亀山郁夫が模倣の欲望という概念を用いることによって,『白痴』におけるロゴージンの謎と僕が感じていたことを説明する仕方は,そう難しくありません。要するにロゴージンはムイシュキン公爵のナスターシャへの愛,その愛し方まで含めた意味での愛を模倣したのです。ムイシュキンはどうやら性的不能者であったようなので,性的魅力によってナスターシャを愛するということは不可能でした。だからロゴージンもそれと同じように,性的魅力を前面に出さないような仕方でナスターシャを愛することになったのです。僕はロシアのキリスト教に詳しいわけではありませんから,ロゴージンと去勢派の関係がどのようなものであったかはまったく分かりませんが,このような説明であれば,なぜロゴージンが性的な面ではムイシュキンと対立的に描かれなかったのかは理解できます。

『こころ』ではおそらく先生はKへの感情の模倣affectum imitatioを生じ,神聖な恋という,どちらかといえばKに相応しいような仕方でお嬢さんのことを愛したのです。それと同じことが,ムイシュキンとロゴージンの間にも発生していたことになります。僕は『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフとKの間に近似性をみて,またスメルジャコフとムイシュキンの間にも近似性をみました。そしてここにはロゴージンと先生の間にある近似性があったことをみるのです。
『白痴』の第一編16で,ナスターシャがロゴージンの持ってきた10万ルーブルという大金の入った包みを火の燃えた暖炉の中に放り投げてしまうという場面があります。実際には大金は燃えてしまうことはないのですが,このことによってロゴージンは,自分がムイシュキンとは違って金持ちであるということによって,ナスターシャから愛されるということはないということが分かったというように読解することができます。それならどうすればナスターシャからの愛を得ることができるのかとロゴージンが考えたとき,ムイシュキンのナスターシャへの愛を模倣すればよいと思ったとしておかしくありません。なので模倣の要望が僕にとって謎を解く鍵となり得たのです。
『走れメロス』のプロットの構成に作為があると僕が感じる理由は,プロットの一部分に明らかに不自然なところがあるからです。
捕えられたメロスは処刑までに3日の猶予を得るため,その間にセリヌンティウスを人質にすることを,相手の同意も得ぬままディオニスに提案します。このときディオニスは,メロスは戻っては来ないだろうと確信し,メロスに騙されたふりをして身代わりのセリヌンティウスを処刑してやろうと企み,その提案に同意するのです。このプロットはディオニスの目線からは,その直後に,もしメロスが間に合わなければセリヌンティウスは処刑するけれどもメロスのことは永遠に許してやると伝えるプロットへと接続していきます。
これでみると,セリヌンティウスが人質になることに同意するということを,メロスもディオニスも暗黙の前提としていることが分かります。このゆえに,動機という観点からは実はセリヌンティウスはメロス以上になし難いことをしている筈なのに,テクストからはそのことが表面的には消えてしまいます。他面からいえば読者もまたセリヌンティウスが人質になることは当然であるという印象をもつようになっているのです。
メロスはおそらくセリヌンティウスが自分に対して全面的な信頼を置いていることを理解していました。だから自分が詳しい事情を話したなら,セリヌンティウスが人質となってくれるであろうことは前提できたと思います。実際にセリヌンティウスは躊躇なく人質になったのであり,メロスのセリヌンティウス観は正しかったというのが,すでに述べたように僕の解釈です。なのでメロスのしたことはひどいとは思いますが,この前提については僕は何も問題だとは考えません。
しかしディオニスの場合には違います。ディオニスはメロスがセリヌンティウスの名前を出した後で,その身代わりを城に呼んで来いと命令します。固有名詞を出さないこの命令の仕方から,ディオニスはセリヌンティウスを知らなかったと想定できます。つまりセリヌンティウスがどんな性格の人間であるかを知らなかっただけでなく,一度も会ったことのない人物であったと思われるのです。

『こころ』ではおそらく先生はKへの感情の模倣affectum imitatioを生じ,神聖な恋という,どちらかといえばKに相応しいような仕方でお嬢さんのことを愛したのです。それと同じことが,ムイシュキンとロゴージンの間にも発生していたことになります。僕は『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフとKの間に近似性をみて,またスメルジャコフとムイシュキンの間にも近似性をみました。そしてここにはロゴージンと先生の間にある近似性があったことをみるのです。
『白痴』の第一編16で,ナスターシャがロゴージンの持ってきた10万ルーブルという大金の入った包みを火の燃えた暖炉の中に放り投げてしまうという場面があります。実際には大金は燃えてしまうことはないのですが,このことによってロゴージンは,自分がムイシュキンとは違って金持ちであるということによって,ナスターシャから愛されるということはないということが分かったというように読解することができます。それならどうすればナスターシャからの愛を得ることができるのかとロゴージンが考えたとき,ムイシュキンのナスターシャへの愛を模倣すればよいと思ったとしておかしくありません。なので模倣の要望が僕にとって謎を解く鍵となり得たのです。
『走れメロス』のプロットの構成に作為があると僕が感じる理由は,プロットの一部分に明らかに不自然なところがあるからです。
捕えられたメロスは処刑までに3日の猶予を得るため,その間にセリヌンティウスを人質にすることを,相手の同意も得ぬままディオニスに提案します。このときディオニスは,メロスは戻っては来ないだろうと確信し,メロスに騙されたふりをして身代わりのセリヌンティウスを処刑してやろうと企み,その提案に同意するのです。このプロットはディオニスの目線からは,その直後に,もしメロスが間に合わなければセリヌンティウスは処刑するけれどもメロスのことは永遠に許してやると伝えるプロットへと接続していきます。
これでみると,セリヌンティウスが人質になることに同意するということを,メロスもディオニスも暗黙の前提としていることが分かります。このゆえに,動機という観点からは実はセリヌンティウスはメロス以上になし難いことをしている筈なのに,テクストからはそのことが表面的には消えてしまいます。他面からいえば読者もまたセリヌンティウスが人質になることは当然であるという印象をもつようになっているのです。
メロスはおそらくセリヌンティウスが自分に対して全面的な信頼を置いていることを理解していました。だから自分が詳しい事情を話したなら,セリヌンティウスが人質となってくれるであろうことは前提できたと思います。実際にセリヌンティウスは躊躇なく人質になったのであり,メロスのセリヌンティウス観は正しかったというのが,すでに述べたように僕の解釈です。なのでメロスのしたことはひどいとは思いますが,この前提については僕は何も問題だとは考えません。
しかしディオニスの場合には違います。ディオニスはメロスがセリヌンティウスの名前を出した後で,その身代わりを城に呼んで来いと命令します。固有名詞を出さないこの命令の仕方から,ディオニスはセリヌンティウスを知らなかったと想定できます。つまりセリヌンティウスがどんな性格の人間であるかを知らなかっただけでなく,一度も会ったことのない人物であったと思われるのです。