一昨日,昨日と鶴巻温泉で指された第57期王位戦七番勝負第七局。
振駒で羽生善治王位が先手となり木村一基八段の横歩取り。後手が1筋の位を取り,先手は8八に銀を上がる将棋になりました。
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ここから後手が仕掛けます。その手順は△1六歩▲同歩△7五歩▲同歩△8五飛。ここからは後手がよい形で7五の歩を取れるかどうかが焦点。
▲2五飛と受けるのはこの一手。後手は△7六歩と打って角を交換してくるように要求しましたが先手は▲5五角の一時停車。ここで△7五飛はそこで▲3三角成とされて困ります。
後手は△同角と取って▲同飛。先手は7七に上がった角をまた5五に上がったので交換すること自体は手損にはなっていません。△6四角が目につきますが▲3五飛で切り返されます。したがって△3三桂は必要な一手。ですが▲5六飛と逃げられました。ここで△7五飛だと今度は▲8六角と打たれます。
△6四角はそれを避けつつ香取り。▲3七桂に△2五桂と跳ねて好調のようですが▲4五桂の跳ね違い。後手は△6二金と受けたのですが,手順からいってここで△1九角成と取れないのはおかしく,この局面は先手の方がいいのだろうと思います。
▲4六歩と角成りを受けたところで△7五飛と取ることはできましたが,これはよい形で取ったとはいえず,先手は▲2六歩と催促しました。
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実戦のようにここで△4五飛と切らなければいけないのではさすがに後手が苦しいでしょう。先手はこの後やや攻め急ぎすぎたように思いますが,逆転には至りませんでした。
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4勝3敗で羽生王位の防衛。第34期,35期,36期,37期,38期,39期,40期,41期,42期,45期,46期,47期,52期,53期,54期,55期,56期と獲得しているので6連覇で通算18期目の王位獲得です。
『走れメロス』に第三者的視点を適用する場合の難点を説明する前に,ディオニスに関して次のこともいっておきます。
他人を簡単に信じてはいけないという戒めを有することで暴君になったディオニスが,メロスが処刑されると分かっていながらセリヌンティウスとの約束を守って,つまりセリヌンティウスからの信頼に応えて帰ってきただけで容易に改心してしまうのは,人によっては不自然であると感じられるかもしれません。けれど僕はその点に関してはそれほど不自然であるとは思っていません。なぜなら,ディオニスは何らかの論理的理由によって他人を信用しなくなったわけでなく,他人から裏切られた経験によって信用しなくなっただけであるからです。
実際にはディオニスは他人を信用していなかったのですが,人間というものが信頼できる存在であってほしいという願望は有していたのです。『カラマーゾフの兄弟』ではイワンは神は存在しないということを半ば確信していながら,平和のイメージも具体的な形で有していました。つまりイワンは無神論者であった,神は存在しないと思っているという意味で無神論者ではあったのですが,神が存在してほしいという願望は有していたといえます。ちょうどこれと同じように,ディオニスは人間は簡単に他人を裏切るものであって,だから信用してはいけないものであるとは思っていたのですが,同時に人間は信用に足る存在であってほしい,あるいは信頼することができる人間が存在してほしいという願望は有していたのです。哲学的にいうとこれは不安と希望は表裏一体であるから,希望spesがないような不安metusは存在しないし,不安が皆無である希望も存在しないという意味なのであって,現実的に存在するひとりの人間の精神状態としては少しも矛盾するものではありません。人が他人を裏切るとか,人を信用してはいけないというのは,ディオニスが一般的に人をみるときの,人に対する不安です。それが意識化されているのですから,希望も確かに存在したのです。ただそれは意識化されていなかっただけです。そしてその希望が達成されたから,ディオニスはあっさりと改心することになったのです。
振駒で羽生善治王位が先手となり木村一基八段の横歩取り。後手が1筋の位を取り,先手は8八に銀を上がる将棋になりました。
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ここから後手が仕掛けます。その手順は△1六歩▲同歩△7五歩▲同歩△8五飛。ここからは後手がよい形で7五の歩を取れるかどうかが焦点。
▲2五飛と受けるのはこの一手。後手は△7六歩と打って角を交換してくるように要求しましたが先手は▲5五角の一時停車。ここで△7五飛はそこで▲3三角成とされて困ります。
後手は△同角と取って▲同飛。先手は7七に上がった角をまた5五に上がったので交換すること自体は手損にはなっていません。△6四角が目につきますが▲3五飛で切り返されます。したがって△3三桂は必要な一手。ですが▲5六飛と逃げられました。ここで△7五飛だと今度は▲8六角と打たれます。
△6四角はそれを避けつつ香取り。▲3七桂に△2五桂と跳ねて好調のようですが▲4五桂の跳ね違い。後手は△6二金と受けたのですが,手順からいってここで△1九角成と取れないのはおかしく,この局面は先手の方がいいのだろうと思います。
▲4六歩と角成りを受けたところで△7五飛と取ることはできましたが,これはよい形で取ったとはいえず,先手は▲2六歩と催促しました。
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実戦のようにここで△4五飛と切らなければいけないのではさすがに後手が苦しいでしょう。先手はこの後やや攻め急ぎすぎたように思いますが,逆転には至りませんでした。
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4勝3敗で羽生王位の防衛。第34期,35期,36期,37期,38期,39期,40期,41期,42期,45期,46期,47期,52期,53期,54期,55期,56期と獲得しているので6連覇で通算18期目の王位獲得です。
『走れメロス』に第三者的視点を適用する場合の難点を説明する前に,ディオニスに関して次のこともいっておきます。
他人を簡単に信じてはいけないという戒めを有することで暴君になったディオニスが,メロスが処刑されると分かっていながらセリヌンティウスとの約束を守って,つまりセリヌンティウスからの信頼に応えて帰ってきただけで容易に改心してしまうのは,人によっては不自然であると感じられるかもしれません。けれど僕はその点に関してはそれほど不自然であるとは思っていません。なぜなら,ディオニスは何らかの論理的理由によって他人を信用しなくなったわけでなく,他人から裏切られた経験によって信用しなくなっただけであるからです。
実際にはディオニスは他人を信用していなかったのですが,人間というものが信頼できる存在であってほしいという願望は有していたのです。『カラマーゾフの兄弟』ではイワンは神は存在しないということを半ば確信していながら,平和のイメージも具体的な形で有していました。つまりイワンは無神論者であった,神は存在しないと思っているという意味で無神論者ではあったのですが,神が存在してほしいという願望は有していたといえます。ちょうどこれと同じように,ディオニスは人間は簡単に他人を裏切るものであって,だから信用してはいけないものであるとは思っていたのですが,同時に人間は信用に足る存在であってほしい,あるいは信頼することができる人間が存在してほしいという願望は有していたのです。哲学的にいうとこれは不安と希望は表裏一体であるから,希望spesがないような不安metusは存在しないし,不安が皆無である希望も存在しないという意味なのであって,現実的に存在するひとりの人間の精神状態としては少しも矛盾するものではありません。人が他人を裏切るとか,人を信用してはいけないというのは,ディオニスが一般的に人をみるときの,人に対する不安です。それが意識化されているのですから,希望も確かに存在したのです。ただそれは意識化されていなかっただけです。そしてその希望が達成されたから,ディオニスはあっさりと改心することになったのです。