スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

よさこい賞争覇戦&第二部定義七の意味

2019-04-15 19:12:08 | 競輪
 昨日の高知記念の決勝。並びは田中に山中‐佐々木の高知,吉田‐村上の中部近畿,取鳥‐清水‐松浦の中国で諸橋は中国ラインと番手戦。
 村上がスタートを取って吉田の前受け。3番手に取鳥。周回中は無理に競らず,取鳥の後ろが諸橋で5番手に清水で6番手に松浦。7番手に田中の隊列になりました。残り2周のバックの手前から田中が上昇開始。吉田を叩いて前に。清水が追い上げ,諸橋の外に並んで打鐘。ここから取鳥が田中を叩きました。番手戦はホームまで続きましたが踏み勝った清水が死守。諸橋は3番手で松浦と併走。田中はバックから捲っていきましたが,車が伸びず,松浦の横で一杯。これを清水が警戒しすぎたため,コーナーで諸橋が清水のインを掬いました。さらに田中の勢いをもらってコーナーでは内を回った山中が取鳥と諸橋の間から直線で急襲して優勝。田中の後ろから捲った吉田に乗った村上が外を伸びて4分の3車身差で2着。諸橋が4分の1車輪差で3着。
 優勝した高知の山中貴雄選手は昨年10月の豊橋のFⅠ以来の優勝。記念競輪は初制覇。このレースは清水の脚力が上位で,仮に番手戦で競り負けても自力で何とかできるので,清水と松浦の優勝争いになるだろうと予想していました。踏み勝って番手を守ったのですから,勝たなければいけないレース。後ろを気にしすぎたあまり,競り勝った相手にまたインを掬われるという競走は,いくら若くて経験の浅い選手であっても,甘かったとしかいいようがないと思います。

 現在の考察と直接的に関係するものではありませんが,この考察をしていて思い至ったことがありますので,ここに記しておきます。
                                   
 僕は第二部定義七は,どんな個物res singularisもそれが個物となっている属性attributumと同じ属性の別の個物と協同し,より複雑な個物を組織することを前提していなければ,何も意味を有することができないと考えていました。もちろんそうして組織されたより複雑な個物もまた,個物であるからには,やはり同じ属性の別の個物と協同してさらに複雑な個物を組織するのであり,こうした連鎖が無限に続いていくことになるのです。ですから僕はこのことを,個物の複合の無限連鎖と命名し,このことがスピノザの哲学の中で成立していると解してきたのです。
 僕が思い至ったのは,この定義Definitioは,これと逆のことも含んでいるのでなければ,同様に意味を有することができないのではないかということです。つまりどんな個物も,さらに小さなあるいは単純な個物に分割することができるということがそれで,そうして分割された個物もまた個物であるからには,さらに単純な個物に分解することができ,この連鎖が無限に続いていくということです。実際のところ,ある個物から始めて,その個物の複合の無限連鎖が成立するのであれば,これと逆方向の分割の無限連鎖というのも成立しなければならないように思われます。ある単独の個物を無作為に抽出したとき,個物の複合の無限連鎖というのが成立しているなら,抽出されたその個物というのは複合の無限連鎖の途中過程にある個物であると考えるのが妥当で,少なくともさらに単純な個物に分割することが可能であることは確かであるからです。
 そしてこれを認めることは,スピノザが「アトム」は存在しないといっていること,すなわちそれ以上には分割することができないものが存在しないといっていることと合致しています。もしそれ以上に分割することができない個物が存在するということを肯定するなら,これはアトムが存在するといっているのと同じことであるからです。
 よって僕は今後この定義の意味に,個物の複合の無限連鎖と同時に,個物の分割の無限連鎖も加えることにします。
コメント
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