第13回東京シンデレラマイル。御神本騎手が病気のためサラーブは町田騎手に変更。
エースウィズは発馬後の加速が鈍く1馬身の不利。ジェッシージェニーは躓いて同じく1馬身の不利。先手を奪ったのはポッドギルで2馬身くらいのリード。2番手にミッシングリンク,ストロングハート,エイシンセラードの3頭で5番手のステップオブダンスまで含めた4頭は一団。ここから3馬身差でアークヴィグラスとレガロデルソル。1馬身差でエターナルモールとオルキスリアン。1馬身の間隔でサラーブ,ナンヨーオボロヅキ,ローレライと続いてこの7頭は一団。2馬身差でサンルイビル,ペタルーダ,ジェッシージェニー,エースウィズの順で4頭が続く形。前半の800mは49秒3のハイペース。
3コーナー過ぎからミッシングリンクがポッドギルに並んでいき,コーナーの中間で先頭に。その外からレガロデルソルとサラーブの追い上げで,さらに外からローレライとサンルイビルが並んでの追い込み。最後は大外の2頭と,サラーブとローレライの間から伸びてきたオルキスリアンの3頭が抜け出し,さらにサラーブの内からペタルーダも伸びてくる形に。最初に先頭に立っていたローレライが最後まで踏ん張って優勝。オルキスリアンがクビ差の2着でサンルイビルがクビ差で3着。ペタルーダがハナ差の4着。
優勝したローレライは6月のB級1組戦以来の7勝目。南関東重賞は初勝利。このレースは近況が不振の実績馬と,最近の成績のよい格下の馬が入り混じっての混戦で,優勝候補をあげるだけでも困難なレースでした。ローレライは格下の部類に入りますが,スパーキングレディーカップは大きく離されたとはいえ3着で,前々走のレディースプレリュードはそこまで差のない6着と,重賞でもそれなりに走っていたので,ここで勝つ力は十分にあったということでしょう。ただ,騎手のコース取りからも窺えるように,現状の大井は内目は走りにくいようです。このために先行した馬には厳しく,差しが決まりやすくなっているという面があるかもしれません。コースの現在の特徴が反映されているとも考えられますので,そのあたりは今後の馬券検討の際には気を付けておきたいところです。父はゴールドアリュール。母の父はクロフネ。母系祖先はチップトップで3代母がロジータ。2着馬は叔母にあたります。
騎乗した船橋の本田正重騎手はロジータ記念以来の南関東重賞7勝目。東京シンデレラマイルは初勝利。管理している大井の堀千亜樹調教師は南関東重賞3勝目。東京シンデレラマイルは初勝利。
合一unioと同一個体は異なった概念として解しておくのがスピノザの哲学の理解のためにはよいと思います。つまり,一般にXとXの観念ideaは同一個体であるといわれるのに対し,Xが形相的有esse formaleである場合のみ,XとXの観念は合一しているといわれると解するのがよいでしょう。そしてこのときに気を付けておきたいのは,Xはそれが形相的有であるならどんなものであっても成立することです。第二部定理一三備考は,人間の身体と人間の精神が合一しているMentem humanam unitam esse Corporiといっていますが,別に人間の身体だけがその身体の観念であるその人間の精神と合一しているといわれるわけでなく,Xは形相的有であれば何であれ,といっても人間が認識するcognoscereことができる形相的有というのは第二部公理五により物体corpusだけなので,僕たちにとっては事実上はこれは物体であれば何であれという意味ですから,物体であれば何であれ成立するということです。スピノザの哲学では,この合一という観点からみられた場合の客観的有esse objectivumすなわち観念が精神といわれるということに留意すれば,同じ第二部定理一三備考の中で,すべての個体が精神animataを有しているといわれていることからそれは明らかです。
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第二部定理七備考でいわれている同一物については,僕がそれを同一個体と解するということはすでに明言した通りです。そしてこの部分は,延長Extensioの様態modiとその観念が同一物だといっています。延長の様態というのは,当然ながら形相的有です。したがって,ここでいわれている同一物は,合一しているということも僕は是認することになります。そしてその前にいったように,この合一している延長の様態とその観念は,実在的に区別されなければならず,区別distinguereが可能である以上は別のものであると僕は解しますし,それがスピノザの哲学に則した解釈であると僕は考えます。
しかしこの解釈をすることによって,形相的有,この備考Scholiumでいわれているところでは延長の様態について,それが実在するのか否かという疑問がスピノザの哲学には呈示されてしまうようになるという一面があるのも事実です。そこでそれを回避するための手段が,この部分の同一物を,文字通りに解釈してしまうという方法なのです。
エースウィズは発馬後の加速が鈍く1馬身の不利。ジェッシージェニーは躓いて同じく1馬身の不利。先手を奪ったのはポッドギルで2馬身くらいのリード。2番手にミッシングリンク,ストロングハート,エイシンセラードの3頭で5番手のステップオブダンスまで含めた4頭は一団。ここから3馬身差でアークヴィグラスとレガロデルソル。1馬身差でエターナルモールとオルキスリアン。1馬身の間隔でサラーブ,ナンヨーオボロヅキ,ローレライと続いてこの7頭は一団。2馬身差でサンルイビル,ペタルーダ,ジェッシージェニー,エースウィズの順で4頭が続く形。前半の800mは49秒3のハイペース。
3コーナー過ぎからミッシングリンクがポッドギルに並んでいき,コーナーの中間で先頭に。その外からレガロデルソルとサラーブの追い上げで,さらに外からローレライとサンルイビルが並んでの追い込み。最後は大外の2頭と,サラーブとローレライの間から伸びてきたオルキスリアンの3頭が抜け出し,さらにサラーブの内からペタルーダも伸びてくる形に。最初に先頭に立っていたローレライが最後まで踏ん張って優勝。オルキスリアンがクビ差の2着でサンルイビルがクビ差で3着。ペタルーダがハナ差の4着。
優勝したローレライは6月のB級1組戦以来の7勝目。南関東重賞は初勝利。このレースは近況が不振の実績馬と,最近の成績のよい格下の馬が入り混じっての混戦で,優勝候補をあげるだけでも困難なレースでした。ローレライは格下の部類に入りますが,スパーキングレディーカップは大きく離されたとはいえ3着で,前々走のレディースプレリュードはそこまで差のない6着と,重賞でもそれなりに走っていたので,ここで勝つ力は十分にあったということでしょう。ただ,騎手のコース取りからも窺えるように,現状の大井は内目は走りにくいようです。このために先行した馬には厳しく,差しが決まりやすくなっているという面があるかもしれません。コースの現在の特徴が反映されているとも考えられますので,そのあたりは今後の馬券検討の際には気を付けておきたいところです。父はゴールドアリュール。母の父はクロフネ。母系祖先はチップトップで3代母がロジータ。2着馬は叔母にあたります。
騎乗した船橋の本田正重騎手はロジータ記念以来の南関東重賞7勝目。東京シンデレラマイルは初勝利。管理している大井の堀千亜樹調教師は南関東重賞3勝目。東京シンデレラマイルは初勝利。
合一unioと同一個体は異なった概念として解しておくのがスピノザの哲学の理解のためにはよいと思います。つまり,一般にXとXの観念ideaは同一個体であるといわれるのに対し,Xが形相的有esse formaleである場合のみ,XとXの観念は合一しているといわれると解するのがよいでしょう。そしてこのときに気を付けておきたいのは,Xはそれが形相的有であるならどんなものであっても成立することです。第二部定理一三備考は,人間の身体と人間の精神が合一しているMentem humanam unitam esse Corporiといっていますが,別に人間の身体だけがその身体の観念であるその人間の精神と合一しているといわれるわけでなく,Xは形相的有であれば何であれ,といっても人間が認識するcognoscereことができる形相的有というのは第二部公理五により物体corpusだけなので,僕たちにとっては事実上はこれは物体であれば何であれという意味ですから,物体であれば何であれ成立するということです。スピノザの哲学では,この合一という観点からみられた場合の客観的有esse objectivumすなわち観念が精神といわれるということに留意すれば,同じ第二部定理一三備考の中で,すべての個体が精神animataを有しているといわれていることからそれは明らかです。
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第二部定理七備考でいわれている同一物については,僕がそれを同一個体と解するということはすでに明言した通りです。そしてこの部分は,延長Extensioの様態modiとその観念が同一物だといっています。延長の様態というのは,当然ながら形相的有です。したがって,ここでいわれている同一物は,合一しているということも僕は是認することになります。そしてその前にいったように,この合一している延長の様態とその観念は,実在的に区別されなければならず,区別distinguereが可能である以上は別のものであると僕は解しますし,それがスピノザの哲学に則した解釈であると僕は考えます。
しかしこの解釈をすることによって,形相的有,この備考Scholiumでいわれているところでは延長の様態について,それが実在するのか否かという疑問がスピノザの哲学には呈示されてしまうようになるという一面があるのも事実です。そこでそれを回避するための手段が,この部分の同一物を,文字通りに解釈してしまうという方法なのです。