第41回京浜盃。
ダッシュがよかったワグナーコーヴがハナを奪いましたが,ヤマノファイトが外に並び,2頭で逃げるようなレースに。やや開いた3番手にクリスタルシルバーで内の4番手にハセノパイロ。ここまでが先行集団で,2馬身ほど開いてフレアリングダイヤとドンビーが好位を追走。4馬身ほど開いてクロスケ。また3馬身ほど開いてリコーワルサー。ツルマルパラダイスとレベルスリーがその直後。4馬身ほど開いて後方からビクトリアペガサス,トーセンブル,マルカンセンサーという隊列。序盤は縦長でしたが,向正面で徐々に凝縮していきました。スローペースに近いくらいのミドルペースであったと思われます。
このペースですから前の2頭は余力があり,直線に入ると3番手のクリスタルシルバーを引き離して叩き合い。この競り合いは外のヤマノファイトが制して優勝。逃げたワグナーコーヴが4分の3馬身差で2着。クリスタルシルバーの外からハセノパイロとリコーワルサーが追いましたがやや伸びあぐね,それより遅れて2頭の内から追ってきたクロスケの伸びが優って2馬身半差の3着。クリスタルシルバーが4分の3馬身差の4着でハセノパイロはクビ差で5着。さらに半馬身差でリコーワルサーが6着。
優勝したヤマノファイトはニューイヤーカップからの連勝で南関東重賞2勝目。ニューイヤーカップのときは,それを十分に生かしたとはいえなくとも浦和の1600mで内目の枠を引いての優勝でしたから,外枠だった馬たちに対してはっきりとした能力差があったのかどうかについては半信半疑でした。しかし今日も勝ったということは,南関東の牡馬の中ではトップクラスの力がある馬とみていいのではないでしょうか。当然,クラシックの有力候補です。父はエスポワールシチー。母のはとこに2006年に京都新聞杯と中日新聞杯,2008年に京都大賞典を勝ったトーホウアラン。6代母がクレアーブリッジの祖母。
騎乗した船橋の本橋孝太騎手はニューイヤーカップ以来の南関東重賞14勝目。京浜盃は初勝利。管理している船橋の矢野義幸調教師は南関東重賞14勝目。京浜盃は初勝利。
謙遜humilitasという語は,大抵の場合は自分についてではなく他人について用いられます。このことは,僕たちは「あの人は謙遜している」といういい方はしますが,「私は謙遜しています」とはいわないということから明白でしょう。そしてこのことは普通は他人の態度について用いられますが,ここではあくまでもそれが感情affectusであると仮定しておきます。
なぜ僕たちが自分自身について謙遜という語を用いないかといえば,「謙遜する」という語の中には,嘘をついているという意味が含まれているからです。つまり,「私は謙遜しています」というのは,「私は嘘をついています」といっているのも同じであり,そのことを表明するのは理に反します。このゆえに僕たちは他人については謙遜していると表現あるいは形容するのですが,自分についてはそうしないのです。逆にいえば,「あの人は謙遜している」というのは,「あの人は嘘をついている」といっているのと同じです。これは表象imaginatioなので,実際に謙遜していると表象されている人が嘘をついているとは限りませんが,それを表象している人は,その人は嘘をついていると判断しているのです。
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それがどのような嘘であるかを感情によって示せば,第三部諸感情の定義二五の自己満足acquiescentia in se ipsoを感じているのに,それを感じていないふりをしているということになります。すなわち「あの人は謙遜している」という文章が有する意味は,「あの人は自己満足を感じていないように装っている」ということです。繰り返しますがこれは他人についての表象ですから,この文章のあの人が,本当に自己満足を感じていてそれを悟られまいとしているのか,本当は自己満足を感じていないのかは分かりません。しかし語の意味としていえば謙遜というのは,自己満足とともにあり,しかしそれを悟られまいとする欲望cupiditasであるというのが,これを感情としてみた場合の,的確な説明になると僕は考えます。
このゆえに,第三部諸感情の定義二六の感情を謙遜と訳すのは,日本語の語用として適切ではないと僕は考えます。なぜならそれは自己満足と相反する感情でなければならないからです。よって僕はこれを自己嫌悪humilitasと訳すのです。
ダッシュがよかったワグナーコーヴがハナを奪いましたが,ヤマノファイトが外に並び,2頭で逃げるようなレースに。やや開いた3番手にクリスタルシルバーで内の4番手にハセノパイロ。ここまでが先行集団で,2馬身ほど開いてフレアリングダイヤとドンビーが好位を追走。4馬身ほど開いてクロスケ。また3馬身ほど開いてリコーワルサー。ツルマルパラダイスとレベルスリーがその直後。4馬身ほど開いて後方からビクトリアペガサス,トーセンブル,マルカンセンサーという隊列。序盤は縦長でしたが,向正面で徐々に凝縮していきました。スローペースに近いくらいのミドルペースであったと思われます。
このペースですから前の2頭は余力があり,直線に入ると3番手のクリスタルシルバーを引き離して叩き合い。この競り合いは外のヤマノファイトが制して優勝。逃げたワグナーコーヴが4分の3馬身差で2着。クリスタルシルバーの外からハセノパイロとリコーワルサーが追いましたがやや伸びあぐね,それより遅れて2頭の内から追ってきたクロスケの伸びが優って2馬身半差の3着。クリスタルシルバーが4分の3馬身差の4着でハセノパイロはクビ差で5着。さらに半馬身差でリコーワルサーが6着。
優勝したヤマノファイトはニューイヤーカップからの連勝で南関東重賞2勝目。ニューイヤーカップのときは,それを十分に生かしたとはいえなくとも浦和の1600mで内目の枠を引いての優勝でしたから,外枠だった馬たちに対してはっきりとした能力差があったのかどうかについては半信半疑でした。しかし今日も勝ったということは,南関東の牡馬の中ではトップクラスの力がある馬とみていいのではないでしょうか。当然,クラシックの有力候補です。父はエスポワールシチー。母のはとこに2006年に京都新聞杯と中日新聞杯,2008年に京都大賞典を勝ったトーホウアラン。6代母がクレアーブリッジの祖母。
騎乗した船橋の本橋孝太騎手はニューイヤーカップ以来の南関東重賞14勝目。京浜盃は初勝利。管理している船橋の矢野義幸調教師は南関東重賞14勝目。京浜盃は初勝利。
謙遜humilitasという語は,大抵の場合は自分についてではなく他人について用いられます。このことは,僕たちは「あの人は謙遜している」といういい方はしますが,「私は謙遜しています」とはいわないということから明白でしょう。そしてこのことは普通は他人の態度について用いられますが,ここではあくまでもそれが感情affectusであると仮定しておきます。
なぜ僕たちが自分自身について謙遜という語を用いないかといえば,「謙遜する」という語の中には,嘘をついているという意味が含まれているからです。つまり,「私は謙遜しています」というのは,「私は嘘をついています」といっているのも同じであり,そのことを表明するのは理に反します。このゆえに僕たちは他人については謙遜していると表現あるいは形容するのですが,自分についてはそうしないのです。逆にいえば,「あの人は謙遜している」というのは,「あの人は嘘をついている」といっているのと同じです。これは表象imaginatioなので,実際に謙遜していると表象されている人が嘘をついているとは限りませんが,それを表象している人は,その人は嘘をついていると判断しているのです。
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それがどのような嘘であるかを感情によって示せば,第三部諸感情の定義二五の自己満足acquiescentia in se ipsoを感じているのに,それを感じていないふりをしているということになります。すなわち「あの人は謙遜している」という文章が有する意味は,「あの人は自己満足を感じていないように装っている」ということです。繰り返しますがこれは他人についての表象ですから,この文章のあの人が,本当に自己満足を感じていてそれを悟られまいとしているのか,本当は自己満足を感じていないのかは分かりません。しかし語の意味としていえば謙遜というのは,自己満足とともにあり,しかしそれを悟られまいとする欲望cupiditasであるというのが,これを感情としてみた場合の,的確な説明になると僕は考えます。
このゆえに,第三部諸感情の定義二六の感情を謙遜と訳すのは,日本語の語用として適切ではないと僕は考えます。なぜならそれは自己満足と相反する感情でなければならないからです。よって僕はこれを自己嫌悪humilitasと訳すのです。