向日町記念の決勝。並びは真杉に佐藤‐大森の北日本,大石‐内藤‐田中の南関東,脇本‐村上の近畿で瓜生は単騎。
脇本がスタートを取って前受け。3番手に瓜生,4番手に大石,7番手に真杉で周回。残り3周のバックに入っても動きはなく,バックの出口から脇本は誘導との車間を開けました。ゆっくりと上昇してきたのは真杉。ホームで脇本を叩きにいきましたが,脇本は突っ張り,真杉は瓜生の後ろに入りました。引いた大石が7番手の一列棒状となって打鐘。今度は大石が発進。しかしこれもホームで脇本が合わせて突っ張り,大石は不発。内藤が瓜生の後ろにスイッチし,真杉も動けなかったので佐藤が内藤の後ろに。逃げた脇本は番手の村上にもほとんど差を詰めさせず,逃げ切って優勝。マークの村上が1車身差の2着で近畿のワンツー。このライン追走に終始した瓜生が村上との差を詰めて4分の3車輪差の3着。結果的にラインで上位独占のようなレースとなりました。
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優勝した福井の脇本雄太選手は昨年10月の寛仁親王牌以来の優勝。今年はオリンピックに備えるため競輪には出走せず,ここが今年の2走目となったために,優勝の期間が開いたものです。記念競輪は昨年の福井記念以来の優勝で通算8勝目。向日町記念は初優勝。このレースはメンバーを見た段階で,脇本以外の選手が優勝するというイメージがまったく湧きませんでした。前受けをしてそのまま1度もだれにも前を譲らずに逃げ切ったのですから,事実として力がそれだけ違っていたということでしょう。真杉も叩こうと思うならもっと早くにいかなければいけなかったと思います。
蓄積されている第二種の認識cognitio secundi generisが,数学の認識であっては意味がないというのは,たとえば近藤のような場合ならそれは成立するでしょうが,だれでも近藤のような数学の知識のストックを兼ね備えているわけではないからです。僕はここではごく一般的に,たとえ数学の問題であったとしても,その問題の意味を把握することによって,とくに考えなくても直観的に答えを導き出すことができる場合があるということ,あるいは同じことですが,第二種の認識を用いずとも第三種の認識cognitio tertii generisで解答することができる場合があるということを示したいので,蓄積されていなければならない知識というのが,広く知られている知識でなければ意味がないのです。つまりほとんどの人がそのことを知っているがゆえに,ほとんどの人がその設問には直観的に答えを出すことができるのでなければなりません。
そこでこれらの条件を満たす数学の設問として,僕自身が以下のような出題をします。
一般に,というかこれは西洋ではとくに顕著なのかもしれませんが,13日の金曜日というのは縁起が悪い日であると思われています。そこで,未来のある月をひと月だけ抽出し,その月の13日が金曜日である確率はどれくらいでしょうか。
この設問自体が果たして数学の設問なのかということについて,疑問を感じる方がいるかもしれません。ただ,設問自体は確率を問うているのであり,確率というのは数学の分野のひとつなので,僕はこれを数学の問題であると判断します。このことについてはこれ以上の説明はありませんので,さらにそのこと自体を問うような疑問は受け付けません。少なくともこの問いが,確率を問うているという点で合意できないことはないでしょう。その部分の合意ができていれば,僕はそのゆえにこの問いを数学の問題であるといっているのですから,数学の問題ではないという認識をもたれる場合があっても構わないです。
この設問は,設問の意味というのを理解することができるなら,7分の1という答えを僕たちは直観的に出すことができます。必ず出せるというものではないでしょうが,すぐに出すことができる場合があるのは間違いないでしょう。
脇本がスタートを取って前受け。3番手に瓜生,4番手に大石,7番手に真杉で周回。残り3周のバックに入っても動きはなく,バックの出口から脇本は誘導との車間を開けました。ゆっくりと上昇してきたのは真杉。ホームで脇本を叩きにいきましたが,脇本は突っ張り,真杉は瓜生の後ろに入りました。引いた大石が7番手の一列棒状となって打鐘。今度は大石が発進。しかしこれもホームで脇本が合わせて突っ張り,大石は不発。内藤が瓜生の後ろにスイッチし,真杉も動けなかったので佐藤が内藤の後ろに。逃げた脇本は番手の村上にもほとんど差を詰めさせず,逃げ切って優勝。マークの村上が1車身差の2着で近畿のワンツー。このライン追走に終始した瓜生が村上との差を詰めて4分の3車輪差の3着。結果的にラインで上位独占のようなレースとなりました。
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優勝した福井の脇本雄太選手は昨年10月の寛仁親王牌以来の優勝。今年はオリンピックに備えるため競輪には出走せず,ここが今年の2走目となったために,優勝の期間が開いたものです。記念競輪は昨年の福井記念以来の優勝で通算8勝目。向日町記念は初優勝。このレースはメンバーを見た段階で,脇本以外の選手が優勝するというイメージがまったく湧きませんでした。前受けをしてそのまま1度もだれにも前を譲らずに逃げ切ったのですから,事実として力がそれだけ違っていたということでしょう。真杉も叩こうと思うならもっと早くにいかなければいけなかったと思います。
蓄積されている第二種の認識cognitio secundi generisが,数学の認識であっては意味がないというのは,たとえば近藤のような場合ならそれは成立するでしょうが,だれでも近藤のような数学の知識のストックを兼ね備えているわけではないからです。僕はここではごく一般的に,たとえ数学の問題であったとしても,その問題の意味を把握することによって,とくに考えなくても直観的に答えを導き出すことができる場合があるということ,あるいは同じことですが,第二種の認識を用いずとも第三種の認識cognitio tertii generisで解答することができる場合があるということを示したいので,蓄積されていなければならない知識というのが,広く知られている知識でなければ意味がないのです。つまりほとんどの人がそのことを知っているがゆえに,ほとんどの人がその設問には直観的に答えを出すことができるのでなければなりません。
そこでこれらの条件を満たす数学の設問として,僕自身が以下のような出題をします。
一般に,というかこれは西洋ではとくに顕著なのかもしれませんが,13日の金曜日というのは縁起が悪い日であると思われています。そこで,未来のある月をひと月だけ抽出し,その月の13日が金曜日である確率はどれくらいでしょうか。
この設問自体が果たして数学の設問なのかということについて,疑問を感じる方がいるかもしれません。ただ,設問自体は確率を問うているのであり,確率というのは数学の分野のひとつなので,僕はこれを数学の問題であると判断します。このことについてはこれ以上の説明はありませんので,さらにそのこと自体を問うような疑問は受け付けません。少なくともこの問いが,確率を問うているという点で合意できないことはないでしょう。その部分の合意ができていれば,僕はそのゆえにこの問いを数学の問題であるといっているのですから,数学の問題ではないという認識をもたれる場合があっても構わないです。
この設問は,設問の意味というのを理解することができるなら,7分の1という答えを僕たちは直観的に出すことができます。必ず出せるというものではないでしょうが,すぐに出すことができる場合があるのは間違いないでしょう。