スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&落胆

2022-04-06 20:04:31 | 将棋
 鶴巻温泉で指された昨日の第15期マイナビ女子オープン五番勝負第一局。対戦成績は西山朋佳女王が16勝,里見香奈女流四冠が15勝。これはNHK杯の女流予選を含んでいます。
 マイナビ出版の社長による振駒で里見四冠の先手となり中飛車。後手の西山女王が向飛車にしての相振飛車。先手は左玉,後手は高美濃の戦型に。
                                        
 先手が歩を突き出した局面。銀取りなので応じる必要があり,☖4五銀☗同銀と取って☖4六桂と打ちました。先手は☗5九飛。☗5三歩成があるので☖5四歩と取りましたが,☗4七金と逃げられました。
                                        
 第2図となって先手の駒得が確定して有利に。第1図では形は悪くても☖5四同金と取るか,そうでないなら第1図に進めてはいけなかったということになります。
 里見四冠が先勝。第二局は21日に指される予定です。

 落胆conscientiae morsusについてはそれに関連する感情affectusである,安堵securitas,絶望desperatio,歓喜gaudiumと共に,まとめて考察したことがあります。それを詳しく説明し直すことはしません。ただ僕は,岩波文庫版の訳者である畠中尚志とは異なり,希望spesに反した事柄が生じた場合にのみ感じる感情であるとは考えません。希望と不安metusはスピノザの哲学において,表裏一体の感情である,すなわち第三部諸感情の定義一三説明にあるように,現実的に存在する人間のうちに一方の感情があれば,その同じ人間のうちに他方の感情もあるからです。したがって,これは落胆に限らず何でもいいのですが,Xが希望の派生感情であれば,不安の派生感情でもあるというのが僕の見解opinioです。要するにある人間の希望に反することが起こるということと,その同じ人間が不安に感じていたことが現実化するということを,その人間にとって同じことと僕はみるのです。そして希望と不安を直接的な派生感情とする悲しみtristitiaを,絶望と僕は解します。落胆というのは,希望や不安の派生感情ではありますが,安堵の派生感情でもあり得ると僕は考えていて,ここでも僕はその見解に沿って落胆といっていると解してください。ただし,ここからの考察においては,僕の見解を採用しようと畠中の見解を採用しようと,大差はないかもしれません。というのもこの考察は,その部分に関することではなく,落胆の別の側面についての考察だからです。
 第三部諸感情の定義一七でいわれている感情について,それを良心の呵責と直訳せずに,落胆conscientiae morsusという訳語を畠中が与えているのは,適切であると僕は考えています。僕は良心の呵責というのも感情に違いないと思いますが,もしそれを定義するのであれば,自分自身がなした害悪あるいはなすであろう害悪の観念ideaを原因causaとして伴った悲しみ,とするのが適切で,希望に反して生じた過去のものの観念を伴った悲しみとはいえないと思うからです。とくに僕は,希望に反するか否かということより,過去のものという限定を強調したいです。僕たちはまだしていないことすなわち未来のことに対しても,それによって生じるであろう害悪を表象し,良心の呵責を感じるということが現にあるからです。
コメント
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