ろにいた2頭は直線ではついていくことができず,実質的に前3頭のレース。3番手でしたので最も外になり,内の2頭との競り合いがゴール前まで続きましたが,最後は前に出てクビ差をつけての優勝でした。
優勝したマカヒキはこれが日本ダービー以来の出走。重賞は3勝目。海外競馬はこれが初出走。凱旋門賞を目指して先月中に渡仏。このレースは相手がかなり楽になったので,勝てなければ凱旋門賞を勝つのは難しいだろうと考えていました。その相手にクビ差での勝利は,ジョッキーの動作からすれば着差以上の力差があったことも明白ですが,個人的には物足りない感じもあり,あまり高くは評価できないかもしれません。ただ能力全開に至っていないのは確かだとも思えますので,悲観しなければならないというほどでもないでしょう。父はディープインパクト。全姉に一昨年の京都牝馬ステークスと昨年のCBC賞を勝っている現役のウリウリ。Makahikiはハワイの収穫祭。
日本馬による海外重賞制覇は5月のイスパーン賞以来。ニエル賞は2013年以来の2勝目。
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騎乗したクリストフ・ルメール騎手が日本馬に騎乗して海外重賞を勝ったのは2006年のドバイシーマクラシック以来でこれが2勝目。管理している友道康夫調教師は海外重賞初勝利。
『スピノザ哲学研究』を読了したのは去年の12月22日のことでした。以降の日記に戻ります。
12月26日,土曜日。母と妹が美容院へ。午後1時からでした。
12月29日,火曜日。妹はこの日から年末年始の休みに入りました。僕はこの日は鶴見。駅でいえば鶴見線の国道駅に近い辺りへ。帰ったのは午後4時50分でした。
年が明けて今年の1月4日,月曜日。この日が妹の仕事始め。同時にこの日からショートステイに行きました。磯子区内の施設を利用して2泊3日でした。僕と母は日野公園墓地へ墓参りに。新年の墓参りという意味合いです。前年までは叔父の運転で大和の祖母の墓参りをした後,日野公園墓地にも寄るというパターンが多く,この場合は僕が行かれないケースが多かったため,僕が新年に墓参りに行ったのはもしかしたら父が死んでからは初めてだったかもしれません。叔父は福江島に移住しましたので,今年は僕と母で行ったということです。3日に行くのが通常ですが,僕は1月3日は都合がつかないことが多く,そのために今年は4日になりました。大和の方は行くのが大変なので行っていません。帰りに昼食も済ませ,家に戻ったのは午後1時45分でした。
1月6日,水曜日。ショートステイは2泊だったので,妹はこの日に帰りました。僕はこの日は菊名。帰ったのが午後5時40分でしたので,妹が先に帰っていたことになります。
1月9日,土曜日。妹のピアノのレッスン。何日にレッスンを行うかだけ事前に決めておき,何も連絡がなければ午後5時半からというのがパターンになっています。この日は前夜に先生から連絡があり,午後2時の開始になりました。
1月16日,土曜日。妹の土曜出勤でした。この日はカラオケ大会をしたようです。
1月17日,日曜日。母と妹は美容院へ。妹のパスポートの期限が迫っていたので,ついでに新しいパスポートに使用するための写真を撮影してきたとのことでした。
1月18日,月曜日。妹が作業所を欠勤しました。体調によるものではありません。降雪があったからです。妹は雪のときに外出することを極度に嫌がるのです。
出走したのは5頭。縦一列という隊列になり,マカヒキは3番手でした。道中は何の動きもなく,この隊列のまま4コーナーを回り,マカヒキは外の方に。後ろにいた2頭は直線ではついていくことができず,実質的に前3頭のレース。3番手でしたので最も外になり,内の2頭との競り合いがゴール前まで続きましたが,最後は前に出てクビ差をつけての優勝でした。
優勝したマカヒキはこれが日本ダービー以来の出走。重賞は3勝目。海外競馬はこれが初出走。凱旋門賞を目指して先月中に渡仏。このレースは相手がかなり楽になったので,勝てなければ凱旋門賞を勝つのは難しいだろうと考えていました。その相手にクビ差での勝利は,ジョッキーの動作からすれば着差以上の力差があったことも明白ですが,個人的には物足りない感じもあり,あまり高くは評価できないかもしれません。ただ能力全開に至っていないのは確かだとも思えますので,悲観しなければならないというほどでもないでしょう。父はディープインパクト。全姉に一昨年の京都牝馬ステークスと昨年のCBC賞を勝っている現役のウリウリ。Makahikiはハワイの収穫祭。
日本馬による海外重賞制覇は5月のイスパーン賞以来。ニエル賞は2013年以来の2勝目。
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騎乗したクリストフ・ルメール騎手が日本馬に騎乗して海外重賞を勝ったのは2006年のドバイシーマクラシック以来でこれが2勝目。管理している友道康夫調教師は海外重賞初勝利。
『スピノザ哲学研究』を読了したのは去年の12月22日のことでした。以降の日記に戻ります。
12月26日,土曜日。母と妹が美容院へ。午後1時からでした。
12月29日,火曜日。妹はこの日から年末年始の休みに入りました。僕はこの日は鶴見。駅でいえば鶴見線の国道駅に近い辺りへ。帰ったのは午後4時50分でした。
年が明けて今年の1月4日,月曜日。この日が妹の仕事始め。同時にこの日からショートステイに行きました。磯子区内の施設を利用して2泊3日でした。僕と母は日野公園墓地へ墓参りに。新年の墓参りという意味合いです。前年までは叔父の運転で大和の祖母の墓参りをした後,日野公園墓地にも寄るというパターンが多く,この場合は僕が行かれないケースが多かったため,僕が新年に墓参りに行ったのはもしかしたら父が死んでからは初めてだったかもしれません。叔父は福江島に移住しましたので,今年は僕と母で行ったということです。3日に行くのが通常ですが,僕は1月3日は都合がつかないことが多く,そのために今年は4日になりました。大和の方は行くのが大変なので行っていません。帰りに昼食も済ませ,家に戻ったのは午後1時45分でした。
1月6日,水曜日。ショートステイは2泊だったので,妹はこの日に帰りました。僕はこの日は菊名。帰ったのが午後5時40分でしたので,妹が先に帰っていたことになります。
1月9日,土曜日。妹のピアノのレッスン。何日にレッスンを行うかだけ事前に決めておき,何も連絡がなければ午後5時半からというのがパターンになっています。この日は前夜に先生から連絡があり,午後2時の開始になりました。
1月16日,土曜日。妹の土曜出勤でした。この日はカラオケ大会をしたようです。
1月17日,日曜日。母と妹は美容院へ。妹のパスポートの期限が迫っていたので,ついでに新しいパスポートに使用するための写真を撮影してきたとのことでした。
1月18日,月曜日。妹が作業所を欠勤しました。体調によるものではありません。降雪があったからです。妹は雪のときに外出することを極度に嫌がるのです。