昨日の第29回かしわ記念。
コパノリッキーはジャンプするような発馬。先手を奪ったのはモーニンで向正面では2馬身以上のリードに。単独の2番手にはブラゾンドゥリス。1馬身半くらいでベストウォーリアが3番手。また1馬身半ほどの差でインカンテーションとリッカルド。さらに2馬身離れてコパノリッキーが追走という隊列。前半の800mは48秒9でややハイペース。
3コーナーを回ってブラゾンドゥリスがモーニンとの差を詰め始めその外にベストウォーリアでインカンテーションは内から追撃。遅れ始めたリッカルドの外からコパノリッキーも追い上げてきました。直線に入ると内からモーニン,インカンテーション,ブラゾンドゥリス,ベストウォーリア,コパノリッキーという並びに。直線の半ばでブラゾンドゥリスが少しだけ外によれたのでベストウォーリアは瞬間的に走りにくくなったかもしれません。それらと対照的に大外を真直ぐに伸びてきたコパノリッキーが内の4頭をすべて捕えて優勝。コースロスなく立ち回れたインカンテーションが2馬身差で2着。能力からすると不甲斐ない成績が続いていたものの逃げることで力を発揮できたモーニンがクビ差の3着。
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優勝したコパノリッキーは南部杯以来の勝利で大レース9勝目。第26回,28回に続き連覇でかしわ記念3勝目。南部杯以降は4戦して2度の5着が最高着順と結果をまったく残せていませんでしたが,このメンバーなら力量最上位は疑い得ず,優勝候補の筆頭とみていました。発馬が悪かったのはひやりとしましたし,逃げるつもりはなかったような騎乗にはみえたものの,あれほど後ろの位置になるとは想定していなかったのではないかと思います。それでも突き抜けられたのは能力の高さの証明ですが,こういうレースで勝つことができたのはこの距離だったからだとは思えます。もっと長い距離でここまで控えて差してくるというのは難しいのではないでしょうか。父はゴールドアリュール。祖母の従弟に2002年の大阪杯,2005年の大阪杯と毎日王冠を勝ったサンライズペガサス。
騎乗した武豊騎手は天皇賞(春)に続いての大レース制覇。第9回,28回に続いてかしわ記念は連覇で3勝目。管理している村山明調教師は川崎記念以来の大レース制覇。第26回,28回に続いてかしわ記念は連覇で3勝目。
無限知性intellectus infinitus,infinitus intellectusが現実的に存在する個物res singularisの観念ideaの起成原因causa efficiensではないということは,第二部定理九が示していることそのものであるといえます。ここでの仮定に照らし合わせていうなら,現実的に存在する個物Xの観念の起成原因は,現実的に存在する個物Yの観念という様態的変状modificatioに様態化した神Deusであるということが,この定理Propositioのうちに含まれているといえるからです。現実的に存在する個物Yの観念に様態化した神というのは,無限知性に様態化した神ではないということは明白でしょう。ですから無限知性のうちに現実的に存在する個物Xの十全な観念が含まれている,他面からいえば無限知性が現実的に存在する個物Xの観念を十全に認識するのであるとしても,その間に因果関係があるとはいえないのです。
なぜこの点に注意しなければならないのかといえば,一般に現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちにAの観念がある,あるいは発生するということは,この人間の精神がAを認識するという意味ですが,この場合には人間の精神はAの観念に対して起成原因なのです。人間の精神が十全な原因causa adaequataであるならその人間はAを十全に認識しますし,人間の精神が部分的原因causa inadaequata,causa partialisである場合にはその人間はAを混乱して認識します。そしてこれ以外には人間の精神が何かを認識することはあり得ません。
ですから,無限知性のうちに現実的に存在する個物Xの観念があるということと,現実的に存在する人間の精神のうちにAの観念があるということは,知性と観念の関係を構造的にみるならば同じことをいっています。すなわち無限知性はXを認識しますし,人間の精神はAを認識します。ですがそれを動態的にないしはひとつの現象としてみた場合には,実は違ったことをいっているのです。こういう相違があるということに注意してください。そして,無限知性が現実的に存在する個物を認識するということを,僕たちが何かを認識するというのと同じようなイメージで把握しないようにしてください。
さらにこのことは,第二部定理九とだけ関係するのではありません。続く第二部定理九系とも関係するのです。たぶんこちらの方が哲学的にはより重要であると思われます。
コパノリッキーはジャンプするような発馬。先手を奪ったのはモーニンで向正面では2馬身以上のリードに。単独の2番手にはブラゾンドゥリス。1馬身半くらいでベストウォーリアが3番手。また1馬身半ほどの差でインカンテーションとリッカルド。さらに2馬身離れてコパノリッキーが追走という隊列。前半の800mは48秒9でややハイペース。
3コーナーを回ってブラゾンドゥリスがモーニンとの差を詰め始めその外にベストウォーリアでインカンテーションは内から追撃。遅れ始めたリッカルドの外からコパノリッキーも追い上げてきました。直線に入ると内からモーニン,インカンテーション,ブラゾンドゥリス,ベストウォーリア,コパノリッキーという並びに。直線の半ばでブラゾンドゥリスが少しだけ外によれたのでベストウォーリアは瞬間的に走りにくくなったかもしれません。それらと対照的に大外を真直ぐに伸びてきたコパノリッキーが内の4頭をすべて捕えて優勝。コースロスなく立ち回れたインカンテーションが2馬身差で2着。能力からすると不甲斐ない成績が続いていたものの逃げることで力を発揮できたモーニンがクビ差の3着。
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優勝したコパノリッキーは南部杯以来の勝利で大レース9勝目。第26回,28回に続き連覇でかしわ記念3勝目。南部杯以降は4戦して2度の5着が最高着順と結果をまったく残せていませんでしたが,このメンバーなら力量最上位は疑い得ず,優勝候補の筆頭とみていました。発馬が悪かったのはひやりとしましたし,逃げるつもりはなかったような騎乗にはみえたものの,あれほど後ろの位置になるとは想定していなかったのではないかと思います。それでも突き抜けられたのは能力の高さの証明ですが,こういうレースで勝つことができたのはこの距離だったからだとは思えます。もっと長い距離でここまで控えて差してくるというのは難しいのではないでしょうか。父はゴールドアリュール。祖母の従弟に2002年の大阪杯,2005年の大阪杯と毎日王冠を勝ったサンライズペガサス。
騎乗した武豊騎手は天皇賞(春)に続いての大レース制覇。第9回,28回に続いてかしわ記念は連覇で3勝目。管理している村山明調教師は川崎記念以来の大レース制覇。第26回,28回に続いてかしわ記念は連覇で3勝目。
無限知性intellectus infinitus,infinitus intellectusが現実的に存在する個物res singularisの観念ideaの起成原因causa efficiensではないということは,第二部定理九が示していることそのものであるといえます。ここでの仮定に照らし合わせていうなら,現実的に存在する個物Xの観念の起成原因は,現実的に存在する個物Yの観念という様態的変状modificatioに様態化した神Deusであるということが,この定理Propositioのうちに含まれているといえるからです。現実的に存在する個物Yの観念に様態化した神というのは,無限知性に様態化した神ではないということは明白でしょう。ですから無限知性のうちに現実的に存在する個物Xの十全な観念が含まれている,他面からいえば無限知性が現実的に存在する個物Xの観念を十全に認識するのであるとしても,その間に因果関係があるとはいえないのです。
なぜこの点に注意しなければならないのかといえば,一般に現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちにAの観念がある,あるいは発生するということは,この人間の精神がAを認識するという意味ですが,この場合には人間の精神はAの観念に対して起成原因なのです。人間の精神が十全な原因causa adaequataであるならその人間はAを十全に認識しますし,人間の精神が部分的原因causa inadaequata,causa partialisである場合にはその人間はAを混乱して認識します。そしてこれ以外には人間の精神が何かを認識することはあり得ません。
ですから,無限知性のうちに現実的に存在する個物Xの観念があるということと,現実的に存在する人間の精神のうちにAの観念があるということは,知性と観念の関係を構造的にみるならば同じことをいっています。すなわち無限知性はXを認識しますし,人間の精神はAを認識します。ですがそれを動態的にないしはひとつの現象としてみた場合には,実は違ったことをいっているのです。こういう相違があるということに注意してください。そして,無限知性が現実的に存在する個物を認識するということを,僕たちが何かを認識するというのと同じようなイメージで把握しないようにしてください。
さらにこのことは,第二部定理九とだけ関係するのではありません。続く第二部定理九系とも関係するのです。たぶんこちらの方が哲学的にはより重要であると思われます。