スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産省賞典阪神ジュベナイルフィリーズ&食欲と心情の動揺

2018-12-09 19:19:46 | 中央競馬
 第70回阪神ジュベナイルフィリーズ
 クロノジェネシスはダッシュがつかず1馬身の不利。ベルスールとメイショウショウブが並んでいましたが,最終的には内のベルスールの逃げに。3番手はプールヴィル,スタークォーツ,ラブミーファインの3頭。6番手にウインゼノビアとローゼンクリーガー。8番手はレッドアネモスで9番手がジョディー。10番手はタニノミッション,ビーチサンバ,メイショウケイメイの3頭。13番手にサヴォワールエメとグレイシア。15番手がシェーングランツとダノンファンタジー。ここまで一団。2馬身差で注文をつけて控えたトロシュナとクロノジェネシスが追走。前半の800mは47秒0でミドルペース。
 目立った動きがないまま直線に入り末脚勝負。まずメイショウショウブが先頭に立ち,その外からラブミーファイン。ですがこの時点でこれらより大きく外を回ったダノンファンタジーとクロノジェネシスの勢いがよく,この2頭が前に。これらの内からビーチサンバ,大外からはシェーングランツも追い上げましたが,前の2頭には届かず。先に前に出ていたダノンファンタジーの方がそのままフィニッシュを迎え優勝。半馬身差の2着にクロノジェネシス。内のビーチサンバがクビ差の3着で大外のシェーングランツが4分の3馬身差で4着。
 優勝したダノンファンタジーは新馬は2着に負けたものの未勝利,ファンタジーステークスと連勝。重賞連勝で大レース制覇。基本的に無敗の馬が強いレースですが,2着だった新馬の勝ち馬は次にサウジアラビアロイヤルカップを勝ち,同じ牝馬ながら来週の朝日杯フューチュリティステークスに回って人気が予想される馬ですから許容範囲内。ということで優勝候補の1頭とみていました。このレースは人気で上位に入着した馬はその後も活躍するケースが多いので,来年のクラシック候補の1頭でしょう。ただ同じことは4着までの4頭すべてに妥当すると思います。父はディープインパクト
 騎乗したフランスのクリスチャン・デムーロ騎手は昨年のホープフルステークス以来の日本での大レース制覇。日本馬に騎乗しての大レース制覇も日本での大レース制覇もこれが3勝目で阪神ジュベナイルフィリーズは初勝利。管理している中内田充正調教師は昨年の朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース2勝目。

 たとえば僕のようなⅠ型糖尿病の患者にとって,食事制限以上の量の食物を摂取すれば,確実に高血糖になります。このとき,目の前に食欲をそそるもの,端的にいえば好物があれば,それを食べたいという食欲は湧きます。ですが食べてしまえば血糖値が高くなるということを確知しているわけですから,そうならないためには食べたくないという感情affectusも生じ得るでしょう。後者の感情は必然的にnecessario生じるとはいえませんが,生じる場合があり得ることは論理的に確実で,この限りで双方の感情は相反する感情であることになります。
 同様に,適正な体型を維持したい,あるいは適性な値を超過した体重を適性値まで戻したいと思っている人もまた,好物が目の前にあれば食欲をそそられるでしょうが,それを食してしまえば適正な体重になることにとってマイナスであると確知している限りで,必然的necessariusではありませんが,それを食べたくないという感情が生じ得ることは明白です。これもまた相反する感情であることになります。
                                
 スピノザの哲学では,このような相反する感情がある人間のうちに生じるとき,その人間は心情の動揺animi fluctuatioを感じているといわれます。そしてこの心情の動揺は,長期化する場合もありますし,短期的に解決される場合もあります。心情の動揺の対象の一方が食欲という欲望cupiditasである場合,基本的にはこの状態は短期的に解消されます。なぜなら,食欲の方が強ければそれを食べるまでですし,相反する感情の方が強いなら食べない,他面からいえば食べることを我慢するまでだからです。どちらの感情からも同じ程度で刺激されるがゆえに,食べるか食べないかをいつまでたっても決定することができないということは,論理的にはあり得るのですが,その場その場で判断されるということが考慮されれば,非現実的に近いといえるでしょう。そもそも食欲をそそられる食物が,長時間にわたって目の前にあるという状況を想定しにくいからです。
 このようなとき,相反する感情の方が優勢のとき,他面からいえばその人間が食べることを我慢するとき,一般的にはそれを節制と僕たちはいうのです。ただし節制はそれ自体では感情ではありません。
コメント
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