昨晩の第31回ブリーダーズゴールドカップ。クオリティスタートは桑村騎手から宮崎光行騎手に変更。
逃げたのはラインカリーナでぴったりとマークしていったのがプリンシアコメータ。2馬身差の3番手にクイーンマンボとアンデスクイーン。2馬身差でビスカリア。6番手はゴッドパイレーツとアルティマウェポン。4馬身差でジュンアイノキミとクオリティスタート。最後尾にザワールド。スローに近いくらいのミドルペースでした。
3コーナーからはラインカリーナとプリンシアコメータが雁行に。クイーンマンボとビスカリアがその後ろで追走し,アンデスクイーンは外から追い上げていく形に。直線に入ると逃げるラインカリーナと並び掛けたプリンシアコメータの激しい競り合いに。外から伸びてきたのがアンデスクイーンで,最後は内の2頭を差し切って優勝。半馬身差の2着争いは最後まで競り合いが続き,写真判定でプリンシアコメータ。ラインカリーナはハナ差で3着。
優勝したアンデスクイーンは重賞初勝利。昨年の暮れに準オープンを勝ってオープン入り。オープンでは勝利こそありませんでしたが,6月に牡馬相手に2着になっていましたので,牝馬重賞なら優勝のチャンスはあると考えていました。2着馬は牝馬重賞の安定勢力で,展開的にはやや不利であったにも関わらず勝ちましたので,今後も牝馬重賞で好走が可能な力量があるということは明白になったといえそうです。ただ,牡馬が相手では現状では苦しいかもしれません。母の父はキングカメハメハ。6代母がレディチャッター。祖母の9つ上の半姉に1998年に福島記念を勝ったオーバーザウォール,ふたつ上の半兄に2006年に福島記念,2007年に七夕賞を勝ったサンバレンティン,ひとつ上の半兄に2005年に京都新聞杯,2007年に朝日チャレンジカップと京都大賞典を勝ったインティライミ。
騎乗した戸崎圭太騎手と管理している西園正都調教師はブリーダーズゴールドカップ初勝利。
僕が自己原因causa suiに関する考え方をスピノザが変更したというのではなく,『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』を執筆している段階でのスピノザには自己原因に関して確固たる考え方がなかったという解釈を採用するのは,僕にはここでのスピノザの説明の仕方が,デカルトRené Descartesの哲学の影響下にあるということを強く匂わせているように思われるからです。他面からいえば,僕は『知性改善論』におけるスピノザの定義論を,デカルトの哲学との関係で説明したいのです。いずれにしても,第一部定義一でいっているような自己原因という概念notioが,この定義論の時点においては存在してなかったということはここまでの論考から明らかにできていると思いますので,その点を理解してもらえるなら,自己原因についてスピノザが解釈を変更したのかそれともその概念は一切なしに定義論を展開していたのかという点に関しては僕は争いません。
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デカルトは,どのようなものに対しても作出原因causa efficiensを問うことができるということを認めていました。この作出原因というのはスピノザの哲学でいう起成原因causa efficiensと同じ語なのですが,デカルトの哲学における作出原因とスピノザの哲学における起成原因の間には,概念の上で重要な差異があるので,僕は同じ語を別に訳しています。
あらゆるものに対して作出原因を問うことができるのであるとしたら,神Deusに対しても作出原因を問うことが可能であることになります。このことはデカルトも認めています。ですが,神の作出原因が何であるのかということに関しては,デカルトは明言しないのです。これははっきりとした理由があります。もし神に対して作出原因を問うとすれば,デカルトの哲学の考え方からは神自身が作出原因であるということしか帰結のさせようがありません。これはつまり,神は自己原因であるといっているのと同じことです。ですがデカルトは,神が自己原因であるということは認めないのです。他面からいえば,自己原因が作出原因であるということを認めないのです。実際にはこれは表向きの態度で,本当はデカルトは神が自己原因であるということを是認していたと僕は解しますが,時代背景的にそれを認めることはできなかったのです。
逃げたのはラインカリーナでぴったりとマークしていったのがプリンシアコメータ。2馬身差の3番手にクイーンマンボとアンデスクイーン。2馬身差でビスカリア。6番手はゴッドパイレーツとアルティマウェポン。4馬身差でジュンアイノキミとクオリティスタート。最後尾にザワールド。スローに近いくらいのミドルペースでした。
3コーナーからはラインカリーナとプリンシアコメータが雁行に。クイーンマンボとビスカリアがその後ろで追走し,アンデスクイーンは外から追い上げていく形に。直線に入ると逃げるラインカリーナと並び掛けたプリンシアコメータの激しい競り合いに。外から伸びてきたのがアンデスクイーンで,最後は内の2頭を差し切って優勝。半馬身差の2着争いは最後まで競り合いが続き,写真判定でプリンシアコメータ。ラインカリーナはハナ差で3着。
優勝したアンデスクイーンは重賞初勝利。昨年の暮れに準オープンを勝ってオープン入り。オープンでは勝利こそありませんでしたが,6月に牡馬相手に2着になっていましたので,牝馬重賞なら優勝のチャンスはあると考えていました。2着馬は牝馬重賞の安定勢力で,展開的にはやや不利であったにも関わらず勝ちましたので,今後も牝馬重賞で好走が可能な力量があるということは明白になったといえそうです。ただ,牡馬が相手では現状では苦しいかもしれません。母の父はキングカメハメハ。6代母がレディチャッター。祖母の9つ上の半姉に1998年に福島記念を勝ったオーバーザウォール,ふたつ上の半兄に2006年に福島記念,2007年に七夕賞を勝ったサンバレンティン,ひとつ上の半兄に2005年に京都新聞杯,2007年に朝日チャレンジカップと京都大賞典を勝ったインティライミ。
騎乗した戸崎圭太騎手と管理している西園正都調教師はブリーダーズゴールドカップ初勝利。
僕が自己原因causa suiに関する考え方をスピノザが変更したというのではなく,『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』を執筆している段階でのスピノザには自己原因に関して確固たる考え方がなかったという解釈を採用するのは,僕にはここでのスピノザの説明の仕方が,デカルトRené Descartesの哲学の影響下にあるということを強く匂わせているように思われるからです。他面からいえば,僕は『知性改善論』におけるスピノザの定義論を,デカルトの哲学との関係で説明したいのです。いずれにしても,第一部定義一でいっているような自己原因という概念notioが,この定義論の時点においては存在してなかったということはここまでの論考から明らかにできていると思いますので,その点を理解してもらえるなら,自己原因についてスピノザが解釈を変更したのかそれともその概念は一切なしに定義論を展開していたのかという点に関しては僕は争いません。
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デカルトは,どのようなものに対しても作出原因causa efficiensを問うことができるということを認めていました。この作出原因というのはスピノザの哲学でいう起成原因causa efficiensと同じ語なのですが,デカルトの哲学における作出原因とスピノザの哲学における起成原因の間には,概念の上で重要な差異があるので,僕は同じ語を別に訳しています。
あらゆるものに対して作出原因を問うことができるのであるとしたら,神Deusに対しても作出原因を問うことが可能であることになります。このことはデカルトも認めています。ですが,神の作出原因が何であるのかということに関しては,デカルトは明言しないのです。これははっきりとした理由があります。もし神に対して作出原因を問うとすれば,デカルトの哲学の考え方からは神自身が作出原因であるということしか帰結のさせようがありません。これはつまり,神は自己原因であるといっているのと同じことです。ですがデカルトは,神が自己原因であるということは認めないのです。他面からいえば,自己原因が作出原因であるということを認めないのです。実際にはこれは表向きの態度で,本当はデカルトは神が自己原因であるということを是認していたと僕は解しますが,時代背景的にそれを認めることはできなかったのです。