日曜のNHKマイルカップを勝ったラウダシオンの父はリアルインパクトです。父はディープインパクト。母はトキオリアリティー。6つ上の半兄に2007年にオーシャンステークスを勝ったアイルラヴァゲイン。3つ下の半弟に2016年に札幌記念,2017年に中山記念とクイーンエリザベスⅡ世カップを勝ったネオリアリズム。
2歳10月にデビュー。新馬を勝つとすぐに京王杯2歳ステークスに挑戦して2着。朝日杯フューチュリティステークスも2着でした。
3歳初戦のニュージーランドトロフィーは11着。一叩きして挑んだNHKマイルカップで3着になると,古馬相手の安田記念に進み,大レース制覇を達成しました。安田記念は第1回と2回を3歳馬が勝っているのですが,それ以外に3歳で勝ったのはこの馬だけです。
秋は毎日王冠で復帰して2着。マイルチャンピオンシップは1番人気に支持されるも5着。阪神カップも1番人気で10着でした。
4歳の初戦は中山記念で3着。マイラーズカップは最下位。安田記念が6着でした。
4歳秋は毎日王冠を4着。マイルチャンピオンシップが5着でした。
5歳初戦の東京新聞杯は11着。中山記念が8着でダービー卿チャレンジトロフィーは12着でした。
立て直して挑んだ富士ステークスで2着。マイルチャンピオンシップは10着でしたが阪神カップを制覇。1年半ぶりの勝利をあげました。
6歳春はスプリント路線に参戦。オーシャンステークスが8着,高松宮記念が9着。マイルに戻った安田記念も13着でした。
秋は11月のオープンで復帰。これは6着でしたが,阪神カップで連覇を達成しました。
7歳春はオーストラリアに遠征。ジョージライダーステークスを制覇しドンカスターマイルで2着と,大きな戦果をあげました。帰国して出走した安田記念は12着。
ラストシーズンとなった7歳秋は毎日王冠が12着でマイルチャンピオンシップが8着でした。
日本でひとつ,オーストラリアでひとつの大レースを勝った馬ですが,一流馬といえるほどの成績を残せたわけではありません。その中から大レースの勝ち馬が出たのですから,種牡馬としては大成功といっていいくらいだと思います。
僕がこの考察では,数学は存在論であるとするバディウAlain Badiouのテーゼの立場は採用しないということ,ならびになぜその立場を採用しないかという理由は概ね理解してもらえたものと思います。また同時に,スピノザがカントールGeorg Ferdinand Ludwig Philipp Cantorの数学を知らなかったことも前提とした上で,スピノザにとって数学という語が示す内実がどういったものであったかを考察していくということにも留意しておいてください。
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『主体の論理・概念の倫理』の三者鼎談の中で,スピノザにとって数学とは幾何学的方法であったと発言しているのは上野です。そしてそのことに上野は,経験には頼らずに対象を創出していく学問であるという主旨の説明をしています。つまりスピノザは個別の計算とか解析といったものについてはそれを重視しないといっていることになります。
僕はこのこと自体は正しいと思います。ただこのことは数学に限られたことではないとも思うのです。というのは,オルデンブルクとの文通が事実上はロバート・ボイルRobert Boyleとの化学に関わる論争に入ったとき,スピノザはボイルの実証的な実験についてはそれをさほど重視しておらず,むしろ実験の結果effectusを原因causaから結果の方へと辿ることについて意欲を示しているからです。ボイルの方は実験の方を重視していましたから,実験の結果についての部分を別にすれば,ふたりの論争はその点が中心となっています。
しかし,僕はだからスピノザがボイルの実験を化学であると認めていないというようには思いません。これは幾何学的方法をスピノザが重視していたとはいえ,スピノザ自身もまた様ざまな実験を行っていたという事実がそれを証明しているといっていいのではないかと思います。そしてそれと同じように,スピノザは経験には訴えない数学というものを重視していたのですが,だからといって個別の計算とか解析について,それを数学とは認めていなかったとは思いません。上野のいい方だと,スピノザは幾何学的方法だけを数学と認識していたことになるので,個別の計算や解析は数学として認めなかったということになるのですが,僕はそのような解釈は採用しませんし,上野の説明にも別の意図があったと思います。
2歳10月にデビュー。新馬を勝つとすぐに京王杯2歳ステークスに挑戦して2着。朝日杯フューチュリティステークスも2着でした。
3歳初戦のニュージーランドトロフィーは11着。一叩きして挑んだNHKマイルカップで3着になると,古馬相手の安田記念に進み,大レース制覇を達成しました。安田記念は第1回と2回を3歳馬が勝っているのですが,それ以外に3歳で勝ったのはこの馬だけです。
秋は毎日王冠で復帰して2着。マイルチャンピオンシップは1番人気に支持されるも5着。阪神カップも1番人気で10着でした。
4歳の初戦は中山記念で3着。マイラーズカップは最下位。安田記念が6着でした。
4歳秋は毎日王冠を4着。マイルチャンピオンシップが5着でした。
5歳初戦の東京新聞杯は11着。中山記念が8着でダービー卿チャレンジトロフィーは12着でした。
立て直して挑んだ富士ステークスで2着。マイルチャンピオンシップは10着でしたが阪神カップを制覇。1年半ぶりの勝利をあげました。
6歳春はスプリント路線に参戦。オーシャンステークスが8着,高松宮記念が9着。マイルに戻った安田記念も13着でした。
秋は11月のオープンで復帰。これは6着でしたが,阪神カップで連覇を達成しました。
7歳春はオーストラリアに遠征。ジョージライダーステークスを制覇しドンカスターマイルで2着と,大きな戦果をあげました。帰国して出走した安田記念は12着。
ラストシーズンとなった7歳秋は毎日王冠が12着でマイルチャンピオンシップが8着でした。
日本でひとつ,オーストラリアでひとつの大レースを勝った馬ですが,一流馬といえるほどの成績を残せたわけではありません。その中から大レースの勝ち馬が出たのですから,種牡馬としては大成功といっていいくらいだと思います。
僕がこの考察では,数学は存在論であるとするバディウAlain Badiouのテーゼの立場は採用しないということ,ならびになぜその立場を採用しないかという理由は概ね理解してもらえたものと思います。また同時に,スピノザがカントールGeorg Ferdinand Ludwig Philipp Cantorの数学を知らなかったことも前提とした上で,スピノザにとって数学という語が示す内実がどういったものであったかを考察していくということにも留意しておいてください。
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『主体の論理・概念の倫理』の三者鼎談の中で,スピノザにとって数学とは幾何学的方法であったと発言しているのは上野です。そしてそのことに上野は,経験には頼らずに対象を創出していく学問であるという主旨の説明をしています。つまりスピノザは個別の計算とか解析といったものについてはそれを重視しないといっていることになります。
僕はこのこと自体は正しいと思います。ただこのことは数学に限られたことではないとも思うのです。というのは,オルデンブルクとの文通が事実上はロバート・ボイルRobert Boyleとの化学に関わる論争に入ったとき,スピノザはボイルの実証的な実験についてはそれをさほど重視しておらず,むしろ実験の結果effectusを原因causaから結果の方へと辿ることについて意欲を示しているからです。ボイルの方は実験の方を重視していましたから,実験の結果についての部分を別にすれば,ふたりの論争はその点が中心となっています。
しかし,僕はだからスピノザがボイルの実験を化学であると認めていないというようには思いません。これは幾何学的方法をスピノザが重視していたとはいえ,スピノザ自身もまた様ざまな実験を行っていたという事実がそれを証明しているといっていいのではないかと思います。そしてそれと同じように,スピノザは経験には訴えない数学というものを重視していたのですが,だからといって個別の計算とか解析について,それを数学とは認めていなかったとは思いません。上野のいい方だと,スピノザは幾何学的方法だけを数学と認識していたことになるので,個別の計算や解析は数学として認めなかったということになるのですが,僕はそのような解釈は採用しませんし,上野の説明にも別の意図があったと思います。