グランプリの第63回有馬記念。
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ミッキースワローは発走後に控え,一時的に3馬身から4馬身ほど取り残されました。1コーナーにかけてオジュウチョウサンが先頭でしたが,外から上がってきたキセキが1周目の直線の入口では前に出て逃げる形。同じく外から上がったミッキーロケットが単独の2番手になり,オジュウチョウサンはクリンチャー,サウンズオブアースと並んでの3番手。6番手にモズカッチャンとブラストワンピース。8番手にサトノダイヤモンド。9番手はマカヒキとレイデオロ。11番手がスマートレイアーとパフォーマプロミス。13番手にサクラアンプルール,リッジマン,シュヴァルグランの3頭。追いついてきたミッキースワローが最後尾。キセキがあまりペースを落とすことなく逃げ,2番手以下が控える形で,キセキ以外の15頭はほぼ一団でした。
3コーナーを回ったところでもキセキは4馬身くらいのリード。オジュウチョウサンとミッキーロケットが並んで追い掛ける形でしたが,この後ろの3頭の最も外にいたブラストワンピースが楽に上昇し,直線に入ってから前をいくすべての馬を抜いて先頭に。ブラストワンピースをマークするようにその外から追ってきたレイデオロが差を詰めていきましたが届かず,優勝はブラストワンピース。レイデオロがクビ差で2着。直線入口では10番手付近だったシュヴァルグランがレイデオロの内に進路を取り,馬群を捌きながら伸びて1馬身4分の1差で3着。
優勝したブラストワンピースは新潟記念以来の勝利。重賞は3勝目で大レースは初制覇。この馬は現3歳牡馬では最も能力があるという可能性を秘めた馬で,能力面だけでいえばここを勝ってもおかしくないと思っていました。ただ,中山の2500mというのは純粋な競走能力のほかに器用さを求められる舞台で,これまでの走り方からしてこの馬には向かないのではないかと判断し,個人的に馬券の面では軽視していました。ところが僕が思っていたよりうまく流れに乗ってレースを進めることができたため,優勝という結果に結び付いたということでしょう。僕が見誤っていただけであり,このようなレースをすることが可能であるということが判明しましたので,今後の日本の中長距離路線を牽引していく1頭になるでしょう。母の父はキングカメハメハ。祖母の父はフジキセキ。祖母の5つ下の半弟に2009年に日経賞に勝ったアルナスライン。Blastは突風。
騎乗した池添謙一騎手は昨年の桜花賞以来の大レース24勝目。第54回,56回,58回に続く5年ぶりの有馬記念4勝目。管理している大竹正博調教師は開業から9年9ヶ月半で大レース初勝利。
美味欲luxuriaに対しては節制temperantiaで対抗できるのですから,節制をせずに美味欲の赴くままにそれを満たす人は無知の人といわれなければなりません。これに対して,睡眠欲に対しては節制のような手段では対抗することができず,睡眠欲を感じさせる原因causaを排除することが精神mensの力potentiaによって可能な唯一の手段であるのですから,睡眠欲,とりわけ強度の睡眠欲を感じない程度の十分な睡眠時間を確保しない人間は,同じように無知の人といわれなければならないことに本来はなります。僕は原則的にこのことを肯定します。少なくとも,無為に夜更かしをすることによって睡眠時間を削り,そのために睡眠欲に駆られて寝坊をするような人間は,無知の人といわなければならないであろうからです。
しかし一方で,覚醒しているときに自由の人homo liberとして行動するがために,やむなく睡眠時間が不足してしまうというケースはあるのです。このような人間が睡眠欲に駆られて寝坊したり寝過ごしたりしてしまっても,それはその人が無知の人であるからという気には僕はなれないのです。このために,僕は寝坊とか寝過ごすといったことには,自分自身についてはあまり罪悪感を感じることはないですし,他人のそうしたことにもわりと寛容なのです。今回の一件についていえば,僕は確かに可能な限りでは睡眠時間を確保しようとはしていたのです。ですがやはり母の死という事態を迎え,やらなければならないことも多く,それが十分には足りていなかったのです。だから寝坊をするということになりました。それが母の葬儀の日の朝であったということは偶然です。たまたまそれが重要な日に該当してしまったというだけです。なので僕はこのことについては,今でもさほど罪悪感をもってはいません。
実をいうと,僕はこのようなわりと重要な日に寝坊をしてしまったというのは,これが初めてのことではありませんでした。前にも1度だけあったのですが,この一例は自由の人の寝坊と無知の人の寝坊とを比較する上で分かりやすい実例となると思えますので,そちらのことにも触れておきましょう。
かつて僕がした重要な日の寝坊というのは,大学の卒業式の日のことでした。
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ミッキースワローは発走後に控え,一時的に3馬身から4馬身ほど取り残されました。1コーナーにかけてオジュウチョウサンが先頭でしたが,外から上がってきたキセキが1周目の直線の入口では前に出て逃げる形。同じく外から上がったミッキーロケットが単独の2番手になり,オジュウチョウサンはクリンチャー,サウンズオブアースと並んでの3番手。6番手にモズカッチャンとブラストワンピース。8番手にサトノダイヤモンド。9番手はマカヒキとレイデオロ。11番手がスマートレイアーとパフォーマプロミス。13番手にサクラアンプルール,リッジマン,シュヴァルグランの3頭。追いついてきたミッキースワローが最後尾。キセキがあまりペースを落とすことなく逃げ,2番手以下が控える形で,キセキ以外の15頭はほぼ一団でした。
3コーナーを回ったところでもキセキは4馬身くらいのリード。オジュウチョウサンとミッキーロケットが並んで追い掛ける形でしたが,この後ろの3頭の最も外にいたブラストワンピースが楽に上昇し,直線に入ってから前をいくすべての馬を抜いて先頭に。ブラストワンピースをマークするようにその外から追ってきたレイデオロが差を詰めていきましたが届かず,優勝はブラストワンピース。レイデオロがクビ差で2着。直線入口では10番手付近だったシュヴァルグランがレイデオロの内に進路を取り,馬群を捌きながら伸びて1馬身4分の1差で3着。
優勝したブラストワンピースは新潟記念以来の勝利。重賞は3勝目で大レースは初制覇。この馬は現3歳牡馬では最も能力があるという可能性を秘めた馬で,能力面だけでいえばここを勝ってもおかしくないと思っていました。ただ,中山の2500mというのは純粋な競走能力のほかに器用さを求められる舞台で,これまでの走り方からしてこの馬には向かないのではないかと判断し,個人的に馬券の面では軽視していました。ところが僕が思っていたよりうまく流れに乗ってレースを進めることができたため,優勝という結果に結び付いたということでしょう。僕が見誤っていただけであり,このようなレースをすることが可能であるということが判明しましたので,今後の日本の中長距離路線を牽引していく1頭になるでしょう。母の父はキングカメハメハ。祖母の父はフジキセキ。祖母の5つ下の半弟に2009年に日経賞に勝ったアルナスライン。Blastは突風。
騎乗した池添謙一騎手は昨年の桜花賞以来の大レース24勝目。第54回,56回,58回に続く5年ぶりの有馬記念4勝目。管理している大竹正博調教師は開業から9年9ヶ月半で大レース初勝利。
美味欲luxuriaに対しては節制temperantiaで対抗できるのですから,節制をせずに美味欲の赴くままにそれを満たす人は無知の人といわれなければなりません。これに対して,睡眠欲に対しては節制のような手段では対抗することができず,睡眠欲を感じさせる原因causaを排除することが精神mensの力potentiaによって可能な唯一の手段であるのですから,睡眠欲,とりわけ強度の睡眠欲を感じない程度の十分な睡眠時間を確保しない人間は,同じように無知の人といわれなければならないことに本来はなります。僕は原則的にこのことを肯定します。少なくとも,無為に夜更かしをすることによって睡眠時間を削り,そのために睡眠欲に駆られて寝坊をするような人間は,無知の人といわなければならないであろうからです。
しかし一方で,覚醒しているときに自由の人homo liberとして行動するがために,やむなく睡眠時間が不足してしまうというケースはあるのです。このような人間が睡眠欲に駆られて寝坊したり寝過ごしたりしてしまっても,それはその人が無知の人であるからという気には僕はなれないのです。このために,僕は寝坊とか寝過ごすといったことには,自分自身についてはあまり罪悪感を感じることはないですし,他人のそうしたことにもわりと寛容なのです。今回の一件についていえば,僕は確かに可能な限りでは睡眠時間を確保しようとはしていたのです。ですがやはり母の死という事態を迎え,やらなければならないことも多く,それが十分には足りていなかったのです。だから寝坊をするということになりました。それが母の葬儀の日の朝であったということは偶然です。たまたまそれが重要な日に該当してしまったというだけです。なので僕はこのことについては,今でもさほど罪悪感をもってはいません。
実をいうと,僕はこのようなわりと重要な日に寝坊をしてしまったというのは,これが初めてのことではありませんでした。前にも1度だけあったのですが,この一例は自由の人の寝坊と無知の人の寝坊とを比較する上で分かりやすい実例となると思えますので,そちらのことにも触れておきましょう。
かつて僕がした重要な日の寝坊というのは,大学の卒業式の日のことでした。