孤独の肖像1st.は,②に示した楽曲の冒頭部分に続いて,テーマであるといえる孤独がすぐに歌われます。

どうせみんなひとりぽっち 海の底にいるみたい
②で僕がいったように,あるひとりの人間が自分にとって全人類を代表するような存在であるということが僕たちには起こり得ます。その場合に,その人間を何らかの理由によって失うと,僕たちはあたかも海の底にひとりぽっちでいるかのような強烈な孤独感を味わうことになるのです。おそらく人間にとっての孤独感というのは,本来的にはそのような心情のことを意味するのでしょう。いい換えれば,たとえ海の底にひとりぽっていでいようと,それが常態であるとしたら,僕たちは孤独感に苛まれるということはないのです。もし人がひとりで産まれ,ひとりで生き,ひとりで死んでいくものであるとすれば,人は孤独感という心情を味わうこともなかったでしょうし知ることもなかったでしょう。
ですが現実には人はひとりで生きていくことができません。そのゆえにだれしも何らかの孤独を感じるのです。それは共同しなければ生きていくことができない人というものの宿命であるといっていいかもしれません。
だからだれかどうぞ上手な嘘をついて嘘をついて
その孤独感のゆえにこの楽曲の歌い手は嘘を求めます。大事なのは求めているのが嘘であるということです。つまり自分が求めているものは本当のことではないと知りながら,歌い手はそれを求めているのです。
前日には医師が回診に来たら,退院後のことについて助言を求めるように母に言ってありましたが,その時間からこのときまで,医師は母の病室には来なかったようです。こういうわけで,車椅子にしろ介護用ベッドにせよ,すぐ用意するのはやめておくことにしました。予定の退院日が迫っていましたから,この日のうちに着手しておかないと間に合わない状況でしたが,もし生活に苦労することがあっても,少しの間は母に我慢してもらうことにしたのです。
見舞いを終えれば妹の歯科検診の計算も終わっていますから,会計をして帰りました。前にもいったかもしれませんが,妹の医療費は無料,つまり全額が公費の負担です。ですから清算といっても支払いはないのですが,それでも計算には一定の時間が掛かるものなのです。
10月7日,土曜日。前日に僕たちが帰った後だったかこの日の午前中であったかは定かでないのですが,医師の回診があって,予定通りに9日に退院するということが決定しました。ただし,採血の検査が問題ないならばという条件がついていました。これは,採血の結果を待たずに通知しておいた方が僕たちにとっては都合がよいであろうという配慮であったものと思います。母は退院後の生活についても助言を求めたようですが,痛みが生じている手術跡は,日ごとに回復してくる筈であるから,現段階では介護用のベッドを用意する必要はないだろうと言われたようです。ということで,もし退院後の生活であまりに苦労するようなことが生じてしまえば別ですが,当面の間はそれなしで生活してみるということで僕の意見と母の意見は一致しました。
10月8日,日曜日。妹が伯母に伴われて美容院に行きました。僕はその間に母の見舞いに行きました。これは翌日の退院にあたっての打ち合わせも兼ねていました。まず,採血の結果ですが上々とのことで,退院は可能であるという最終決定が出されていました。時間は午前10時。退院にあたっては入院費の支払いが必要で,前日に概算が出されるのが通例です。しかしこの日は出ていませんでした。というのも翌日は祝日なので,支払いは後日になるからということでした。

どうせみんなひとりぽっち 海の底にいるみたい
②で僕がいったように,あるひとりの人間が自分にとって全人類を代表するような存在であるということが僕たちには起こり得ます。その場合に,その人間を何らかの理由によって失うと,僕たちはあたかも海の底にひとりぽっちでいるかのような強烈な孤独感を味わうことになるのです。おそらく人間にとっての孤独感というのは,本来的にはそのような心情のことを意味するのでしょう。いい換えれば,たとえ海の底にひとりぽっていでいようと,それが常態であるとしたら,僕たちは孤独感に苛まれるということはないのです。もし人がひとりで産まれ,ひとりで生き,ひとりで死んでいくものであるとすれば,人は孤独感という心情を味わうこともなかったでしょうし知ることもなかったでしょう。
ですが現実には人はひとりで生きていくことができません。そのゆえにだれしも何らかの孤独を感じるのです。それは共同しなければ生きていくことができない人というものの宿命であるといっていいかもしれません。
だからだれかどうぞ上手な嘘をついて嘘をついて
その孤独感のゆえにこの楽曲の歌い手は嘘を求めます。大事なのは求めているのが嘘であるということです。つまり自分が求めているものは本当のことではないと知りながら,歌い手はそれを求めているのです。
前日には医師が回診に来たら,退院後のことについて助言を求めるように母に言ってありましたが,その時間からこのときまで,医師は母の病室には来なかったようです。こういうわけで,車椅子にしろ介護用ベッドにせよ,すぐ用意するのはやめておくことにしました。予定の退院日が迫っていましたから,この日のうちに着手しておかないと間に合わない状況でしたが,もし生活に苦労することがあっても,少しの間は母に我慢してもらうことにしたのです。
見舞いを終えれば妹の歯科検診の計算も終わっていますから,会計をして帰りました。前にもいったかもしれませんが,妹の医療費は無料,つまり全額が公費の負担です。ですから清算といっても支払いはないのですが,それでも計算には一定の時間が掛かるものなのです。
10月7日,土曜日。前日に僕たちが帰った後だったかこの日の午前中であったかは定かでないのですが,医師の回診があって,予定通りに9日に退院するということが決定しました。ただし,採血の検査が問題ないならばという条件がついていました。これは,採血の結果を待たずに通知しておいた方が僕たちにとっては都合がよいであろうという配慮であったものと思います。母は退院後の生活についても助言を求めたようですが,痛みが生じている手術跡は,日ごとに回復してくる筈であるから,現段階では介護用のベッドを用意する必要はないだろうと言われたようです。ということで,もし退院後の生活であまりに苦労するようなことが生じてしまえば別ですが,当面の間はそれなしで生活してみるということで僕の意見と母の意見は一致しました。
10月8日,日曜日。妹が伯母に伴われて美容院に行きました。僕はその間に母の見舞いに行きました。これは翌日の退院にあたっての打ち合わせも兼ねていました。まず,採血の結果ですが上々とのことで,退院は可能であるという最終決定が出されていました。時間は午前10時。退院にあたっては入院費の支払いが必要で,前日に概算が出されるのが通例です。しかしこの日は出ていませんでした。というのも翌日は祝日なので,支払いは後日になるからということでした。