昨晩の第70回全日本2歳優駿。
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先行争いがありそうなメンバー構成でしたが,アイオライトが難なく先頭に立ちました。ただインペリシャブルがプレッシャーをかけていったことで,向正面に入るところで2頭が3番手以下に3馬身ほどの差をつける形に。3番手はテイエムサウスダン,メイショウテンスイ,ゴールドビルダーの3頭で一団。4馬身差でキメラヴェリテ,モリノブレイク,ヴァケーションの3頭が一団。残りの5頭はティーズダンク,イロゴトシ,ブリッグオドーン,トゥーナブロッサムとヴァンブルースという順でばらばらの追走と,かなり縦長になりました。前半の800mは48秒9の超ハイペース。
2番手のインペリシャブルは3コーナーを回って一杯。逃げたアイオライトが2番手に上がってきたゴールドビルダーに3馬身ほどの差をつけ,この差が徐々に詰まっていって直線。追い掛けてきたゴールドビルダー,テイエムサウスダン,メイショウテンスイといったあたりは伸びあぐね,内から2頭目を回ってきたヴァケーションがゴールドビルダーとテイエムサウスダンの間に進路を取り単独の2番手に。そこからアイオライトを追い詰めていくとフィニッシュ寸前で差し切って優勝。逃げ粘ったアイオライトがアタマ差で2着。大外から猛然と追い込んできたティーズダンクが半馬身差で3着。
優勝したヴァケーションは平和賞からの連勝で大レース制覇。このレースはJRAの1勝クラスを勝って重賞で1着2着となったテイエムサウスダンとメイショウテンスイが実績的には上位。ただ未対戦の1勝クラスを勝った馬より力が上かどうかは分かりませデしたので,それなら南関東重賞をよい内容で勝ったヴァケーションとゴールドビルダーにもチャンスはあるのではないかとみていました。早めに追い掛けた馬には厳しい展開であったのが幸いした面がありますので,このメンバーでは力量上位であったとみていいかは不明です。ただ,南関東勢の中ではおそらくトップでしょうから,来年のクラシックの最有力候補だと思います。父はエスポワールシチー。母の父はサッカーボーイ。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手はクイーン賞に続く重賞6勝目。大レースは南部杯以来の2勝目。管理している川崎の高月賢一調教師は開業から18年1ヶ月で重賞初勝利。
僕が示した3つのレベルのうち,スピノザが第二のレベルで解答する理由としては,最初のものが消去法による消極的な理由であるとすれば,次のものはこのレベルで解答することが最も有効であるという意味において,より積極的な理由であるといえるでしょう。だからスピノザは,人間の本性natura humanaの創造者が人間を欺くかどうか知らないうちは人間は神Deusについて確実であることはできないという反駁に対して再反論したのです。そしてこれでみれば明らかなように,人間はたとえ人間の本性の創造者が人間を欺くかどうかを知らないとしても,神について確実であることができると解答すれば事足りたことになります。
ところが,緒論におけるスピノザの解答は,第二のレベルで解答を与えようという意図は汲み取れるものの,これとは違ったものになっています。実際にスピノザが記述しているのは,たとえ人間の本性の創造者が人間を欺くかどうか知らなくても,人間は三角形について明瞭判然たる観念ideaをもっているということなのです。
ここで三角形の明瞭判然たる観念をもっているということを,僕は三角形について確実であるという意味に解します。これはまず,スピノザの哲学では,明瞭判然は真verumとか十全adaequatumとは異なった意味で用いられますが,この文脈の明瞭判然たる観念は真の観念idea veraあるいは十全な観念idea adaequataと等置できるからであり,再びスピノザの哲学では,この真の観念を確実性certitudoと等置することができるからです。もっともこれはスピノザの哲学における事情であって,デカルトRené Descartesの哲学について語っている部分であるということを考慮すれば根拠としては薄弱でしょう。ですがスピノザはこのことをいった直後に,神についてそうした観念さえもてば,人間は神の存在existentiaについても数学上の真理veritasに関しても疑い得ないといっていて,三角形の明瞭判然たる観念は,数学上の真理に該当するでしょうから,これは三角形について疑い得ないといっていることになると解せるからです。もちろん第二部定理四九備考にあるように,疑惑dubitatioの欠乏privatioは確実性とは異なりますが,ここで疑い得ないといわれていることの意味は,第二部定理四三でいわれている場合と同じ意味に解するべきです。
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先行争いがありそうなメンバー構成でしたが,アイオライトが難なく先頭に立ちました。ただインペリシャブルがプレッシャーをかけていったことで,向正面に入るところで2頭が3番手以下に3馬身ほどの差をつける形に。3番手はテイエムサウスダン,メイショウテンスイ,ゴールドビルダーの3頭で一団。4馬身差でキメラヴェリテ,モリノブレイク,ヴァケーションの3頭が一団。残りの5頭はティーズダンク,イロゴトシ,ブリッグオドーン,トゥーナブロッサムとヴァンブルースという順でばらばらの追走と,かなり縦長になりました。前半の800mは48秒9の超ハイペース。
2番手のインペリシャブルは3コーナーを回って一杯。逃げたアイオライトが2番手に上がってきたゴールドビルダーに3馬身ほどの差をつけ,この差が徐々に詰まっていって直線。追い掛けてきたゴールドビルダー,テイエムサウスダン,メイショウテンスイといったあたりは伸びあぐね,内から2頭目を回ってきたヴァケーションがゴールドビルダーとテイエムサウスダンの間に進路を取り単独の2番手に。そこからアイオライトを追い詰めていくとフィニッシュ寸前で差し切って優勝。逃げ粘ったアイオライトがアタマ差で2着。大外から猛然と追い込んできたティーズダンクが半馬身差で3着。
優勝したヴァケーションは平和賞からの連勝で大レース制覇。このレースはJRAの1勝クラスを勝って重賞で1着2着となったテイエムサウスダンとメイショウテンスイが実績的には上位。ただ未対戦の1勝クラスを勝った馬より力が上かどうかは分かりませデしたので,それなら南関東重賞をよい内容で勝ったヴァケーションとゴールドビルダーにもチャンスはあるのではないかとみていました。早めに追い掛けた馬には厳しい展開であったのが幸いした面がありますので,このメンバーでは力量上位であったとみていいかは不明です。ただ,南関東勢の中ではおそらくトップでしょうから,来年のクラシックの最有力候補だと思います。父はエスポワールシチー。母の父はサッカーボーイ。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手はクイーン賞に続く重賞6勝目。大レースは南部杯以来の2勝目。管理している川崎の高月賢一調教師は開業から18年1ヶ月で重賞初勝利。
僕が示した3つのレベルのうち,スピノザが第二のレベルで解答する理由としては,最初のものが消去法による消極的な理由であるとすれば,次のものはこのレベルで解答することが最も有効であるという意味において,より積極的な理由であるといえるでしょう。だからスピノザは,人間の本性natura humanaの創造者が人間を欺くかどうか知らないうちは人間は神Deusについて確実であることはできないという反駁に対して再反論したのです。そしてこれでみれば明らかなように,人間はたとえ人間の本性の創造者が人間を欺くかどうかを知らないとしても,神について確実であることができると解答すれば事足りたことになります。
ところが,緒論におけるスピノザの解答は,第二のレベルで解答を与えようという意図は汲み取れるものの,これとは違ったものになっています。実際にスピノザが記述しているのは,たとえ人間の本性の創造者が人間を欺くかどうか知らなくても,人間は三角形について明瞭判然たる観念ideaをもっているということなのです。
ここで三角形の明瞭判然たる観念をもっているということを,僕は三角形について確実であるという意味に解します。これはまず,スピノザの哲学では,明瞭判然は真verumとか十全adaequatumとは異なった意味で用いられますが,この文脈の明瞭判然たる観念は真の観念idea veraあるいは十全な観念idea adaequataと等置できるからであり,再びスピノザの哲学では,この真の観念を確実性certitudoと等置することができるからです。もっともこれはスピノザの哲学における事情であって,デカルトRené Descartesの哲学について語っている部分であるということを考慮すれば根拠としては薄弱でしょう。ですがスピノザはこのことをいった直後に,神についてそうした観念さえもてば,人間は神の存在existentiaについても数学上の真理veritasに関しても疑い得ないといっていて,三角形の明瞭判然たる観念は,数学上の真理に該当するでしょうから,これは三角形について疑い得ないといっていることになると解せるからです。もちろん第二部定理四九備考にあるように,疑惑dubitatioの欠乏privatioは確実性とは異なりますが,ここで疑い得ないといわれていることの意味は,第二部定理四三でいわれている場合と同じ意味に解するべきです。