第65回東京大賞典。石崎駿騎手が病気のためサンドプラチナは森泰斗騎手に変更。
確たる逃げ馬が不在でしたので何が逃げるのかは予測が難しかったのですが,最内枠から普通の発馬となったアポロテネシーが先手を奪う形になりました。2番手でマークがケイティブレイブ。3番手にロンドンタウンとゴールドドリームで5番手のロードゴラッソまでは一団。3馬身差でノンコノユメとオメガパフューム。3馬身差でモジアナフレイバー。2馬身差でバルダッサーレとサノサマー。3馬身差でウマノジョーとゴーディー。4馬身差の最後尾にサンドプラチナと縦長の隊列。前半の1000mは61秒6のハイペース。
3コーナーを回るところでアポロテネシー,ケイティブレイブ,ゴールドドリームが雁行。コーナーの途中では外からオメガパフュームが4番手となり,それを追い掛けて外から進出してきたのがモジアナフレイバー。直線に入ると前3頭の争いからゴールドドリームが前に出て一旦先頭。外からオメガパフューム,大外からモジアナフレイバー,さらにゴールドドリームの内からはノンコノユメが伸びてきて,最後は消耗戦に。ゴールドドリームを最初に差して先頭に立ったオメガパフュームが,フィニッシュまで粘り切って優勝。内のノンコノユメが1馬身差で2着。大外のモジアナフレイバーが2馬身差の3着。ゴールドドリームは半馬身差で4着。
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優勝したオメガパフュームは帝王賞以来の勝利で大レース3勝目。東京大賞典は第64回に続く連覇。ここはケイティブレイブ,オメガパフューム,ゴールドドリームの3頭の力が上で,一角を崩せばモジアナフレイバーかノンコノユメとみていました。実力上位とみた3頭のうち2頭が崩れてしまったのは想定外でしたが,食い込んできたのは一角崩しありとみた2頭だったので,それなりには順当な決着だったとみていいでしょう。こういう結果になったのは先行勢がやり合いすぎたためで,それより後ろに位置していた3頭に展開が向いたというところでしょう。能力そのものよりは,展開の方がより結果に大きく反映されたといえると思います。母の父は第48回の覇者のゴールドアリュール。従姉に昨年の愛知杯を勝ったエテルナミノル。
騎乗したミルコ・デムーロ騎手はオークス以来の大レース制覇。東京大賞典は連覇で2勝目。管理している安田翔伍調教師は帝王賞以来の大レース3勝目。東京大賞典は連覇で2勝目。
スピノザの哲学では,同一個体は合一しているといわれることがあります。この合一unioも今回は重要になりますので,改めて説明しておきます。
第二部定理一三備考は次のように始まります。
「これによって我々は,人間精神が身体と合一していることを(Mentem humanam unitam esse Corpori)知るのみならず,精神と身体の合一をいかに解すべきかをも知る。しかし何びともあらかじめ我々の身体の本性を妥当に認識するのでなくてはこの合一を妥当にあるいは判然と理解することができないであろう」。
第二部定理一三から,人間の身体とその人間の精神が同一個体であることが分かります。他面からいえば,人間の精神とはその人間の身体の観念であることが分かります。そしてその身体と精神が合一しているといわれています。この備考Scholiumのこれによってというのは,第二部定理一三によって,あるいは第二部定理一三と第二部定理一三系によってと解さなければならないのは,これが備考の冒頭部分であることから明白ですから,スピノザが何をもって合一といっているかは詳しく説明するまでもないでしょう。
一方でスピノザは,合一を十全に認識するcognoscereには身体の本性naturaを十全に認識しなければならないといっています。このために備考の直後に自然学Physical Digressionが置かれることになるのです。ここで着目すべきなのは,精神の本性を十全に認識しなければ,とはいわれず,身体の本性を十全に認識しなければ,といわれている点です。スピノザの哲学では,XとXの観念ideaが同一個体でした。この場合はXに該当するのが身体ですから,Xの観念ではなく,Xの本性を十全に知る必要があるといわれていることになります。他面からいえば,観念の本性ではなく,観念対象ideatumの本性を十全に認識されることが求められているのです。XとXの観念が同一個体であるということのうちには,Xは形相的有esse formaleでも客観的有esse objectivumでも妥当するということが含まれていました。ですが合一の場合は,形相的有である身体の本性の十全な認識cognitioが求められているのですから,合一するのは形相的有と客観的有であることになります。よって同一個体は合一していると解するより,ある形相的有とその観念が合一していると解するのがよいでしょう。
確たる逃げ馬が不在でしたので何が逃げるのかは予測が難しかったのですが,最内枠から普通の発馬となったアポロテネシーが先手を奪う形になりました。2番手でマークがケイティブレイブ。3番手にロンドンタウンとゴールドドリームで5番手のロードゴラッソまでは一団。3馬身差でノンコノユメとオメガパフューム。3馬身差でモジアナフレイバー。2馬身差でバルダッサーレとサノサマー。3馬身差でウマノジョーとゴーディー。4馬身差の最後尾にサンドプラチナと縦長の隊列。前半の1000mは61秒6のハイペース。
3コーナーを回るところでアポロテネシー,ケイティブレイブ,ゴールドドリームが雁行。コーナーの途中では外からオメガパフュームが4番手となり,それを追い掛けて外から進出してきたのがモジアナフレイバー。直線に入ると前3頭の争いからゴールドドリームが前に出て一旦先頭。外からオメガパフューム,大外からモジアナフレイバー,さらにゴールドドリームの内からはノンコノユメが伸びてきて,最後は消耗戦に。ゴールドドリームを最初に差して先頭に立ったオメガパフュームが,フィニッシュまで粘り切って優勝。内のノンコノユメが1馬身差で2着。大外のモジアナフレイバーが2馬身差の3着。ゴールドドリームは半馬身差で4着。
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優勝したオメガパフュームは帝王賞以来の勝利で大レース3勝目。東京大賞典は第64回に続く連覇。ここはケイティブレイブ,オメガパフューム,ゴールドドリームの3頭の力が上で,一角を崩せばモジアナフレイバーかノンコノユメとみていました。実力上位とみた3頭のうち2頭が崩れてしまったのは想定外でしたが,食い込んできたのは一角崩しありとみた2頭だったので,それなりには順当な決着だったとみていいでしょう。こういう結果になったのは先行勢がやり合いすぎたためで,それより後ろに位置していた3頭に展開が向いたというところでしょう。能力そのものよりは,展開の方がより結果に大きく反映されたといえると思います。母の父は第48回の覇者のゴールドアリュール。従姉に昨年の愛知杯を勝ったエテルナミノル。
騎乗したミルコ・デムーロ騎手はオークス以来の大レース制覇。東京大賞典は連覇で2勝目。管理している安田翔伍調教師は帝王賞以来の大レース3勝目。東京大賞典は連覇で2勝目。
スピノザの哲学では,同一個体は合一しているといわれることがあります。この合一unioも今回は重要になりますので,改めて説明しておきます。
第二部定理一三備考は次のように始まります。
「これによって我々は,人間精神が身体と合一していることを(Mentem humanam unitam esse Corpori)知るのみならず,精神と身体の合一をいかに解すべきかをも知る。しかし何びともあらかじめ我々の身体の本性を妥当に認識するのでなくてはこの合一を妥当にあるいは判然と理解することができないであろう」。
第二部定理一三から,人間の身体とその人間の精神が同一個体であることが分かります。他面からいえば,人間の精神とはその人間の身体の観念であることが分かります。そしてその身体と精神が合一しているといわれています。この備考Scholiumのこれによってというのは,第二部定理一三によって,あるいは第二部定理一三と第二部定理一三系によってと解さなければならないのは,これが備考の冒頭部分であることから明白ですから,スピノザが何をもって合一といっているかは詳しく説明するまでもないでしょう。
一方でスピノザは,合一を十全に認識するcognoscereには身体の本性naturaを十全に認識しなければならないといっています。このために備考の直後に自然学Physical Digressionが置かれることになるのです。ここで着目すべきなのは,精神の本性を十全に認識しなければ,とはいわれず,身体の本性を十全に認識しなければ,といわれている点です。スピノザの哲学では,XとXの観念ideaが同一個体でした。この場合はXに該当するのが身体ですから,Xの観念ではなく,Xの本性を十全に知る必要があるといわれていることになります。他面からいえば,観念の本性ではなく,観念対象ideatumの本性を十全に認識されることが求められているのです。XとXの観念が同一個体であるということのうちには,Xは形相的有esse formaleでも客観的有esse objectivumでも妥当するということが含まれていました。ですが合一の場合は,形相的有である身体の本性の十全な認識cognitioが求められているのですから,合一するのは形相的有と客観的有であることになります。よって同一個体は合一していると解するより,ある形相的有とその観念が合一していると解するのがよいでしょう。