スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

僕たちの将来①&論考の意図

2019-08-10 18:52:01 | 歌・小説
 「生まれた時から」と「春までなんぼ」は「はじめまして」というアルバムに収録されています。このアルバムに収録されているのは10曲で,10曲目が「はじめまして」という楽曲になっていて,この楽曲のタイトルがそのままアルバムのタイトルにもなっています。ですが,もしも僕がこのアルバムの中から何か1曲だけを選べといわれたら,9曲目の「僕たちの将来」を迷わずに選択します。僕はこのようないい方はあまり好みませんが,これは間違いなく名曲です。

                                   

     あたしたち多分 大丈夫よね
     フォークにスパゲティを巻きつけながら彼女は訊く


 この楽曲には基本的にはこの冒頭部分でいわれているあたしたち,具体的には彼女と彼のふたりしか登場しません。その私的な関係が,世界と繋がっていくように楽曲が構成されています。この曲が名曲たるゆえんのひとつが,この構成の巧みさにあると僕は考えています。

     大丈夫じゃない訳って何さ
     ナイフに急に力を入れて彼はことばを切る


 彼女はスパゲティを食べ,彼はステーキを食べています。そのステーキが固くてなかなか切れないので彼はナイフに力を入れるのですが,力を入れて切るのはことばの方です。彼女が感じた将来に対する漠然とした不安を,彼は力を入れて切ってしまうのです。

 僕がスピノザによる定義Definitioに関するまとまった論述といっているのは,ひとつが『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』の九五節から九七節で,もうひとつが書簡九です。
 このうち,書簡九は1663年3月に書かれたものです。上野はスピノザが定義の理念を変更したのは1662年頃といっていますから,書簡九は理念が変更された後のものになります。一方,『知性改善論』がいつ書かれたのかは断定することはできないのですが,1661年の終りには書かれていたとみることができます。したがって蓋然性だけでいうと,『知性改善論』の定義論は,スピノザが定義の理念を変更する前のものであったとみることができることになります。
 これは蓋然性からこのようにいっているのであって,そうでない可能性ももちろん残ります。ただ,その場合には『知性改善論』の定義論もまたスピノザが定義の理念を変更した後のものであることになります。僕がここでこのことを説明しようという意図は,僕が確定的に示しているスピノザの定義についての理論は,これらふたつを両方とも参考にしているからであり,しかしどちらも理念を変更した後の論述であるなら,僕がこれらの両方を参照してスピノザの定義の理論を決定したとしても何も問題はないことになります。ただ,『知性改善論』の定義論はスピノザが定義の理念を変更する前のものであり,書簡九はその理念が変更された後のものであるという可能性は残りますので,仮にそうであった場合でも,僕が確定させたスピノザの定義論についてのまとめには問題がないということを説明しておきたいのです。なのでここでは,『知性改善論』の定義論は定義の理念が変更される前の論述で,書簡九は定義の理念が変更された後の論述であるという前提で論考を進めていきます。
 『知性改善論』と書簡九の定義論は,その内容がどうこういうよりも,まず形式的な面で大きな差があります。おそらく上野が,スピノザは定義の理念を変えたといっているのは,そういう理由があるからだと僕は考えます。つまり定義の定義をスピノザが変更したというより,定義の理念を変更したという方が,この変更をより正確に説明できると思うのです。
コメント
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