昨晩の羽田盃トライアルの第25回クラウンカップ。
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僕はノブレスノアの逃げと予想していたのですが,一番外のリヴィフェイスの逃げとなりました。タツノエクスプレス,アイウォール,ミゲルの3頭が2番手集団を形成。5番手にフレールフィーユ。6番手にノブレスノアとエミーブレイズとフウト。9番手にライアン。10番手にフレッシュグリーン。最後尾にフィリオデルソルという隊列で発走後の正面を通過し,向正面へ。2番手にミゲル,3番手にフレールフィーユという隊列になったところ,フウトが外から一気に上昇していきました。前半の800mは51秒4のスローペース。
一気に動いたフウトは一旦は逃げたリヴィフェイスの前に出たようにみえましたが,すぐにリヴィフェイスが内から先頭を奪い返し,2頭が並んでコーナーに。そこでフウトは一旦離され,その外を回ったフレールフィーユが2番手に。その後ろからアイウォールとミゲルが並んで追い上げてきました。直線は逃げたリヴィフェイスと追ってきたフレールフィーユのマッチレース。差し切ったフレールフィーユが優勝。逃げ粘ったリヴィフェイスが半馬身差で2着。コーナーで苦しくなりましたが直線でも頑張ったフウトが2馬身半差で3着。
優勝したフレールフィーユは南関東重賞初制覇。前走はこのレースのトライアルレースを勝っていて,連勝。このレースはそのトライアルの勝ち馬がここ3年続けて勝っていて,これで4年連続となりました。レースの傾向としては銘記しておくべき点でしょう。ただニューイヤーカップでは大きく負けている馬なので,先週の京浜盃から羽田盃に向かう馬たちに対しては,劣勢なのではないかと思います。父はエスポワールシチー。母の6つ下の半妹に2012年のエリザベス女王杯を勝ったレインボーダリア。Frere Fillesはフランス語で兄弟,娘。
騎乗した大井の和田譲治騎手は報知グランプリカップ以来の南関東重賞7勝目。クラウンカップは初勝利。管理している浦和の野口寛仁調教師は開業から3年半で南関東重賞初勝利。
実はこのことは,僕がここで深く考察したいことではないのですが,そのことと無関係というわけでもありませんから,もう少し探求を進めます。
スピノザは『短論文Korte Verhandeling van God / de Mensch en deszelfs Welstand』でも良心の呵責conscientiae morsusについて触れています。そこでは,善bonumであるか悪malumであるかを疑うようなあることをなすことによって生じる悲しみtristitiaが良心の呵責であるといわれていて,それは後悔poenitentiaの類似感情であるとされています。そして畠中は,この場合にはそれを良心の呵責と直訳してもいいのだけれど,第三部諸感情の定義一七の感情affectusについては,それを良心の呵責と直訳するのは適当ではないので,落胆conscientiae morsusという訳語を充てるといっています。
僕はこの点についても疑問を感じます。後悔という感情は,過去に関係するのか未来に関係するのかといえば,過去と関係します。厳密にいえば,未来のこととして表象されるある事象と関係はし得ますが,その事象がそれと関連づけられる過去の事象とは絶対に関係します。したがって,後悔というのは僕たちが過去のある事柄を表象しなければ,生じることがない感情です。これに対して良心の呵責というのは,未来の事柄と関係し得ますし,未来の事柄とだけ関係し得るのです。僕たちはある事柄をなそうとして,その事柄によってだれかに害悪を及ぼすと確知するcerto scimus限りで,良心の呵責を感じるということがあり得ますし,現にあるからです。ですから,僕はスピノザが『短論文』で示している良心の呵責についても疑問がありますし,畠中がその場合にはそれを良心の呵責と直訳してもよいといっていることにも疑問をもちます。
ただし,畠中が『短論文』の感情は良心の呵責と直訳するべきで,『エチカ』の感情は落胆という訳語を充てるべきだというとき,どちらの感情が良心の呵責という感情により近いのかという観点からそれを考えれば,確かに『短論文』で示されている感情の方が,『エチカ』で示されている感情よりは良心の呵責に近いという点には同意します。『短論文』と『エチカ』は,『短論文』の方が先に書かれています。つまりスピノザは,より良心の呵責からは離れていると思われる感情のことを,後に良心の呵責というようになったのです。
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僕はノブレスノアの逃げと予想していたのですが,一番外のリヴィフェイスの逃げとなりました。タツノエクスプレス,アイウォール,ミゲルの3頭が2番手集団を形成。5番手にフレールフィーユ。6番手にノブレスノアとエミーブレイズとフウト。9番手にライアン。10番手にフレッシュグリーン。最後尾にフィリオデルソルという隊列で発走後の正面を通過し,向正面へ。2番手にミゲル,3番手にフレールフィーユという隊列になったところ,フウトが外から一気に上昇していきました。前半の800mは51秒4のスローペース。
一気に動いたフウトは一旦は逃げたリヴィフェイスの前に出たようにみえましたが,すぐにリヴィフェイスが内から先頭を奪い返し,2頭が並んでコーナーに。そこでフウトは一旦離され,その外を回ったフレールフィーユが2番手に。その後ろからアイウォールとミゲルが並んで追い上げてきました。直線は逃げたリヴィフェイスと追ってきたフレールフィーユのマッチレース。差し切ったフレールフィーユが優勝。逃げ粘ったリヴィフェイスが半馬身差で2着。コーナーで苦しくなりましたが直線でも頑張ったフウトが2馬身半差で3着。
優勝したフレールフィーユは南関東重賞初制覇。前走はこのレースのトライアルレースを勝っていて,連勝。このレースはそのトライアルの勝ち馬がここ3年続けて勝っていて,これで4年連続となりました。レースの傾向としては銘記しておくべき点でしょう。ただニューイヤーカップでは大きく負けている馬なので,先週の京浜盃から羽田盃に向かう馬たちに対しては,劣勢なのではないかと思います。父はエスポワールシチー。母の6つ下の半妹に2012年のエリザベス女王杯を勝ったレインボーダリア。Frere Fillesはフランス語で兄弟,娘。
騎乗した大井の和田譲治騎手は報知グランプリカップ以来の南関東重賞7勝目。クラウンカップは初勝利。管理している浦和の野口寛仁調教師は開業から3年半で南関東重賞初勝利。
実はこのことは,僕がここで深く考察したいことではないのですが,そのことと無関係というわけでもありませんから,もう少し探求を進めます。
スピノザは『短論文Korte Verhandeling van God / de Mensch en deszelfs Welstand』でも良心の呵責conscientiae morsusについて触れています。そこでは,善bonumであるか悪malumであるかを疑うようなあることをなすことによって生じる悲しみtristitiaが良心の呵責であるといわれていて,それは後悔poenitentiaの類似感情であるとされています。そして畠中は,この場合にはそれを良心の呵責と直訳してもいいのだけれど,第三部諸感情の定義一七の感情affectusについては,それを良心の呵責と直訳するのは適当ではないので,落胆conscientiae morsusという訳語を充てるといっています。
僕はこの点についても疑問を感じます。後悔という感情は,過去に関係するのか未来に関係するのかといえば,過去と関係します。厳密にいえば,未来のこととして表象されるある事象と関係はし得ますが,その事象がそれと関連づけられる過去の事象とは絶対に関係します。したがって,後悔というのは僕たちが過去のある事柄を表象しなければ,生じることがない感情です。これに対して良心の呵責というのは,未来の事柄と関係し得ますし,未来の事柄とだけ関係し得るのです。僕たちはある事柄をなそうとして,その事柄によってだれかに害悪を及ぼすと確知するcerto scimus限りで,良心の呵責を感じるということがあり得ますし,現にあるからです。ですから,僕はスピノザが『短論文』で示している良心の呵責についても疑問がありますし,畠中がその場合にはそれを良心の呵責と直訳してもよいといっていることにも疑問をもちます。
ただし,畠中が『短論文』の感情は良心の呵責と直訳するべきで,『エチカ』の感情は落胆という訳語を充てるべきだというとき,どちらの感情が良心の呵責という感情により近いのかという観点からそれを考えれば,確かに『短論文』で示されている感情の方が,『エチカ』で示されている感情よりは良心の呵責に近いという点には同意します。『短論文』と『エチカ』は,『短論文』の方が先に書かれています。つまりスピノザは,より良心の呵責からは離れていると思われる感情のことを,後に良心の呵責というようになったのです。