香港のシャティン競馬場で行われた昨日のクイーンエリザベスⅡ世カップGⅠ芝2000m。
メンバー構成からネオリアリズムが逃げることになるのではないかと予想していましたが,控えて5,6番手の外で発走後の正面を通過。外にいたためにコーナーで自然と位置が下がり,単独の6番手になって向正面ヘ。行きたがっているのを無理に抑えているように見えていたのですが,向正面の半ばから外を一気に進出。3コーナーの手前でハナに立ち,一時的に2馬身ほどのリード。最初の400mが28秒03,次の400mが26秒77でこれはスローペース。この馬が動くことによって24秒99までラップが上がりましたので,間違いなくレースを動かしたといえるでしょう。
直線に入るところでリードはやや縮まっていました。ここから後続馬が追い上げてきたのですが,鋭い脚を使う馬はなく,差はじわじわと縮まっただけ。フィニッシュまでそのまま粘り切り,最後はクビ差まで迫られたものの優勝しました。
優勝したネオリアリズムは前走の中山記念からの連勝。重賞3勝目で大レースは初制覇。展開利があったとはいえモーリスを降したことがある馬ですから,この相手でも勝っておかしくない力量があると考えていました。どういう意図からあのような騎乗になったのかよく分からないのですが,結果的にいえばかなりの好騎乗だったということになるでしょう。中距離の適性が高い馬であると思います。父はネオユニヴァース。半兄に2007年のオーシャンステークスを勝ったアイルラヴァゲイン,2011年の安田記念と2015年のジョージライダーステークスを勝ったリアルインパクト。
日本馬による海外GⅠ制覇は3月のドバイターフ以来。香港では昨年12月の香港カップ以来。クイーンエリザベスⅡ世カップは2002年,2003年,2012年に続き5年ぶりの4勝目。騎乗した香港のジョアン・モレイラ騎手はドバイターフ以来の日本馬に騎乗しての大レース制覇。香港では昨年12月の香港ヴァーズ以来。クイーンエリザベスⅡ世カップを日本馬で勝ったのは初めて。管理している堀宣行調教師は香港カップ以来の大レース制覇。クイーンエリザベスⅡ世カップは初勝利。
『エチカ』では第三種の認識cognitio tertii generisは,神Deusの属性attributumの形相的本性essentia formalisの十全な観念から事物の本性の十全な認識へと進む認識であるとされています。ここで事物といわれているもののうちに,個物res singularis,とくに現実的に存在する個物も含まれると僕は考えます。したがって,神の属性の形相的本性の十全な観念を原因として,現実的に存在する個物の現実的本性actualis essentiaの十全な観念が結果として生起するような認識が存在する,あるいは可能であるとスピノザはいっていると僕は解します。そしてこうした認識は,現実的に存在する人間の精神mens humanaによって可能であるといわれていると解します。

人間の精神であれ身体corpusであれ,それが個物であることは否定できません。ですから現実的に存在する人間の精神が,現実的に存在する自己に関係する十全な観念を第三種の認識を通して認識することができるということに関しては僕は否定しません。ただそれは,自己認識というような認識でないと解するということです。
この点については予め僕の見解を述べておいた方が,この後の論考の理解が容易になると思います。ですから先に結論だけ示しておきます。確かに僕たちは,少なくとも僕たちの精神が永遠aeterunusであるといって差し支えはない認識をします。あるいはそういう認識を体験します。ですがその認識を体験として適当な仕方で示すならば,それは自分の精神が永遠であるということを感じるというように説明される出来事ではないと解するのです。いい換えればそれは,これとは別の仕方で説明されるべき認識でありまた体験であるというように考えるのです。
まず,基本的な事柄から始めましょう。第五部定理二三備考の中で,僕たちが事物の存在を時間tempusによって把握することができるのは,他面からいえばある事物を持続するdurareものとして認識することができるのは,僕たち自身が持続している限りにおいてであるという主旨のことがいわれています。そしてこの場合には自己認識というものが成立します。たとえば自分の精神と他者の精神とを僕たちは一般的に把握する場合もあるでしょうが,別個に認識する場合が確実にあるからです。ただしこの場合の自己認識は十全ではあり得ません。
メンバー構成からネオリアリズムが逃げることになるのではないかと予想していましたが,控えて5,6番手の外で発走後の正面を通過。外にいたためにコーナーで自然と位置が下がり,単独の6番手になって向正面ヘ。行きたがっているのを無理に抑えているように見えていたのですが,向正面の半ばから外を一気に進出。3コーナーの手前でハナに立ち,一時的に2馬身ほどのリード。最初の400mが28秒03,次の400mが26秒77でこれはスローペース。この馬が動くことによって24秒99までラップが上がりましたので,間違いなくレースを動かしたといえるでしょう。
直線に入るところでリードはやや縮まっていました。ここから後続馬が追い上げてきたのですが,鋭い脚を使う馬はなく,差はじわじわと縮まっただけ。フィニッシュまでそのまま粘り切り,最後はクビ差まで迫られたものの優勝しました。
優勝したネオリアリズムは前走の中山記念からの連勝。重賞3勝目で大レースは初制覇。展開利があったとはいえモーリスを降したことがある馬ですから,この相手でも勝っておかしくない力量があると考えていました。どういう意図からあのような騎乗になったのかよく分からないのですが,結果的にいえばかなりの好騎乗だったということになるでしょう。中距離の適性が高い馬であると思います。父はネオユニヴァース。半兄に2007年のオーシャンステークスを勝ったアイルラヴァゲイン,2011年の安田記念と2015年のジョージライダーステークスを勝ったリアルインパクト。
日本馬による海外GⅠ制覇は3月のドバイターフ以来。香港では昨年12月の香港カップ以来。クイーンエリザベスⅡ世カップは2002年,2003年,2012年に続き5年ぶりの4勝目。騎乗した香港のジョアン・モレイラ騎手はドバイターフ以来の日本馬に騎乗しての大レース制覇。香港では昨年12月の香港ヴァーズ以来。クイーンエリザベスⅡ世カップを日本馬で勝ったのは初めて。管理している堀宣行調教師は香港カップ以来の大レース制覇。クイーンエリザベスⅡ世カップは初勝利。
『エチカ』では第三種の認識cognitio tertii generisは,神Deusの属性attributumの形相的本性essentia formalisの十全な観念から事物の本性の十全な認識へと進む認識であるとされています。ここで事物といわれているもののうちに,個物res singularis,とくに現実的に存在する個物も含まれると僕は考えます。したがって,神の属性の形相的本性の十全な観念を原因として,現実的に存在する個物の現実的本性actualis essentiaの十全な観念が結果として生起するような認識が存在する,あるいは可能であるとスピノザはいっていると僕は解します。そしてこうした認識は,現実的に存在する人間の精神mens humanaによって可能であるといわれていると解します。

人間の精神であれ身体corpusであれ,それが個物であることは否定できません。ですから現実的に存在する人間の精神が,現実的に存在する自己に関係する十全な観念を第三種の認識を通して認識することができるということに関しては僕は否定しません。ただそれは,自己認識というような認識でないと解するということです。
この点については予め僕の見解を述べておいた方が,この後の論考の理解が容易になると思います。ですから先に結論だけ示しておきます。確かに僕たちは,少なくとも僕たちの精神が永遠aeterunusであるといって差し支えはない認識をします。あるいはそういう認識を体験します。ですがその認識を体験として適当な仕方で示すならば,それは自分の精神が永遠であるということを感じるというように説明される出来事ではないと解するのです。いい換えればそれは,これとは別の仕方で説明されるべき認識でありまた体験であるというように考えるのです。
まず,基本的な事柄から始めましょう。第五部定理二三備考の中で,僕たちが事物の存在を時間tempusによって把握することができるのは,他面からいえばある事物を持続するdurareものとして認識することができるのは,僕たち自身が持続している限りにおいてであるという主旨のことがいわれています。そしてこの場合には自己認識というものが成立します。たとえば自分の精神と他者の精神とを僕たちは一般的に把握する場合もあるでしょうが,別個に認識する場合が確実にあるからです。ただしこの場合の自己認識は十全ではあり得ません。