スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典エンプレス杯&第四部定理四五証明

2018-02-28 19:08:08 | 地方競馬
 キヨフジ記念の第64回エンプレス杯
                                     
 クラカルメンは発馬で躓き大きく離されました。騎手が戻って今日はプリンシアコメータが逃げるだろうと思っていたのですが,先手を奪ったのはサルサディオーネ。プリンシアコメータは2番手で3番手にアンジュデジール,ステップオブダンス,ミッシングリンクの3頭。6番手にラインハートとワンミリオンス。この後ろは離れて7番手にエミノマユアクで8番手がジュンアイノキミとティルヴィング。また離れてクラカルメンで1周目の向正面を通過。正面に入ると隊列が凝縮。3番手はアンジュデジールとミッシングリンクとなり,5番手にラインハート,ステップオブダンス,ワンミリオンスでここまで先行集団。中団がジュンアイノキミ,ティルヴィング,エミノマユアクの3頭で最後尾にクラカルメン。1周目の向正面の分だけのハイペース。
 2周目の向正面に入ってティルヴィングは先行勢の直後に。あとは離れてエミノマユアク,ジュンアイノキミ,クラカルメンで,それぞれの差も大きくなりました。3コーナーを回ってサルサディオーネが差を広げにかかり,ついていったのがプリンシアコメータ。内にアンジュデジール,外からワンミリオンス,アンジュデジールの後ろにラインハートで勝負圏内はこの5頭。直線に入ってもサルサディオーネとプリンシアコメータの差はなかなか詰まっていかず,プリンシアコメータの外からアンジュデジールが伸び,内の2頭を捕えて優勝。プリンシアコメータがフィニッシュでようやくサルサディオーネに追いつき,2着は大接戦。写真判定の結果,プリンシアコメータが1馬身半差で2着。サルサディオーネはハナ差の3着。
 優勝したアンジュデジールは昨年のスパーキングレディーカップ以来の勝利で重賞2勝目。プリンシアコメータに対しては分が悪かったのですが,それはおそらくプリンシアコメータは逃げて持ち味を発揮する馬で,過去の対戦時はそういう展開になっていたからだったのでしょう。またこちらは4歳で,成長力もあったとも解せそうです。戦績からは川崎コースに高い適性がありそうなので,他場で割り引く必要まではないかもしれませんが,川崎では少し増しておくのがよいかもしれません。父はディープインパクト。母の半弟に昨年の川崎記念を勝っている現役のオールブラッシュ。Ange Desirはフランス語で天使の欲望。
 騎乗した横山典弘騎手は第42回と43回の連覇があり,22年ぶりのエンプレス杯3勝目。回数と年数の差が合っていないのは,当時は夏に行われていたため。管理している昆貢調教師はエンプレス杯初勝利。

 第四部定理三五によれば,人間は理性ratioに従う限りで本性naturaの上で一致します。一方,第三部定理三九によれば,人間はある人間を憎む限りで,その人間を滅ぼそうとします。つまり人間は別の人間を憎む限りで,自分の本性と一致するものを滅ぼそうとするのです。このゆえにスピノザは憎しみodiumを一律的に否定します。だから第四部定理四五では,憎しみは善bonumではあり得ないといわれているのです。
 ただし,第四部定理四五を証明する上では,これだけではまだ不十分なところがあります。というのは,本性が一致するものを滅ぼそうとすることは善ではあり得ないということは,それ自体で明らかであるとはいえないからです。したがってこの部分も明らかにしておかなければなりません。
 このことの根拠となるのは第四部定理三一です。この定理Propositioから理解できるように,たとえばBの本性がAと一致するのであれば,BはAにとっては必然的にnecessario善です。もちろん同時に,この場合にはBにとってAは善であることになります。しかるに人間の本性natura humanaは人間が理性に従う限りでは必然的に一致するのですから,すべての人間が理性に従う限りにおいて,人間は人間に対して必然的に善であるということになります。そのことを具体的に示しているのが第四部定理三五系一であるということになります。この系Corollariumでは,善であるとはいわれずに有益であるといわれていますが,すでに示したように,有益であると確知するcerto scimusものが善なのですから,これは善である,系の文章に倣えば,人間にとって理性に従う人間ほど善なるいかなる個物res singularisも自然のうちには存在しないということになるでしょう。まして,人間は理性に従う限りでは,これらのことを単に確知するというよりは真に認識するのですから,Aという人間が理性に従っているなら,Aは自分にとって最も有益な個物,いい換えれば最も善である個物は理性に従う別の人間であるということを真に認識するということになります。
 よって,憎しみは,人間にとって最も有益であるべき個物,最も善である個物を滅ぼそうとする感情affectusです。したがってこの感情が善であるということ,有益であるということはあり得ないのです。
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