第20回サマーチャンピオン。ヒラソールが競走除外で11頭。
先手を奪ったのはサヴィ。2番手にキャプテンハウテン,3番手にメイショウテンスイ,4番手にヤマニンアンプリメ。発馬後の加速が鈍かったコパノキッキングがその後ろまで追い上げて向正面ヘ。ここからこの5頭が6番手のナムラムート以下を大きく引き離していく形に。3馬身差の7番手にナラ。また3馬身ほど開いてハクユウスターダム,キタノイットウセイ,オイカケマショウ,ダイチトゥルースの順で続きました。最初の600mは35秒7のハイペース。
3コーナーを前に前の5頭からキャプテンハウテンが脱落し,残る4頭の争い。内からヤマニンアンプリメ,サヴィ,メイショウテンスイの3頭はほぼ横並びで,その直後にコパノキッキングという隊形で直線に。最内のヤマニンアンプリメは脱落。大外のコパノキッキングも残る2頭には追いつけず,中の2頭の優勝争いになりましたが,一杯に逃げ切る形でサヴィが優勝。半馬身差の2着にメイショウテンスイ。1馬身差の3着にコパノキッキングでヤマニンアンプリメは1馬身4分の1差で4着。
優勝したサヴィは前走のオープンからの連勝で重賞初制覇。このレースはコパノキッキングとヤマニンアンプリメが能力では上ですが,前者が58.5キロ,後者が牝馬で56キロというハンデでしたので,ハンデ差を生かしての逆転というケースはあり得ると思っていました。サヴィは56キロと有利といえるほどの斤量ではありませんでしたが,やはり実績上位の2頭は絶対的な意味で斤量に泣かされたとみていいのではないでしょうか。2着馬は53キロとはいえ3歳馬なので,着差以上の能力差があるというようには考えなくていいのではないかと思います。Savvyは知識。とくに実用的な知識のことです。
騎乗した和田竜二騎手は第19回からの連覇でサマーチャンピオン2勝目。管理している中内田充正調教師はサマーチャンピオン初勝利。
この点でも,フッデJohann Huddeの書簡に対する扱いと,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの書簡に対する扱いでは,遺稿集Opera Posthumaの編集者たちは一貫性を欠いていたことになります。

書簡四十五と書簡四十六に出てくるフッデの名前は伏せられていました。それを伏せておかないと,フッデとスピノザが相識であるばかりでなく,親しい間柄であることが分かってしまうからです。ところがこれらの書簡はスピノザとライプニッツのやり取りなのであって,ライプニッツの名前は伏せられることなく遺稿集に掲載されているのです。
書簡七十と書簡七十二は掲載されませんでしたが,ライプニッツの名前を伏せる形で遺稿集に掲載することができなかったことは僕にも同意できるところです。これは名前を伏せるだけでは,ライプニッツであることが容易に推測できる形で名前が出されているからです。ただ,ライプニッツの名前が出ている部分は,『エチカ』の草稿をライプニッツに読ませることの許可を求めている部分と,それに対するスピノザの解答が文脈上の主旨です。ですからその部分については全文を削除し,残る部分だけを掲載するという措置は講じられた筈なのです。そしてこの残りの部分には,哲学に関連する質問とその解答が記述されているのですから,遺稿集に掲載する価値としては,実際に掲載されたふたつの書簡よりも高かったのです。それなのにこれらは掲載を見送り,一方ではライプニッツとスピノザの間で書簡のやり取りを明らかにするというのであれば,部分的にはライプニッツに対してフッデ以上の配慮を行っているのに,その他の部分ではフッデに対してなしたような配慮を編集者たちは何も行っていないということになります。この一貫性のなさは,僕には明らかに不自然であると感じられるのです。
この配慮に対する一貫性のなさを,合理的に説明できるとすれば,それはライプニッツの書簡のすべて,さらにライプニッツの名前が出ている2通の書簡については,遺稿集の編集者の間で情報が共有されていなかったとすることだと思うのです。具体的にいえば,すべての書簡の存在を知っていた編集者はシュラーだけで,それ以外の編集者は知らなかったとすることです。
先手を奪ったのはサヴィ。2番手にキャプテンハウテン,3番手にメイショウテンスイ,4番手にヤマニンアンプリメ。発馬後の加速が鈍かったコパノキッキングがその後ろまで追い上げて向正面ヘ。ここからこの5頭が6番手のナムラムート以下を大きく引き離していく形に。3馬身差の7番手にナラ。また3馬身ほど開いてハクユウスターダム,キタノイットウセイ,オイカケマショウ,ダイチトゥルースの順で続きました。最初の600mは35秒7のハイペース。
3コーナーを前に前の5頭からキャプテンハウテンが脱落し,残る4頭の争い。内からヤマニンアンプリメ,サヴィ,メイショウテンスイの3頭はほぼ横並びで,その直後にコパノキッキングという隊形で直線に。最内のヤマニンアンプリメは脱落。大外のコパノキッキングも残る2頭には追いつけず,中の2頭の優勝争いになりましたが,一杯に逃げ切る形でサヴィが優勝。半馬身差の2着にメイショウテンスイ。1馬身差の3着にコパノキッキングでヤマニンアンプリメは1馬身4分の1差で4着。
優勝したサヴィは前走のオープンからの連勝で重賞初制覇。このレースはコパノキッキングとヤマニンアンプリメが能力では上ですが,前者が58.5キロ,後者が牝馬で56キロというハンデでしたので,ハンデ差を生かしての逆転というケースはあり得ると思っていました。サヴィは56キロと有利といえるほどの斤量ではありませんでしたが,やはり実績上位の2頭は絶対的な意味で斤量に泣かされたとみていいのではないでしょうか。2着馬は53キロとはいえ3歳馬なので,着差以上の能力差があるというようには考えなくていいのではないかと思います。Savvyは知識。とくに実用的な知識のことです。
騎乗した和田竜二騎手は第19回からの連覇でサマーチャンピオン2勝目。管理している中内田充正調教師はサマーチャンピオン初勝利。
この点でも,フッデJohann Huddeの書簡に対する扱いと,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizの書簡に対する扱いでは,遺稿集Opera Posthumaの編集者たちは一貫性を欠いていたことになります。

書簡四十五と書簡四十六に出てくるフッデの名前は伏せられていました。それを伏せておかないと,フッデとスピノザが相識であるばかりでなく,親しい間柄であることが分かってしまうからです。ところがこれらの書簡はスピノザとライプニッツのやり取りなのであって,ライプニッツの名前は伏せられることなく遺稿集に掲載されているのです。
書簡七十と書簡七十二は掲載されませんでしたが,ライプニッツの名前を伏せる形で遺稿集に掲載することができなかったことは僕にも同意できるところです。これは名前を伏せるだけでは,ライプニッツであることが容易に推測できる形で名前が出されているからです。ただ,ライプニッツの名前が出ている部分は,『エチカ』の草稿をライプニッツに読ませることの許可を求めている部分と,それに対するスピノザの解答が文脈上の主旨です。ですからその部分については全文を削除し,残る部分だけを掲載するという措置は講じられた筈なのです。そしてこの残りの部分には,哲学に関連する質問とその解答が記述されているのですから,遺稿集に掲載する価値としては,実際に掲載されたふたつの書簡よりも高かったのです。それなのにこれらは掲載を見送り,一方ではライプニッツとスピノザの間で書簡のやり取りを明らかにするというのであれば,部分的にはライプニッツに対してフッデ以上の配慮を行っているのに,その他の部分ではフッデに対してなしたような配慮を編集者たちは何も行っていないということになります。この一貫性のなさは,僕には明らかに不自然であると感じられるのです。
この配慮に対する一貫性のなさを,合理的に説明できるとすれば,それはライプニッツの書簡のすべて,さらにライプニッツの名前が出ている2通の書簡については,遺稿集の編集者の間で情報が共有されていなかったとすることだと思うのです。具体的にいえば,すべての書簡の存在を知っていた編集者はシュラーだけで,それ以外の編集者は知らなかったとすることです。