第18回名古屋グランプリ。
一旦はカツゲキキトキトが先頭に立ちましたがすぐに控え,外から追い抜いたグリムの逃げ。2番手にも外からチュウワウィザードが上がりカツゲキキトキトはハッピースプリントと並んで3番手。5番手にミツバ,6番手にナムラアラシの順でこの6頭は一団。3馬身差でセンチュリオン,3馬身差でトーセンノワール,3馬身差でブランニューと,残る3頭はばらばらの展開に。1周目の向正面で外からミツバが上昇。3コーナー付近でグリムの前に出ましたが,巻き返したグリムが先頭を奪い返し,2番手にミツバ,以下はチュウワウィザード,ハッピースプリント,カツゲキキトキト,ナムラアラシ,センチュリオンという隊列になり,残る2頭はここから4馬身ほど離されました。
2周目の向正面では4番手のハッピースプリントが押してもついていかれなくなり,前の3頭の争い。3コーナーを回ってからグリムが引き離しにかかりましたがミツバに喰らいつかれ,直線ではミツバが前に。この2頭の争いを後ろでみていたチュウワウィザードがミツバの外から伸びて優勝。ミツバが半馬身差で2着。グリムは2馬身差で3着。
優勝したチュウワウィザードは重賞初挑戦での制覇。今年の2月にデビューした後,6戦して4勝,3着2回の成績でオープン入り。今月初めのオープン戦で2着。今年の3歳馬は総じてレベルが高く,3着以下がないこの成績であれば通用するだろうと思われました。能力的に最上位と思われたグリムに対してミツバが途中から徹底マークの戦法に出て,それをその後ろでみていることができた分の利はあったので,ミツバに対してはっきりと能力上位であるとはいい難い面はあるかもしれません。ただ堅実な成績を残している馬ですから,このレベルでのレースなら,これからも大きく崩れることはないと判断していいように思いますし,さらに上のレベルでも戦える可能性がある馬でしょう。父はキングカメハメハ。母の父はデュランダル。この馬もファンシミン系ファンシーダイナの分枝で1986年に京成杯と牝馬東京タイムス杯,1987年にエプソムカップと新潟記念とオールカマーに勝ったダイナフェアリーを4代母にもつ子孫です。母の7つ下の半妹が今月のクイーン賞を勝っている現役のアイアンテーラー。

騎乗した川田将雅騎手と管理している大久保龍志調教師は名古屋グランプリ初勝利。
大学の卒業式は日本武道館で行われました。開始時刻が何時であったかははっきりと覚えていません。僕は当時も横浜市在住でしたから,会場まで1時間は掛かります。目が覚めたときにはそれには絶対に間に合わない時刻でした。
僕は成績優秀者とかスポーツで優秀な成績を残したというわけではなく,表彰の対象にはなっていませんでした。また,答辞のような式辞を述べるような役回りを与えられていたわけでもありませんから,僕が卒業式に参加しなくても,式自体が停滞してしまうわけではありませんでした。ですから寝坊してしまったのであれば行かなくてもよかったのですが,卒業式では各人に卒業証書が渡されることになっていて,それは受け取っておいた方がよいと思いましたので,とりあえず日本武道館に向いました。僕が着いたときには式は終了していて,すでに会場に並べられていた椅子などの後片付けも始まっていましたが,入場することはできましたので,担当者から卒業証書を受け取ることはできました。僕がそれを受け取ったときにはまだ卒業証書,実際にはそれが入っていると思われる筒ですが,それがまだ何本か残っていましたので,おそらく式に参加しなかった学生が僕のほかにもいたのだろうと思います。
この日に寝坊してしまった原因causaのうち最も大きかったのは,疲労だったと思います。というのは僕は友人と九州に卒業旅行に行っていて,前日に帰宅したばかりだったのです。その旅行の疲れが,僕をこの日の朝に遅くまで眠らせてしまったのでしょう。こういうことがあり得るということは事前から分かっているのですから,もし絶対に卒業式には参加したいということであれば,このような日程を組んだのがよくなかったことは明白です。ですからその限りにおいて僕は,今回の母の葬儀のときとは異なり,明らかに無知の人として行動したということになるでしょう。とはいえ,卒業式はできれば参加したいという程度のことであり,卒業旅行とどちらかしか選べないとなれば,僕は旅行の方を選んだことでしょう。ですから僕が無知の人として寝坊をしたのは確かですが,これはこれでよかったのだと今でも思ってはいます。
一旦はカツゲキキトキトが先頭に立ちましたがすぐに控え,外から追い抜いたグリムの逃げ。2番手にも外からチュウワウィザードが上がりカツゲキキトキトはハッピースプリントと並んで3番手。5番手にミツバ,6番手にナムラアラシの順でこの6頭は一団。3馬身差でセンチュリオン,3馬身差でトーセンノワール,3馬身差でブランニューと,残る3頭はばらばらの展開に。1周目の向正面で外からミツバが上昇。3コーナー付近でグリムの前に出ましたが,巻き返したグリムが先頭を奪い返し,2番手にミツバ,以下はチュウワウィザード,ハッピースプリント,カツゲキキトキト,ナムラアラシ,センチュリオンという隊列になり,残る2頭はここから4馬身ほど離されました。
2周目の向正面では4番手のハッピースプリントが押してもついていかれなくなり,前の3頭の争い。3コーナーを回ってからグリムが引き離しにかかりましたがミツバに喰らいつかれ,直線ではミツバが前に。この2頭の争いを後ろでみていたチュウワウィザードがミツバの外から伸びて優勝。ミツバが半馬身差で2着。グリムは2馬身差で3着。
優勝したチュウワウィザードは重賞初挑戦での制覇。今年の2月にデビューした後,6戦して4勝,3着2回の成績でオープン入り。今月初めのオープン戦で2着。今年の3歳馬は総じてレベルが高く,3着以下がないこの成績であれば通用するだろうと思われました。能力的に最上位と思われたグリムに対してミツバが途中から徹底マークの戦法に出て,それをその後ろでみていることができた分の利はあったので,ミツバに対してはっきりと能力上位であるとはいい難い面はあるかもしれません。ただ堅実な成績を残している馬ですから,このレベルでのレースなら,これからも大きく崩れることはないと判断していいように思いますし,さらに上のレベルでも戦える可能性がある馬でしょう。父はキングカメハメハ。母の父はデュランダル。この馬もファンシミン系ファンシーダイナの分枝で1986年に京成杯と牝馬東京タイムス杯,1987年にエプソムカップと新潟記念とオールカマーに勝ったダイナフェアリーを4代母にもつ子孫です。母の7つ下の半妹が今月のクイーン賞を勝っている現役のアイアンテーラー。

騎乗した川田将雅騎手と管理している大久保龍志調教師は名古屋グランプリ初勝利。
大学の卒業式は日本武道館で行われました。開始時刻が何時であったかははっきりと覚えていません。僕は当時も横浜市在住でしたから,会場まで1時間は掛かります。目が覚めたときにはそれには絶対に間に合わない時刻でした。
僕は成績優秀者とかスポーツで優秀な成績を残したというわけではなく,表彰の対象にはなっていませんでした。また,答辞のような式辞を述べるような役回りを与えられていたわけでもありませんから,僕が卒業式に参加しなくても,式自体が停滞してしまうわけではありませんでした。ですから寝坊してしまったのであれば行かなくてもよかったのですが,卒業式では各人に卒業証書が渡されることになっていて,それは受け取っておいた方がよいと思いましたので,とりあえず日本武道館に向いました。僕が着いたときには式は終了していて,すでに会場に並べられていた椅子などの後片付けも始まっていましたが,入場することはできましたので,担当者から卒業証書を受け取ることはできました。僕がそれを受け取ったときにはまだ卒業証書,実際にはそれが入っていると思われる筒ですが,それがまだ何本か残っていましたので,おそらく式に参加しなかった学生が僕のほかにもいたのだろうと思います。
この日に寝坊してしまった原因causaのうち最も大きかったのは,疲労だったと思います。というのは僕は友人と九州に卒業旅行に行っていて,前日に帰宅したばかりだったのです。その旅行の疲れが,僕をこの日の朝に遅くまで眠らせてしまったのでしょう。こういうことがあり得るということは事前から分かっているのですから,もし絶対に卒業式には参加したいということであれば,このような日程を組んだのがよくなかったことは明白です。ですからその限りにおいて僕は,今回の母の葬儀のときとは異なり,明らかに無知の人として行動したということになるでしょう。とはいえ,卒業式はできれば参加したいという程度のことであり,卒業旅行とどちらかしか選べないとなれば,僕は旅行の方を選んだことでしょう。ですから僕が無知の人として寝坊をしたのは確かですが,これはこれでよかったのだと今でも思ってはいます。