スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典川崎記念&決定的相違

2022-02-02 20:17:21 | 地方競馬
 第71回川崎記念
 いくらかの先行争いがあるかと思っていましたが,サルサディオーネの発馬がよかったこともあり難なくハナへ。2番手にカジノフォンテン,3番手にエルデュクラージュ,4番手にヒロイックテイルという並びになり,その後ろにチュウワウィザードとヴェルテックスとロードゴラッソ。8番手以下はタービランス,ケイティブレイブ,ホーリーブレイズ,ブラックアーメット,デルマルーヴル,フレアリングダイヤという順。発馬後の向正面で一団という,川崎の長距離戦では珍しいレースになりました。ミドルペース。
 2周目の向正面では前から順にサルサディオーネ,カジノフォンテン,エルデュクラージュ,ヒロイックテイル,チュウワウィザードという隊列になり,その後ろにヴェルテックスとタービランスとロードゴラッソ。3コーナーを回るとサルサディオーネは一杯。カジノフォンテンとエルデュクラージュの2頭が前に出て雁行。直線の入口では外のエルデュクラージュが単独の先頭に立ちました。この2頭を追うように3番手まで上がっていたチュウワウィザードは,直線ではエルデュクラージュの外に。そこから追われるとあっさりとエルデュクラージュを差し,そのまま抜け出して快勝。直線先頭のエルデュクラージュが4馬身差で2着。チュウワウィザードを追ったものの,ついていかれなかったヴェルテックスがアタマ差で3着。後方からよく伸びたブラックアーメットがクビ差で4着。タービランスは直線に入ったところで外に出てきたヴェルテックスに乗り上げて落馬し,競走中止となっています。
                                  
 優勝したチュウワウィザードは一昨年のチャンピオンズカップ以来の勝利で大レース4勝目。川崎記念は第69回を制していて2年ぶりの2勝目。ここは実績が断然の上,目立った上昇馬が不在でしたから,負けられないようなメンバー構成。快勝になったのは順当な結果でしょう。ダートでの4馬身は決定的な差ですが,それ以上の能力差があったとみてよいと思います。父はキングカメハメハ。母の父はデュランダル。6代母がファンシミンで4代母が1986年に京成杯と牝馬東京タイムス杯,1987年にエプソムカップと新潟記念とオールカマーを勝ったダイナフェアリー
 騎乗した川田将雅騎手は香港カップ以来の大レース32勝目。国内ではJBCスプリント以来。第69回以来2年ぶりの川崎記念2勝目。管理している大久保龍志調教師は一昨年のチャンピオンズカップ以来の大レース7勝目。第69回以来2年ぶりの川崎記念2勝目。

 青野が創造といっていることが,将棋においては大局観とか第一感に該当するということは分かりました。そしてそれは,将棋ばかりではなく,麻雀にも適用することが可能ですし,その他の場合にも適用することが可能でしょう。たとえば僕がこの考察の初めの方に出した確率の問題,未来のある年のある月の13日が金曜日である確率はどれくらいかという問題に対して,この問題の主旨は何であるかということを理解する力は大局観に類する力といえるでしょうし,第一感として7分の1という答えを出すことができるということも可能であろうからです。
 しかし,青野が右脳の働きを,論理的な認識に基づく直観scientia intuitivaではなく創造といっていることには,もう少し別の理由があります。そしてそれは,僕がここまでに行った,近藤の分節やスピノザの分節,つまり理論と直感という分節や,第二種の認識cognitio secundi generisと第三種の認識cognitio tertii generisという分節とは,決定的な相違があるのです。それは,青野がいう理論的な考察および記憶と創造は,対立的である場合があるとされている点です。近藤は,直感は瞬時に答えが出せるので優れたものであるけれども,それはオカルトとは異なるということで,理論と相反するものいい換えれば対立するものではないといっています。スピノザの哲学の場合では,第三種の認識をある人間の知性intellectusに呼び起こすのは第二種の認識なのですから,第三種の認識と第二種の認識が相反したり対立的であることはあり得ません。そこで,青野がどのような意味で,論理的認識と創造が対立的である場合があるといっているのかを,詳しく考察していきます。
 青野によれば,自身が将棋を指しているとき,ある局面において,確実に右脳と左脳が対決するときがあるといっています。青野はほかの棋士のことは分からないといっていますので,これは青野の個人的な体験であるとしておきます。それから,青野は右脳と左脳が対立しているということを,将棋を指しているその場において意識しているというようには僕は考えません。一局の将棋を指し終えて,後に振り返り,あの局面で指し手に迷ったときに,あれは右脳と左脳が対決していたのだと解したというように読解します。
コメント
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