第57回ゴールドカップ。
ノブワイルドとタイセイラナキラの逃げ争いになりましたが,枠順の有利さでノブワイルドの逃げとなり,タイセイラナキラは2番手に控えました。3馬身差でトロヴァオ,ブルドッグボス,アルファベット,バンドオンザランの4頭が集団。その後ろにミキノトランペットとアドマイヤゴッド。2馬身差でタガノヴィッター,ツーエムマイスター,キスミープリンスの3頭で最後尾にブレーヴマン。最初の600mは35秒9のミドルペース。
向正面で外からアドマイヤゴッドが上昇。ノブワイルド,タイセイラナキラ,アドマイヤゴッドの3頭が雁行で3コーナーへ。コーナーの途中でタイセイラナキラは後退しアドマイヤゴッドが2番手に。アルファベットとブルドッグボスがタイセイラナキラの後ろまで追い上げてきました。直線に入って一旦はノブワイルドがアドマイヤゴッドに差をつけましたが,大外から捲ってきたブルドッグボスが迫ってくるとまたアドマイヤゴッドも中から伸びて差を詰めていく形。ノブワイルドにブルドッグボスが並び掛けたところでフィニッシュ。写真判定となり,優勝はブルドッグボス。ノブワイルドがハナ差で2着。アドマイヤゴッドが半馬身差で3着。
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優勝したブルドッグボスはJBCスプリントから連勝。重賞は2勝していますが南関東重賞はこれが初勝利。ここはノブワイルドとブルドッグボスの力が上で,ほかの馬との斤量にほとんど差がありませんから実力通りの結果となることが濃厚でした。最初に競られはしたもののペースはさほど上がったわけではないので,ノブワイルドの方がやや有利ではあったのですが,かなり外を回ってぎりぎりとはいえ差し切ったのは,ブルドッグボスの底力といえるかもしれません。父はダイワメジャー。3代母がバーブスボールド。母の5つ下の半弟に2009年に阪神ジャンプステークスを勝ったマヤノスターダム。
騎乗した大井の御神本訓史騎手はローレル賞以来の南関東重賞38勝目。その後に浦和記念を勝っています。ゴールドカップは初勝利。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞39勝目。第51回と52回に続き5年ぶりのゴールドカップ3勝目。
もしも実際にはスピノザが神Deusと人間の本性natura humanaの創造者を,別の存在者としてではなく,同一の存在者として把握しているのであるとすれば,この部分のスピノザの記述は,スピノザ自身が解したデカルトRené Descartesの哲学と決定的な亀裂が現れていることになります。
スピノザは,人間の本性の存在者が人間を欺くかどうかを知らなくても,人間は三角形について確実であることができるといっていました。もしも人間の本性の創造者と神が同一の存在者であるのなら,これは神が人間を欺くかどうかを知らなくても,人間は三角形について確実であることができるという意味になります。ところで,もしも人間が神を真に認識しているのであれば,神が最も誠実な者であるということ,いい換えれば人間を欺くことはないということを,人間は疑い得ないのでした。したがって,神が人間を欺くかどうかを知らない人間というのは,まさにスピノザがここで反駁者として想定している,神の真の観念idea veraを有していない人間であるということになります。最後にこれらのことを総合するなら,神について真の認識cognitioを有していない人間でも,三角形について確実であることができるとスピノザはいっていることになります。
実際に僕はスピノザがそのようにいっているのだと解します。そしてスピノザの哲学における確実性certitudoは,真の観念と等置できる,つまり三角形の確実性は三角形の真の観念とのみ等置されるのですから,確かに人間は神が人間を欺くかどうかを知らないとしても,他面からいえば神を真に認識していなくても,三角形について確実であることができるのです。しかしスピノザが解したデカルトの哲学では,神について確実であることができないうちは何についても確実であることができないのですから,このことが成立しません。そしてこの成立していないことが,この部分でいわれている,つまりスピノザはデカルトの哲学の解釈よりも自分の哲学の考え方をこの部分では前面に押し出してしまっていると僕は思うのです。
これで『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』における矛盾と,そこから派生した関連事項に関する考察は終了とします。続いて,別の部分を題材にして新しい考察に移行します。
ノブワイルドとタイセイラナキラの逃げ争いになりましたが,枠順の有利さでノブワイルドの逃げとなり,タイセイラナキラは2番手に控えました。3馬身差でトロヴァオ,ブルドッグボス,アルファベット,バンドオンザランの4頭が集団。その後ろにミキノトランペットとアドマイヤゴッド。2馬身差でタガノヴィッター,ツーエムマイスター,キスミープリンスの3頭で最後尾にブレーヴマン。最初の600mは35秒9のミドルペース。
向正面で外からアドマイヤゴッドが上昇。ノブワイルド,タイセイラナキラ,アドマイヤゴッドの3頭が雁行で3コーナーへ。コーナーの途中でタイセイラナキラは後退しアドマイヤゴッドが2番手に。アルファベットとブルドッグボスがタイセイラナキラの後ろまで追い上げてきました。直線に入って一旦はノブワイルドがアドマイヤゴッドに差をつけましたが,大外から捲ってきたブルドッグボスが迫ってくるとまたアドマイヤゴッドも中から伸びて差を詰めていく形。ノブワイルドにブルドッグボスが並び掛けたところでフィニッシュ。写真判定となり,優勝はブルドッグボス。ノブワイルドがハナ差で2着。アドマイヤゴッドが半馬身差で3着。
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優勝したブルドッグボスはJBCスプリントから連勝。重賞は2勝していますが南関東重賞はこれが初勝利。ここはノブワイルドとブルドッグボスの力が上で,ほかの馬との斤量にほとんど差がありませんから実力通りの結果となることが濃厚でした。最初に競られはしたもののペースはさほど上がったわけではないので,ノブワイルドの方がやや有利ではあったのですが,かなり外を回ってぎりぎりとはいえ差し切ったのは,ブルドッグボスの底力といえるかもしれません。父はダイワメジャー。3代母がバーブスボールド。母の5つ下の半弟に2009年に阪神ジャンプステークスを勝ったマヤノスターダム。
騎乗した大井の御神本訓史騎手はローレル賞以来の南関東重賞38勝目。その後に浦和記念を勝っています。ゴールドカップは初勝利。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞39勝目。第51回と52回に続き5年ぶりのゴールドカップ3勝目。
もしも実際にはスピノザが神Deusと人間の本性natura humanaの創造者を,別の存在者としてではなく,同一の存在者として把握しているのであるとすれば,この部分のスピノザの記述は,スピノザ自身が解したデカルトRené Descartesの哲学と決定的な亀裂が現れていることになります。
スピノザは,人間の本性の存在者が人間を欺くかどうかを知らなくても,人間は三角形について確実であることができるといっていました。もしも人間の本性の創造者と神が同一の存在者であるのなら,これは神が人間を欺くかどうかを知らなくても,人間は三角形について確実であることができるという意味になります。ところで,もしも人間が神を真に認識しているのであれば,神が最も誠実な者であるということ,いい換えれば人間を欺くことはないということを,人間は疑い得ないのでした。したがって,神が人間を欺くかどうかを知らない人間というのは,まさにスピノザがここで反駁者として想定している,神の真の観念idea veraを有していない人間であるということになります。最後にこれらのことを総合するなら,神について真の認識cognitioを有していない人間でも,三角形について確実であることができるとスピノザはいっていることになります。
実際に僕はスピノザがそのようにいっているのだと解します。そしてスピノザの哲学における確実性certitudoは,真の観念と等置できる,つまり三角形の確実性は三角形の真の観念とのみ等置されるのですから,確かに人間は神が人間を欺くかどうかを知らないとしても,他面からいえば神を真に認識していなくても,三角形について確実であることができるのです。しかしスピノザが解したデカルトの哲学では,神について確実であることができないうちは何についても確実であることができないのですから,このことが成立しません。そしてこの成立していないことが,この部分でいわれている,つまりスピノザはデカルトの哲学の解釈よりも自分の哲学の考え方をこの部分では前面に押し出してしまっていると僕は思うのです。
これで『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』における矛盾と,そこから派生した関連事項に関する考察は終了とします。続いて,別の部分を題材にして新しい考察に移行します。