スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典スパーキングレディーカップ&痛みの原因

2018-07-06 18:46:23 | 地方競馬
 ホクトベガメモリアルの昨晩の第22回スパーキングレディーカップ
 最初からそのつもりだったようで,押しつつオルキスリアンがハナを奪い,向正面にかけて3馬身くらいのリードをとりました。2番手にリエノテソーロ。この後ろはラインハート,オウケンビリーヴ,ラビットランの3頭で,この後ろは7馬身くらい離れてフラワーオアシスとワンミリオンス。2馬身差でシュンプウ。3馬身差でドンナディヴィーノとラーゴブルー。ブランシェクールはその後ろになり,最後尾はマテリアメディカとマコトカンパネッロ。前半の800mが50秒0のミドルペースだったわりにはかなり縦長の隊列になりました。
 3コーナーを回るとオルキスリアンは一杯で,リエノテソーロが自然と先頭に。その外をオウケンビリーヴが追い上げ,さらに外からラビットラン。この順で直線に入ると入った時点での差がなかなか変わらず,結局そのままの並びでフィニッシュまで到達。優勝はリエノテソーロで半馬身差の2着がオウケンビリーヴ。1馬身半差の3着にラビットラン。
 優勝したリエノテソーロは一昨年の全日本2歳優駿以来の勝利で重賞3勝目。このレースは能力最上位はラビットランだと思われましたが,久しぶりのダート戦の上,ダートではオープンクラスとの対戦が初めて。こういう場合は対応できないケースも往々にしてあるので,その場合にはおそらく能力では2番手と思われるリエノテソーロが優勝候補の筆頭になると考えていました。ただ,このレースは牝馬重賞の中ではメンバーのレベルがそうも高くなかったため,この馬が相対的に能力上位に押し出されたという側面があります。ですから今後はダートの牝馬路線を中心に戦っていくことになったとしても,勝ち続けることができるとはいえないと思います。
                                     
 騎乗した吉田隼人騎手と管理している武井亮調教師はスパーキングレディーカップ初勝利。

 10月6日,金曜日。伯母はこの日は高校の同窓会があり,午前9時20分ごろに家を出ました。僕はその後で地域のケアプラザに行きました。ケアプラザは地区センターと同じ建物にあり,地区センターは選挙の投票所として使われているところです。同じ町内で,歩いて2分か3分のところですから,そんなに大変なことではありません。まず窓口の人に来意,というのは母の介護認定の件ですが,それについて相談したいという旨を告げると,担当の人が出てきて,ロビーのような場所で説明をしてくれました。いずれにしても申請書は必要なので,その書類を受け取って帰りました。
 この日は妹の歯科検診の予約が入っていました。指定歯科がみなと赤十字病院ですから,の見舞いも同時にできます。検診の予約が午後3時でしたので,それに間に合うように妹を通所施設まで迎えに行き,そのまま病院に行きました。検診はクリーニングだけでしたので,まず会計の窓口に行き,そのまま清算はせずに,というのは計算に時間が掛かるためですが,母の病室に向いました。午前中に受け取った介護保険の申請書は,そこで母に渡しました。
 母はこの日からひとりで歩くことが許可されていました。これは要するにベッドからひとりでトイレまで行ってもよいということを事実上は意味します。これまではトイレに行きたくなれば,ナースコールで看護師を呼んでいたのです。そしてこの日は見舞いの間に,母は自力でベッドの上に座ることができました。実は僕は勘違いしていたのですが,母に対して起き上がることを阻止していたのは,癌による痛みが発生しているからではなくて,開腹手術をしたときの手術痕が痛かったからでした。このことをこの日になってようやく母から聞きましたので,介護用のベッドや車椅子は,すぐには用意しなくていいかもしれないと思い直しました。というのは,手術痕が痛いのであれば,それは時間の経過とともに回復してくるのが自然であると思えたからです。ベッドや車椅子なしの状態で家に帰り,それで生活することが困難であるということが実際に判明すれば,その後に用意すればいいのではないかと思えてきたのです。
コメント
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