スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サンタアニタトロフィー&第二部定理四六

2019-08-01 19:37:37 | 地方競馬
 昨晩の第40回サンタアニタトロフィー。ハッピースプリントは左前脚の蹄の底の内出血で出走取消となり15頭。
 発馬後に前に出たのはゴーディー。ただ砂を被ることを極度に嫌うロイヤルパンプが最内枠に入っていましたので,内から追い抜いて逃げました。ゴーディーが外に並ぶような形で2番手。ここから半馬身ぐらいの間隔でリアライズリンクス,クリスタルシルバー,トロヴァオ,アルタイルと続き,バルダッサーレとリッカルドが併走。ノンコノユメはその後ろでさらにムサシキングオーとサブノクロヒョウ。この後ろのモンスターキングまでの12頭は一団。2馬身差でサブノジュニアとコンドルダンス。2馬身差の最後尾にカンムル。前半の800mは49秒3のミドルペース。
 3コーナーでロイヤルパンプが単独の先頭。内を回ったクリスタルシルバーがコーナーの途中で2番手に。ペースが速くなかったこともあり,ここで外を回った馬は総崩れになりました。直線に入ってからロイヤルパンプの外に出したクリスタルシルバーがロイヤルパンプを差して先頭に。最内を回り直線でも逃げたロイヤルパンプの内から伸びてきたノンコノユメと,クリスタルシルバーを追うように進出し,直線ではクリスタルシルバーの外に出たバルダッサーレの2頭が追ってきて,優勝争いは3頭。フィニッシュ直前で最内のノンコノユメがクリスタルシルバーを差し切って優勝。直線先頭のクリスタルシルバーがクビ差で2着。バルダッサーレは4分の3馬身差で3着。
                                   
 優勝したノンコノユメは昨年のフェブラリーステークス以来の勝利。南関東重賞は初挑戦での初制覇。重賞を5勝,大レースを2勝している馬で,転入初戦に出走した先月の帝王賞でも3着に入ったくらいですから南関東重賞では力量上位。ただ,末脚勝負型なので,直線が短い大井の1600mに対する不安はありました。結果的には勝ったわけですが,内を回ってクリスタルシルバーにクビ差というのは,そのあたりの適性も影響していたのではないかと思います。地方競馬では発馬のときに馬の尾を持つことが許可されていますので,発馬の悪さに関しては中央のときほどは気にしなくていいように思います。母の父はアグネスタキオン。3代母がビューパーダンス。祖母の4つ上の半姉に1995年に新潟大賞典と新潟記念を勝ったアイリッシュダンス
 騎乗した大井の真島大輔騎手は一昨年の平和賞以来の南関東受賞22勝目。その後,同年のJBCレディスクラシックも勝っています。サンタアニタトロフィーは初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師は南関東重賞21勝目。サンタアニタトロフィーは初勝利。

 第三種の認識cognitio tertii generisから発生する自己満足acquiescentia in se ipsoだけでなく,第二種の認識cognitio secundi generisから発生する自己満足についても,それを丁寧に検証すれば,スピノザは徳virtusという観点から満足あるいは満足度を説明しようとしています。ですからスピノザのような論証Demonstratioの方法によって最高の満足は何であるのかを説明しようと企図するのであれば,最高の満足とは最高の徳でなければならないことになると僕は考えます。よってそれは,人間にとって,あるいは人間の精神mens humanaにとって最高の徳とは何であるかということを示した第四部定理二八から説明されなければならないことになると僕は考えます。
 第二種の認識の基礎をなすのは共通概念notiones communesでした。そして共通概念は,第二部定理三八第二部定理三九の様式を通して僕たちの精神のうちに発生するのでした。これらの定理Propositioから分かるように,共通概念というのはそれ自体では神Deusの認識ではありません。これが神の認識であるといえるのは,第二部定理四六を僕たちが理解することを通してです。
 「おのおのの観念が含んでいる神の永遠・無限なる本質の認識は妥当で完全である」。
 第二部定理四五は,現実的に存在する個物res singularisの観念ideaが神の本性essentiaを必然的にnecessario含んでいることを示しています。このことは普遍性を保ちます。いい換えれば僕たちがその個物を部分として考えようと全体として考えようと,等しく共通した事柄です。よってそういう共通な事柄である神の本性の認識は,第二部定理三八によって十全adaequatumでなければならないことになります。ごく単純にいうと,僕たちの身体corpusが外部の物体corpusによって刺激されるafficiとき,外部の物体にも僕たちの身体にも共通である事柄は十全に認識されることになるでしょう。そして僕たちの身体も外部の物体も,ともに延長の属性Extensionis attributumの個物,他面からいえば様態的変状modificatioに様態化した延長の属性なので,僕たちはこのときに延長の属性についてはそれを十全に認識するのです。しかるに属性とは第一部定義四によって実体substantiaの本性を構成し,第一部定理一四によって存在する実体は神だけなのですから,このとき僕たちが十全に認識している延長の属性というのは神の本性にほかなりません。これでこの定理は証明されているでしょう。
コメント
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