昨晩の第33回東京スプリント。
ナガタブラックはいつものようにダッシュがつかず2馬身の不利。それでもこの馬としては出た方でしょう。ギシギシが先手を取りにいきましたが,内で譲らなかったカプリフレイバーの逃げに。2番手にギシギシで3番手にリュウノユキナ。4番手のサクセスエナジーとピンシャンとシャマルまでは一団で続きました。4馬身ほど開いてワールドリング。ルーチェドーロ,ハートプレイス,ヴァルラームの順でおよそ1馬身の間隔で追走し,この4頭が中団。2馬身差でヒロシゲゴールド。4馬身差でヒカリオーソ。4馬身差の最後尾にナガタブラックと,残りの3頭はばらばら。前半の600mは34秒8のミドルペース。
3コーナーを回るとカプリフレイバー,ギシギシ,シャマルの3頭が雁行に。リュウノユキナが内を回って続きました。直線に入るとカプリフレイバーが一杯に。リュウノユキナは少し外に出てカプリフレイバーを避けるとギシギシの内へ。ここからは内からリュウノユキナ,ギシギシ,シャマルの3頭で後ろを離しての優勝争い。中のギシギシがやや遅れをとり,リュウノユキナとシャマルはほぼ並んでフィニッシュ。写真判定となって優勝は外のシャマル。リュウノユキナがハナ差で2着。ギシギシがクビ差で3着。
優勝したシャマルは重賞初挑戦での優勝。ここまで7戦して4勝。前走は3勝クラスを5馬身差で圧勝していました。オープンでの相手関係は不明でしたが,それだけの圧勝をしているなら通用してもおかしくありませんので,優勝候補の1頭と位置付けていました。リュウノユキナはこの路線で安定した成績を残し続けている馬で,この馬と接戦を演じられるくらいでないと重賞を勝つのは困難です。オープン初挑戦で結果を出しましたので,今後も活躍を見込んでよいでしょう。父はスマートファルコン。母の父はアグネスデジタル。祖母の父はダンスインザダーク。Shamalはペルシャ湾岸地域に吹く砂塵を伴う強風。
騎乗した川須栄彦騎手と管理している松下武士調教師は東京スプリント初勝利。
たとえ隣人を愛せという教えを,態度や振る舞いに対する教えであると解するにしても,論理的飛躍があるのは間違いないと僕は思います。しかも,ひとつめの飛躍,つまり隣人というのがだれを意味するかという飛躍は,聖書の解釈に関係するのですから,許容の範囲内といえます。スピノザはキリスト教徒でなくとも敬虔pietasであることができるし,キリスト教徒であるからといって敬虔であるというわけではないといっていて,その主張に理があると認める限り,隣人というのをキリスト教徒と限定する必要はなく,一般にすべての他人と解釈することができるからです。しかしふたつめの飛躍は,スピノザの哲学そのものと関係しています。したがって許容の範囲のうちにあると見過ごすことはできず,修正が必要でしょう。
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第四部定理三五は,人間は理性ratioに従う限りでは本性naturaの上で一致するといっています。ですからすべての人間が理性に従う限りでは,態度や振る舞いも一致することになるのであって,そのために各人が対立的になることはありません。こういう態度や振る舞いを,キリスト教的には敬虔というのだとスピノザはいっているのです。したがって,この場合の隣人を愛せという教えは,キリスト教徒を愛せという意味ではなく,すべての他人を愛せという意味でなければなりません。理性に従うことができるのがキリスト教徒だけであるわけではないからです。ただ仮にこの教えをそのように解するとしても,その教えを遵守することで,理性に従った態度や振る舞いと同一の態度や振る舞いをとることができるとは限りません。これは限定できないという意味であって,もちろん同一の態度なり振る舞いなりになることはあるのであって,その場合には隣人を愛せという教えに従うことも有効でしょう。しかしそうならない場合もあるのですから,隣人を愛せという教えを遵守することで,必ず敬虔であることができるというわけではないのです。この部分に修正が必要であると僕は考えます。
現実的に存在する人間は,その意味をどう解するにせよ,隣人を愛せという教えを遵守することで,敬虔になれるわけではありません。そうなる場合があるだけです。
ナガタブラックはいつものようにダッシュがつかず2馬身の不利。それでもこの馬としては出た方でしょう。ギシギシが先手を取りにいきましたが,内で譲らなかったカプリフレイバーの逃げに。2番手にギシギシで3番手にリュウノユキナ。4番手のサクセスエナジーとピンシャンとシャマルまでは一団で続きました。4馬身ほど開いてワールドリング。ルーチェドーロ,ハートプレイス,ヴァルラームの順でおよそ1馬身の間隔で追走し,この4頭が中団。2馬身差でヒロシゲゴールド。4馬身差でヒカリオーソ。4馬身差の最後尾にナガタブラックと,残りの3頭はばらばら。前半の600mは34秒8のミドルペース。
3コーナーを回るとカプリフレイバー,ギシギシ,シャマルの3頭が雁行に。リュウノユキナが内を回って続きました。直線に入るとカプリフレイバーが一杯に。リュウノユキナは少し外に出てカプリフレイバーを避けるとギシギシの内へ。ここからは内からリュウノユキナ,ギシギシ,シャマルの3頭で後ろを離しての優勝争い。中のギシギシがやや遅れをとり,リュウノユキナとシャマルはほぼ並んでフィニッシュ。写真判定となって優勝は外のシャマル。リュウノユキナがハナ差で2着。ギシギシがクビ差で3着。
優勝したシャマルは重賞初挑戦での優勝。ここまで7戦して4勝。前走は3勝クラスを5馬身差で圧勝していました。オープンでの相手関係は不明でしたが,それだけの圧勝をしているなら通用してもおかしくありませんので,優勝候補の1頭と位置付けていました。リュウノユキナはこの路線で安定した成績を残し続けている馬で,この馬と接戦を演じられるくらいでないと重賞を勝つのは困難です。オープン初挑戦で結果を出しましたので,今後も活躍を見込んでよいでしょう。父はスマートファルコン。母の父はアグネスデジタル。祖母の父はダンスインザダーク。Shamalはペルシャ湾岸地域に吹く砂塵を伴う強風。
騎乗した川須栄彦騎手と管理している松下武士調教師は東京スプリント初勝利。
たとえ隣人を愛せという教えを,態度や振る舞いに対する教えであると解するにしても,論理的飛躍があるのは間違いないと僕は思います。しかも,ひとつめの飛躍,つまり隣人というのがだれを意味するかという飛躍は,聖書の解釈に関係するのですから,許容の範囲内といえます。スピノザはキリスト教徒でなくとも敬虔pietasであることができるし,キリスト教徒であるからといって敬虔であるというわけではないといっていて,その主張に理があると認める限り,隣人というのをキリスト教徒と限定する必要はなく,一般にすべての他人と解釈することができるからです。しかしふたつめの飛躍は,スピノザの哲学そのものと関係しています。したがって許容の範囲のうちにあると見過ごすことはできず,修正が必要でしょう。
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第四部定理三五は,人間は理性ratioに従う限りでは本性naturaの上で一致するといっています。ですからすべての人間が理性に従う限りでは,態度や振る舞いも一致することになるのであって,そのために各人が対立的になることはありません。こういう態度や振る舞いを,キリスト教的には敬虔というのだとスピノザはいっているのです。したがって,この場合の隣人を愛せという教えは,キリスト教徒を愛せという意味ではなく,すべての他人を愛せという意味でなければなりません。理性に従うことができるのがキリスト教徒だけであるわけではないからです。ただ仮にこの教えをそのように解するとしても,その教えを遵守することで,理性に従った態度や振る舞いと同一の態度や振る舞いをとることができるとは限りません。これは限定できないという意味であって,もちろん同一の態度なり振る舞いなりになることはあるのであって,その場合には隣人を愛せという教えに従うことも有効でしょう。しかしそうならない場合もあるのですから,隣人を愛せという教えを遵守することで,必ず敬虔であることができるというわけではないのです。この部分に修正が必要であると僕は考えます。
現実的に存在する人間は,その意味をどう解するにせよ,隣人を愛せという教えを遵守することで,敬虔になれるわけではありません。そうなる場合があるだけです。