香港のシャティン競馬場で開催された昨日の国際競走。今年は4レースすべてに延べ9頭の日本馬が出走しました。
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香港ヴァーズGⅠ芝2400m。クロコスミアは最内枠から逃げました。リスグラシューは行きたがるのを宥めつつ後方3番手を追走。3コーナーから外を回って進出していきました。直線に入るところまでは先頭だったクロコスミアは直線では一杯。勝ち馬から8馬身4分の3差で10着。リスグラシューは前から抜け出した馬と叩き合いになり,一旦は前に出たのですが差し返され,クビ差で2着でした。クロコスミアは牝馬同士でしか実績らしきものがない馬ですので,牡馬相手では苦しかったでしょう。リスグラシューは本質的に距離が長いと思われるので,最後の競り合いで負けてしまったのは仕方がないと思えますが,ここまで走れるのなら,外を回ったロスが痛かったような気もします。
香港スプリントGⅠ芝1200m。ファインニードルは大外枠からやや押して6番手を追走。3コーナーを回ってから3番手付近まで追い上げました。しかし直線では伸びを欠き勝ち馬から4馬身差で8着。スプリント路線は日本と香港ではレベルの差がありますので,着順はともかく勝ち馬から4馬身差は概ね能力に近いのではないかと思います。
香港マイルGⅠ芝1600m。ヴィブロスが8番手,ペルシアンナイトが10番手の外,モズアスコットは11番手を追走。ペルシアンナイトが3コーナーを回ってからヴィブロスの外に並び掛けていく形。このレースは3コーナー手前で先頭に立った勝ち馬が強く,直線でも後ろとの差を広げる一方。その分2着争いは熾烈に。最後まで脚を使ったヴィブロスが内の馬をわずかに差して3馬身差で2着。ヴィブロスの外で併せ馬のような形だったペルシアンナイトは残り150m付近から脚色が鈍り勝ち馬から4馬身差の5着。モズアスコットは馬群を割りにいきましたが,行き場がない場面もあって勝ち馬から5馬身4分の1差で7着。勝ち馬を別格とすればヴィブロスは健闘でしょう、ペルシアンナイトは大外枠が響いたかもしれません。モズアスコットはテレビで視た限り,この馬にしては少し細く見えました。3頭ともミドルペースにしては位置取りが後ろ過ぎたきらいはありますが,だからといって勝つのは難しかったでしょう。
香港カップGⅠ芝2000m。サングレーザーが3番手から離れた4番手,ディアドラらがさらに3馬身差の5番手,ステファノスはそこから2馬身差で6番手の内を追走。縦長だった隊列が徐々に短くなり,サングレーザーは直線に入ってから外,ディアドラがさらにその外でステファノスは内から2頭目に進路を選択。ただこのレースは逃げた馬と2番手の馬がなかなか止まらず,最もよく伸びたディアドラが2番手の馬は何とか差して1馬身差の2着。サングレーザーはそこまで届かず勝ち馬から2馬身半差の4着。ステファノスは勝ち馬から4馬身4分の3差で最下位でした。このレースは勝った逃げ馬と2番手の馬が前走で競り合って共倒れ。ここも発走後は競り合う形だったので隊列が長くなったと思われますが,実際には3着馬がすぐに2番手に控えたので,さほどペースは速くありませんでした。もう少し逃げ馬に近い位置でレースを進めるべきであったのでしょう。
僕が節制temperantiaはそれ自体では感情affectusではないというのは,以下のような意味です。
僕たちは好物を目の前にすれば,僕がいう表象の種類でいえば好物を知覚すれば,それに対する食欲を感じます。これは必然的necessariusです。他面からいえば,それを知覚すればそれに対する食欲が湧くもののことを,僕たちは好物というからです。しかし一方で,それを食べることがマイナスになるということを確実に知っている場合には,その食欲に対する相反する感情も生じ,その人は心情の動揺animi fluctuatioを感じます。このとき,食欲は知覚した好物に刺激されることによって発生するのですが,相反する感情の方はそうではありません。むしろこちらは,それを食べることによって自身に害悪が生じる,つまり悲しみtristitiaを感じることになるであろうという確実な認識cognitioから発生するのです。したがってこの相反する感情である欲望cupiditasは,精神の能動actio Mentisから発生しているのです。精神の能動から欲望が発生し得るということは,第三部定理五九から明らかです。
ひとつ注意しておくと,ここではこうした場合についていっているのであり,食欲が一般的に精神の能動からは生じ得ないということを僕は主張したいわけではありません。現実的に存在する人間は何かを食することによって必要な栄養を摂取しないと,その現実的存在を維持していくことはできません。この限りにおいては食欲は理性ratioによって肯定されなければなりません。いい換えれば精神の能動によって食欲が発生し得ることになるでしょう。これは睡眠欲について説明したことと同じです。個々にみれば理性が肯定する睡眠欲もあれば否定する睡眠欲があるように,理性が肯定する食欲もあれば否定する食欲もあるのです。理性によって食欲と相反する感情が生じるというのは,理性が個別の食欲を否定している場合だといえるでしょう。
節制というのは,これらの現象一般を指すと僕は規定します。つまり相反する感情そのものが節制なのではなくて,否定されるべき個々の食欲に対抗する相反する感情を発生させる精神の能動,精神の力potentiaのことを節制というのです。たぶんこのように規定した方が,僕たちの節制という語の用法にも近いからです。
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香港ヴァーズGⅠ芝2400m。クロコスミアは最内枠から逃げました。リスグラシューは行きたがるのを宥めつつ後方3番手を追走。3コーナーから外を回って進出していきました。直線に入るところまでは先頭だったクロコスミアは直線では一杯。勝ち馬から8馬身4分の3差で10着。リスグラシューは前から抜け出した馬と叩き合いになり,一旦は前に出たのですが差し返され,クビ差で2着でした。クロコスミアは牝馬同士でしか実績らしきものがない馬ですので,牡馬相手では苦しかったでしょう。リスグラシューは本質的に距離が長いと思われるので,最後の競り合いで負けてしまったのは仕方がないと思えますが,ここまで走れるのなら,外を回ったロスが痛かったような気もします。
香港スプリントGⅠ芝1200m。ファインニードルは大外枠からやや押して6番手を追走。3コーナーを回ってから3番手付近まで追い上げました。しかし直線では伸びを欠き勝ち馬から4馬身差で8着。スプリント路線は日本と香港ではレベルの差がありますので,着順はともかく勝ち馬から4馬身差は概ね能力に近いのではないかと思います。
香港マイルGⅠ芝1600m。ヴィブロスが8番手,ペルシアンナイトが10番手の外,モズアスコットは11番手を追走。ペルシアンナイトが3コーナーを回ってからヴィブロスの外に並び掛けていく形。このレースは3コーナー手前で先頭に立った勝ち馬が強く,直線でも後ろとの差を広げる一方。その分2着争いは熾烈に。最後まで脚を使ったヴィブロスが内の馬をわずかに差して3馬身差で2着。ヴィブロスの外で併せ馬のような形だったペルシアンナイトは残り150m付近から脚色が鈍り勝ち馬から4馬身差の5着。モズアスコットは馬群を割りにいきましたが,行き場がない場面もあって勝ち馬から5馬身4分の1差で7着。勝ち馬を別格とすればヴィブロスは健闘でしょう、ペルシアンナイトは大外枠が響いたかもしれません。モズアスコットはテレビで視た限り,この馬にしては少し細く見えました。3頭ともミドルペースにしては位置取りが後ろ過ぎたきらいはありますが,だからといって勝つのは難しかったでしょう。
香港カップGⅠ芝2000m。サングレーザーが3番手から離れた4番手,ディアドラらがさらに3馬身差の5番手,ステファノスはそこから2馬身差で6番手の内を追走。縦長だった隊列が徐々に短くなり,サングレーザーは直線に入ってから外,ディアドラがさらにその外でステファノスは内から2頭目に進路を選択。ただこのレースは逃げた馬と2番手の馬がなかなか止まらず,最もよく伸びたディアドラが2番手の馬は何とか差して1馬身差の2着。サングレーザーはそこまで届かず勝ち馬から2馬身半差の4着。ステファノスは勝ち馬から4馬身4分の3差で最下位でした。このレースは勝った逃げ馬と2番手の馬が前走で競り合って共倒れ。ここも発走後は競り合う形だったので隊列が長くなったと思われますが,実際には3着馬がすぐに2番手に控えたので,さほどペースは速くありませんでした。もう少し逃げ馬に近い位置でレースを進めるべきであったのでしょう。
僕が節制temperantiaはそれ自体では感情affectusではないというのは,以下のような意味です。
僕たちは好物を目の前にすれば,僕がいう表象の種類でいえば好物を知覚すれば,それに対する食欲を感じます。これは必然的necessariusです。他面からいえば,それを知覚すればそれに対する食欲が湧くもののことを,僕たちは好物というからです。しかし一方で,それを食べることがマイナスになるということを確実に知っている場合には,その食欲に対する相反する感情も生じ,その人は心情の動揺animi fluctuatioを感じます。このとき,食欲は知覚した好物に刺激されることによって発生するのですが,相反する感情の方はそうではありません。むしろこちらは,それを食べることによって自身に害悪が生じる,つまり悲しみtristitiaを感じることになるであろうという確実な認識cognitioから発生するのです。したがってこの相反する感情である欲望cupiditasは,精神の能動actio Mentisから発生しているのです。精神の能動から欲望が発生し得るということは,第三部定理五九から明らかです。
ひとつ注意しておくと,ここではこうした場合についていっているのであり,食欲が一般的に精神の能動からは生じ得ないということを僕は主張したいわけではありません。現実的に存在する人間は何かを食することによって必要な栄養を摂取しないと,その現実的存在を維持していくことはできません。この限りにおいては食欲は理性ratioによって肯定されなければなりません。いい換えれば精神の能動によって食欲が発生し得ることになるでしょう。これは睡眠欲について説明したことと同じです。個々にみれば理性が肯定する睡眠欲もあれば否定する睡眠欲があるように,理性が肯定する食欲もあれば否定する食欲もあるのです。理性によって食欲と相反する感情が生じるというのは,理性が個別の食欲を否定している場合だといえるでしょう。
節制というのは,これらの現象一般を指すと僕は規定します。つまり相反する感情そのものが節制なのではなくて,否定されるべき個々の食欲に対抗する相反する感情を発生させる精神の能動,精神の力potentiaのことを節制というのです。たぶんこのように規定した方が,僕たちの節制という語の用法にも近いからです。