スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ゴールドカップレース&入院の時期

2020-10-27 18:58:24 | 競輪
 京王閣記念の決勝。並びは平原‐佐藤‐成田の東日本,古性‐山田‐村上の近畿,松浦‐池田の瀬戸内で東矢は単騎。
 佐藤と村上がスタートを取りにいき,外の村上が制して古性の前受け。4番手に平原,7番手に松浦,最後尾に東矢で周回。残り3周のバックから松浦がゆっくりと上昇。東矢は続きませんでした。松浦が残り2周のホームの入口で古性に並び掛けると,池田の後ろに平原がスイッチ。誘導が退避したところで松浦が古性を叩くと,その後のコーナーですぐに平原が松浦を叩いて前に。さらに引いた古性がバックから発進。打鐘で平原を叩いて先行。東矢は打鐘後のコーナーで内から成田の後ろへ。8番手になった松浦がホームから巻き返し。バックで山田は古性との車間を開けて待ち構え,牽制したのですが,松浦はそれをあっさりと乗り越え,最終コーナー手前で古性の前に出ました。松浦マークの池田をどかして松浦の後ろを追った平原が直線の手前から発進。松浦は余力が残ってなかったようで,楽に松浦の前に。そのままマークの佐藤の追い込みも凌いで平原が優勝。佐藤が4分の3車身差の2着で東日本のワンツー。松浦は1車身半差で3着。
                                        
 優勝した埼玉の平原康多選手は7月の弥彦記念以来の優勝で記念競輪24勝目。京王閣記念は一昨年以来2年ぶりの2勝目。このレースは脚力の松浦と,レース運びが巧みな平原の対決という構図。うまく古性が逃げる流れにして,松浦を後方に置く形に。さらに捲った松浦の番手を奪ったように,平原の巧みさが光るレースになりました。とはいえ8番手から発進して山田の牽制をいとも簡単に乗り越えた松浦も強いところをみせたといえるのではないでしょうか。

 僕は前年の12月10日に,従妹からの直接の電話で,彼女が脳腫瘍であるということを知りました。その時点で彼女は,すでに脳腫瘍の手術を2回していましたし,放射線治療のために月に1度の通院をしていました。ですからどういう経緯で彼女が聖路加国際病院に入院したのかということは僕には不明です。ただ普通に考えれば,彼女が手術をし,治療のために通っていたのが聖路加国際病院であったということになるでしょう。彼女は内縁の夫と大和市内に暮らしていました。ですから築地の病院まで通うということはそんなに楽なことではなかった筈ですが,その程度の体力はあったということなのだと思います。逆にいえば,それができなくなるほどに病状が悪化したので,入院したということではなかったのでしょうか。
 僕に電話を掛けてきたとき,僕は彼女が自宅にいると思っていました。彼女は自分がどこにいるのかは口にしなかったので,これは僕の推測にすぎないのですが,この推測にはそれなりの合理性があります。まず,この電話の間に,たとえば病院から電話をしたのであったとすれば入るであろうノイズのようなものは一切ありませんでした。僕と彼女は小一時間は話したのですから,それがないということは普通なら考えられないでしょう。もっといえば,屋外とか,室内であっても周囲に人がいるという状況での電話であれば,必ずそうしたノイズが入るのですから,少なくとも彼女の電話は,周囲に人がいない室内であったと思われます。そうであればそれは自宅からだったという可能性が最も高いでしょう。もちろん一時的に帰宅していたという可能性はありますが,僕はその時点では彼女はまだ入院はしていなかった,つまり,そこまで体調が悪化はしていなかったのだと思っています。
 また,叔父が前年の暮れに来訪したのは,急遽のことであって,その直前に従妹が脳腫瘍であるということを知らされたのだと思います。これは彼女の周囲の人びと,具体的にいえば彼女の夫とか母親とかの配慮からなされたのだと思われますが,そうした配慮が働いたことには,彼女の入院が影響したと考えられます。つまり入院はその直前だったと思われるのです。
コメント
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