スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

感情の総括的定義説明&条件

2022-03-19 19:19:59 | 哲学
 『エチカ』の第三部の末尾にある感情の総括的定義には,説明が付せられています。とても長いものですから,全文を紹介することはできません。ただ,この説明の中には,僕がスピノザの哲学を考察していく上で,重要な事柄がいくつか含まれています。なので何回かに分けて,その重要と思われる部分だけを抜粋して紹介し,考察の上で役立つであろうことを解説しておきます。
                                   
 まず説明の冒頭部分で,スピノザは次のようにいっています。
 「私はまず感情あるいは精神の受動は「ある混乱した観念」であると言う」。
 ここの部分は,あくまでも感情の総括定義に即した説明になっていると解さなければなりません。なぜなら,第三部定理五八から分かるように,能動的である喜びlaetitiaおよび能動的である欲望cupiditasいい換えれば能動的な感情affectusというのはあるのであって,その場合はこの感情を観念ideaとしてみた場合には,混乱した観念idea inadaequataではなく,十全な観念idea adaequataであることになるからです。このことは第三部定理三から明らかだといわなければなりません。ただ,感情の総括的定義は,精神の受動状態である感情だけを対象とした定義Definitioなので,その場合は混乱した観念であることになります。このこともまた第三部定理三から明らかであることになります。よって説明のこの部分に関して,それをスピノザの哲学の全体から理解しようとする場合には,感情についての言及であるというより,精神の受動に関する言及であると解する方が適切であることになります。
 また,第三部定義三から,感情は人間の精神mens humanaのある状態だけではなく,人間の身体humanum corpusの状態も意味します。その場合には感情を観念に置き換えることはできません。これもまた感情の総括的定義が,精神のある状態についてのみ定義しているので,それにに即した説明がされているのです。スピノザの哲学の全体からいえば,感情を観念すなわち思惟の様態cogitandi modiのみで説明することができるわけではありません。

 僕が1回目と2回目の接種を受けたときと同じ理由によって,僕は妹にも集団接種を受けさせたいと思っていました。とくに妹の場合は重度の知的障害がありますので,仮に副反応が生じたとして,自身の身体の状態をうまくことばで説明することができない可能性が高いです。やはりそうなった場合では個人クリニックではいくらかの不安がありました。それからもうひとつ,横浜市の場合,1回目と2回目の接種は,集団接種はファイザー社製のワクチンで,個別接種は武田/モデルナ社製のワクチンが多くなっていました。僕は集団接種を選択しましたから,ファイザー社製のワクチンを接種したわけです。そしてどのような副反応が生じるのかということを,実体験として知っていました。もちろん副反応の出方は,個人によって異なりますから,僕が僕自身に出た副反応がいかなるものであるのかということを知っていたとしても,本来的には無意味かもしれません。しかしまったくそれを知らないというよりは安心感があるのも事実です。ですから僕は妹の接種についても,1回目と2回目は集団接種を受けさせることに決めていました。本牧脳神経外科の主治医からワクチン接種の許可を得た後,実際に予約を取ることができるまでに時間を要してしまったことの一因は,ここにありました。
 さらにもう一点,僕が接種をした時期と比較すると,この時期は集団接種の会場が減少していたのです。僕は本牧地区センターで接種を受けましたが,本牧地区センターでの集団接種はすでに終了していたのです。一方で,家からわりと近い会場で接種を受けるということは,帰宅するまでの時間を短くすることができるというメリットがあった上に,妹を連れていくということを考慮すれば,絶対に譲ることができない条件でした。つまりこれらの条件をすべて満たさなければならなかったわけで,それもまた予約までに時間を要したことの一因となりました。
 予約した会場は南公会堂です。これは南区役所と同じところにあります。南区役所というのは以前は蒔田にあったのですが,現在は浦舟町というところにあります。これは南区でいうと中区や磯子区と接しているあたりに近いところです。
コメント
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