有楽町朝日ホールで指された第11回朝日杯将棋オープンの決勝。広瀬章人八段と藤井聡太五段は公式戦初対局。
振駒で藤井五段が先手になり角換り相腰掛銀。後手の広瀬八段が新趣向を披露する将棋に。
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先手が仕掛けた局面ですが,この仕掛けは成立しているというのが見解として定着していたのではないかと思います。
ここで☖5二王と寄ったのはおそらく新手。たぶん研究していた手だったのだろうと推測します。先手が知っていたかどうかは分かりませんがうまく対応しました。
まず☗2五桂と跳ねます。これには☖2二銀もなくはないと思いますが☖2四銀と受けました。そこで☗4四歩の取り込み。このときに☖4一飛と回るのが後手が王を寄ったときからの狙いです。
☗7五歩☖同歩☗7四歩で後手は桂損が確定しますがそこで☖4四飛。先手は歩がないので受け方が難しいというのが後手の主張。
先手は☗4七銀と引いて受けました。次に☗8二角の狙いがあるので香車を受けて☖4一飛。そこで☗6七角と打ったのが両睨みの好手で,ここで先手がリードを奪ったのではないかと思います。
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第2図以降は先手が攻め,後手が受けるという展開に終始。終盤で才能を感じる手が出ました。
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後手が桂馬を打って7三を受けた局面。ここで☗5六銀とこの銀を使いにいきました。ただこの手は☖3七角があるだけに危なくみえます。角は取れませんし,6四の成銀をとられてもいけないのでどうするのかと思っていたのですが,☗7三歩成☖同桂☗同成銀☖同金☗同桂成☖同王と清算してしまい,☗4四桂と打つのが見事な返し技でした。
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☖同飛は☗4五歩で困るので☖2六角成でしたが☗3二桂成と金を入手でき,大勢が決しました。
藤井五段が四段昇段から約1年4ヶ月半で棋戦初優勝。同時に六段昇段。この棋歴で全棋士参加棋戦での優勝は快挙にほかなりませんが,藤井新六段の棋士人生においてはこれはほんの序曲にすぎないのでしょう。
Xという国家Imperiumにある政治的指導者Aがいると仮定します。同じX国の国民であるジャーナリストBが,Aの施策に対して批判的な論述を展開したとしましょう。このとき,Aの支持者であるCが,BがAを攻撃したとみなしてBを憎むとき,CはBに対して憤慨していることになります。スピノザが害悪というのは,悲しみtristitiaを齎す事象のことをいうのであり,Bの論述によってAが悲しみを感じるとCが表象するimaginariことはあり得ます。そしてこの場合には第三部定理二二によってCはBを憎みます。つまりこうしたことは現実的に生じます。かつこれは第三部諸感情の定義二〇の条件に合致した憎しみodiumです。よってこれはCによるAに対する憤慨indignatioであることになります。
ここでひとつだけ,憤慨という感情affectusを理解するにあたって注意しておかなければならないことを示しておきます。
ある人間に悲しみを齎すのは,他の人間だけとは限りません。たとえば自然災害がある人間に悲しみを齎すことはあります。これは経験的に僕たちが知っているところでしょう。そこでもし僕たちが愛する者がある自然災害によって悲しみを感じている,いい換えれば自然災害によって被害を受けたと表象するなら,僕たちは同じ理屈でその自然災害に対して憎しみを感じるのです。このことも僕たちは経験の上で知っているといっていいのではないかと思います。このときに,僕たちはその自然災害に対して憤慨しているということは,語法の上で大きな過ちを犯しているとは僕は考えません。ただ,スピノザの定義Definitioによれば,憤慨という感情は,人間を対象とした場合についてのみいわれることになっています。なので,この自然災害に対する憎しみは,憤慨とはいえないことになります。
スピノザは,この憤慨とその反対感情である第三部諸感情の定義一九の好意favorについて,通常の用法では別の意味を有するということは知っているけれども,目的は語の意味を説明することではなくて,感情の本性naturaを説明することにあるからこれらふたつの名称を用いるという主旨のことをいっています。憤慨と好意を解する際には,ことばと観念が異なるということに注意しておかなければなりません。
振駒で藤井五段が先手になり角換り相腰掛銀。後手の広瀬八段が新趣向を披露する将棋に。
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先手が仕掛けた局面ですが,この仕掛けは成立しているというのが見解として定着していたのではないかと思います。
ここで☖5二王と寄ったのはおそらく新手。たぶん研究していた手だったのだろうと推測します。先手が知っていたかどうかは分かりませんがうまく対応しました。
まず☗2五桂と跳ねます。これには☖2二銀もなくはないと思いますが☖2四銀と受けました。そこで☗4四歩の取り込み。このときに☖4一飛と回るのが後手が王を寄ったときからの狙いです。
☗7五歩☖同歩☗7四歩で後手は桂損が確定しますがそこで☖4四飛。先手は歩がないので受け方が難しいというのが後手の主張。
先手は☗4七銀と引いて受けました。次に☗8二角の狙いがあるので香車を受けて☖4一飛。そこで☗6七角と打ったのが両睨みの好手で,ここで先手がリードを奪ったのではないかと思います。
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第2図以降は先手が攻め,後手が受けるという展開に終始。終盤で才能を感じる手が出ました。
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後手が桂馬を打って7三を受けた局面。ここで☗5六銀とこの銀を使いにいきました。ただこの手は☖3七角があるだけに危なくみえます。角は取れませんし,6四の成銀をとられてもいけないのでどうするのかと思っていたのですが,☗7三歩成☖同桂☗同成銀☖同金☗同桂成☖同王と清算してしまい,☗4四桂と打つのが見事な返し技でした。
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☖同飛は☗4五歩で困るので☖2六角成でしたが☗3二桂成と金を入手でき,大勢が決しました。
藤井五段が四段昇段から約1年4ヶ月半で棋戦初優勝。同時に六段昇段。この棋歴で全棋士参加棋戦での優勝は快挙にほかなりませんが,藤井新六段の棋士人生においてはこれはほんの序曲にすぎないのでしょう。
Xという国家Imperiumにある政治的指導者Aがいると仮定します。同じX国の国民であるジャーナリストBが,Aの施策に対して批判的な論述を展開したとしましょう。このとき,Aの支持者であるCが,BがAを攻撃したとみなしてBを憎むとき,CはBに対して憤慨していることになります。スピノザが害悪というのは,悲しみtristitiaを齎す事象のことをいうのであり,Bの論述によってAが悲しみを感じるとCが表象するimaginariことはあり得ます。そしてこの場合には第三部定理二二によってCはBを憎みます。つまりこうしたことは現実的に生じます。かつこれは第三部諸感情の定義二〇の条件に合致した憎しみodiumです。よってこれはCによるAに対する憤慨indignatioであることになります。
ここでひとつだけ,憤慨という感情affectusを理解するにあたって注意しておかなければならないことを示しておきます。
ある人間に悲しみを齎すのは,他の人間だけとは限りません。たとえば自然災害がある人間に悲しみを齎すことはあります。これは経験的に僕たちが知っているところでしょう。そこでもし僕たちが愛する者がある自然災害によって悲しみを感じている,いい換えれば自然災害によって被害を受けたと表象するなら,僕たちは同じ理屈でその自然災害に対して憎しみを感じるのです。このことも僕たちは経験の上で知っているといっていいのではないかと思います。このときに,僕たちはその自然災害に対して憤慨しているということは,語法の上で大きな過ちを犯しているとは僕は考えません。ただ,スピノザの定義Definitioによれば,憤慨という感情は,人間を対象とした場合についてのみいわれることになっています。なので,この自然災害に対する憎しみは,憤慨とはいえないことになります。
スピノザは,この憤慨とその反対感情である第三部諸感情の定義一九の好意favorについて,通常の用法では別の意味を有するということは知っているけれども,目的は語の意味を説明することではなくて,感情の本性naturaを説明することにあるからこれらふたつの名称を用いるという主旨のことをいっています。憤慨と好意を解する際には,ことばと観念が異なるということに注意しておかなければなりません。