スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

天皇賞(春)&神のうちの観念

2018-04-29 19:08:09 | 中央競馬
 第157回天皇賞(春)
 ヤマカツライデンが好発から先頭に立ちましたが,外からトミケンスラーヴァが追い掛けてきて1周目の3コーナーに掛けて競り合いに。ヤマカツライデンが譲らずにハナ,トミケンスラーヴァが2番手で落ち着き1周目の正面へ。3番手以下はガンコ,シュヴァルグラン,カレンミロティック,ソールインパクト,ミッキーロケット,クリンチャーの順で続きここまでは一団。少しだけ間があってチェスナットコート。また少しだけ間があってトーセンバジル。さらに2馬身ほどで後方集団の一番前にレインボーライン。その後ろにサトノクロニクル,アルバート,ピンポン,シホウの順で5頭が集団。やや離れてトウシンモンステラ。またやや離れてスマートレイアーが最後尾という隊列。最初の1000mは60秒1のミドルペース。
 ヤマカツライデンはさほどペースを上げたわけではないのですが,2番手以降が控えたために2コーナーから2周目の向正面にかけて2番手以降との差が12馬身ほどに。これが3コーナーに掛けて徐々に縮まっていき,ガンコ,シュヴァルグラン,トーセンバジルの3頭が雁行で追っていきました。直線に入ってヤマカツライデンは一杯。ガンコが先頭に立ったものの外のシュヴァルグランとの手応えの差は歴然としていて,あっさりとシュヴァルグランが先頭に。追ってきたのは最内からミッキーロケット,シュヴァルグランをマークするように外からクリンチャー,トーセンバジルの直後からクリンチャーの内に入り,ミッキーロケットとシュヴァルグランの間に進路を取ったレインボーライン,大外から追い込みをかけたチェスナットコートの4頭。レインボーラインがよく伸び,シュヴァルグランを内から捕えて優勝。粘り込みを図ったシュヴァルグランがクビ差で2着。最後はシュヴァルグランと同じ脚色になってしまったクリンチャーが半馬身差で3着。最内のミッキーロケットがクビ差の4着で大外のチェスナットコートは4分の3馬身差で5着。
 優勝したレインボーラインは前哨戦の阪神大賞典からの連勝で大レース初制覇。このレースはシュヴァルグランが格上で,長距離への適性も高いので,それ以外の馬が勝つシーンをあまりイメージできなかったのですが,こちらは大レースでの上位入着があり,距離も苦にしないので,シュヴァルグランが負けてしまう場合には最も勝つ可能性が高いだろうなと思っていました。このレースはシュヴァルグランが王道のレース運びをして抜け出し,力は出したものと思います。レインボーラインは直線の進路選択が巧みで,その分だけ差し切ることができたということではないでしょうか。意外に人気にはならないタイプなので,馬券的な妙味は高い馬です。父はステイゴールド。6つ上の半姉に2010年にローズステークスを勝ったアニメイトバイオ。7代母がレディチャッターの3代母にあたります。
 騎乗した岩田康誠騎手は2015年の桜花賞以来の大レース制覇。第137回以来10年ぶりの天皇賞(春)2勝目。天皇賞も2勝目。管理している浅見秀一調教師は2008年の桜花賞以来の大レース制覇。第117回以来20年ぶりの天皇賞(春)2勝目。天皇賞も2勝目。

 真理veritasであるか虚偽falsitasであるかの保証が具体的にどうなされるかということは,ふたつの観点から別々の説明をする必要があると僕は考えます。ひとつはある観念ideaが神Deusの無限知性intellectus infinitusの一部を構成しているとみられる場合であり,もうひとつは観念がたとえば僕たちの知性とだけ関連付けられる場合,いい換えればそれが人間の知性のうちにあるとみられる場合です。
                                
 すでに示したように,第二部定理三二により観念は神に関係づけられる限りではすべて真の観念idea veraです。そして真の観念である観念はすべからく十全な観念idea adaequataであるのですから,それらはすべて十全な観念です。いい換えれば無限知性のうちには混乱した観念idea inadaequataすなわち誤った観念は存在しないのです。ですから,神のうちにある観念がすべて十全adaequatumであるということが論証されれば,それが真理であるということは担保されるのであり,それ以上の説明は必要とされません。
 第二部定理七系は,神の無限な本性infinita Dei naturaから形相的にformaliter,すなわち知性の外に起こるすべてのことの観念が,神の思惟の属性Cogitationis attributumから客観的にobjectiveすなわち知性のうちに観念として生じるということを示しています。ですからこの系Corollariumの意味のうちには,神のうちにある観念はすべて十全であるということが含まれています。なぜなら第二部定理七により,観念と観念されたものideatumの原因と結果の連結connexioと秩序ordoは同一であるからです。スピノザはこの定理を証明するときには,第一部公理四だけを援用していますが,この公理Axiomaだけを援用してこの定理が証明されるということの意味として,第二部定理七でいわれている物というのが,物体corpusというようなことではなく,観念されたものであるということが含まれていなければならないからです。
 したがって,第二部定理七系は,すでに神のうちにある観念がすべて真理であるということを具体的に保証しているのです。この系は観念の本来的特徴denominatio intrinsecaによって神のうちにある無限に多くのinfinita観念がすべて十全であるといっているのに等しいからです。よって外来的特徴denominatio extrinsecaに言及している第二部定理三二がそれを保証するのではありません。むしろスピノザの証明Demonstratioにあるように,この定理は第二部定理七系によって担保されるのです。
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