10月31日の北海道2歳優駿を勝ったキメラヴェリテの父はキズナです。
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父はディープインパクト。母はキャットクイル。15歳上の半姉にJRA賞で1998年の最優秀3歳牝馬,2000年の最優秀4歳以上牝馬のファレノプシス。11歳上の半兄に2002年にピーターパンステークスを勝ったサンデーブレイク。
2歳10月にデビュー。新馬,500万と連勝。暮れのラジオNIKKEI杯2歳ステークスは3着。
3歳初戦の弥生賞は5着。続く毎日杯で重賞初制覇を達成すると京都新聞杯も連勝。その勢いでダービーも制覇しました。秋は渡仏。ニエル賞を制して挑んだ凱旋門賞は5着でした。JRA賞の最優秀3歳牡馬を受賞。
4歳初戦の大阪杯で重賞5勝目。天皇賞(春)は4着でした。故障のため4歳はこの2戦のみ。
5歳初戦の京都記念は3着。大阪杯は2着。天皇賞(春)で7着と崩れ,これで現役生活を終えました。
ダービー馬ですが,同世代の中で最も能力が高かった馬だとは僕は考えていません。ただし,母系の優秀さは種牡馬としては大きな武器になる筈です。現2歳がデビュー世代。キメラヴェリテのほか,函館2歳ステークスを勝ったビアンフェもいて,種牡馬としての滑り出しは順調といえます。
『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第一部は,定義Definitioから始まるわけではありません。その前に緒論が付されています。基本的にこの部分は,デカルトRené Descartesが『方法序説Discours de la méthode』で示した方法と,その結論の説明です。すでにいったようにデカルトは,とりあえずはすべての事柄を疑い,その中から疑い得ないことを発見しました。それが,疑っている自分自身が存在していることは疑い得ないということです。デカルトはこれを確実な事柄として思考をはじめ,最終的には神Deusの存在existentiaを確実性certitudoの根拠としたのでした。
この説明だけで緒論は十分なのですが,スピノザは最後に,これに対する反駁を想定し,それに解答を与えています。反駁というのは,神が存在するということはそれ自体で知られ得ないことなので,人間はどんな事柄にも確実であることはできないのではないかということです。これに対してスピノザは,まずデカルトが『哲学原理Principia philosophiae』などで示している事柄で解答するのですが,それとは別に自分自身の解答を与えています。これはスピノザが,デカルトの解答には不備があると考えているからです。とくにそれは,神が人間を欺くことがあるか否かという点に関連しています。
もちろん『デカルトの哲学原理』はスピノザによるデカルトの哲学の解説書です。ですから緒論のこの部分も,スピノザがデカルトに代わって解答を与えているということになり,いくらスピノザ自身が答えているからといっても,それがスピノザの考え方であるということはできません。実際にこの部分の文章の全体は,デカルトの考え方を覆さないように読解することも可能になっていると僕は判断します。しかし,部分的に読めば,それはデカルトの考え方というよりはスピノザの考え方に近いのではないかと思える部分が,二箇所ほど含まれているのです。文書全体の脈絡からは,その部分もデカルト哲学に合致させるように読解することが不可能ではないのですが,反駁に対する解答の仕方としていうなら,それはスピノザだったからこのような解答ができたのであって,デカルトであればそのようには答えることはできなかったのではないかとも思えるのです。
これからそのふたつの部分を示します。
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父はディープインパクト。母はキャットクイル。15歳上の半姉にJRA賞で1998年の最優秀3歳牝馬,2000年の最優秀4歳以上牝馬のファレノプシス。11歳上の半兄に2002年にピーターパンステークスを勝ったサンデーブレイク。
2歳10月にデビュー。新馬,500万と連勝。暮れのラジオNIKKEI杯2歳ステークスは3着。
3歳初戦の弥生賞は5着。続く毎日杯で重賞初制覇を達成すると京都新聞杯も連勝。その勢いでダービーも制覇しました。秋は渡仏。ニエル賞を制して挑んだ凱旋門賞は5着でした。JRA賞の最優秀3歳牡馬を受賞。
4歳初戦の大阪杯で重賞5勝目。天皇賞(春)は4着でした。故障のため4歳はこの2戦のみ。
5歳初戦の京都記念は3着。大阪杯は2着。天皇賞(春)で7着と崩れ,これで現役生活を終えました。
ダービー馬ですが,同世代の中で最も能力が高かった馬だとは僕は考えていません。ただし,母系の優秀さは種牡馬としては大きな武器になる筈です。現2歳がデビュー世代。キメラヴェリテのほか,函館2歳ステークスを勝ったビアンフェもいて,種牡馬としての滑り出しは順調といえます。
『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』の第一部は,定義Definitioから始まるわけではありません。その前に緒論が付されています。基本的にこの部分は,デカルトRené Descartesが『方法序説Discours de la méthode』で示した方法と,その結論の説明です。すでにいったようにデカルトは,とりあえずはすべての事柄を疑い,その中から疑い得ないことを発見しました。それが,疑っている自分自身が存在していることは疑い得ないということです。デカルトはこれを確実な事柄として思考をはじめ,最終的には神Deusの存在existentiaを確実性certitudoの根拠としたのでした。
この説明だけで緒論は十分なのですが,スピノザは最後に,これに対する反駁を想定し,それに解答を与えています。反駁というのは,神が存在するということはそれ自体で知られ得ないことなので,人間はどんな事柄にも確実であることはできないのではないかということです。これに対してスピノザは,まずデカルトが『哲学原理Principia philosophiae』などで示している事柄で解答するのですが,それとは別に自分自身の解答を与えています。これはスピノザが,デカルトの解答には不備があると考えているからです。とくにそれは,神が人間を欺くことがあるか否かという点に関連しています。
もちろん『デカルトの哲学原理』はスピノザによるデカルトの哲学の解説書です。ですから緒論のこの部分も,スピノザがデカルトに代わって解答を与えているということになり,いくらスピノザ自身が答えているからといっても,それがスピノザの考え方であるということはできません。実際にこの部分の文章の全体は,デカルトの考え方を覆さないように読解することも可能になっていると僕は判断します。しかし,部分的に読めば,それはデカルトの考え方というよりはスピノザの考え方に近いのではないかと思える部分が,二箇所ほど含まれているのです。文書全体の脈絡からは,その部分もデカルト哲学に合致させるように読解することが不可能ではないのですが,反駁に対する解答の仕方としていうなら,それはスピノザだったからこのような解答ができたのであって,デカルトであればそのようには答えることはできなかったのではないかとも思えるのです。
これからそのふたつの部分を示します。