25日に指された第93期棋聖戦挑戦者決定戦。対戦成績は渡辺明名人が19勝,永瀬拓矢王座が6勝。
振駒で渡辺名人が先手となって矢倉。永瀬王座の急戦模様に,先手が早めに角で2筋の歩を交換。これに対応して後手が雁木に。後手が作戦勝ちを収めてそのまま押し切る将棋でした。
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第1図から☖6二金☗2五歩☖同歩☗同飛☖2四歩☗2八飛☖5二金と進みました。
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第1図と第2図は手番は異なりますが駒の配置は同一です。なのでまた☗2五歩と打てば最後の☖5二金が☖6二金となり,さらに☗2五歩と打つことによって千日手が見込めるようになります。実戦は☗9八香と上がって穴熊への組み替えを目指しましたがあまり芳しくありませんでした。先手としては第1図で作戦負けを受け入れて,千日手を視野に入れておかなければいけなかったようです。
永瀬王座が勝って挑戦者に。第87期以来となる6年ぶり2回目の棋聖戦五番勝負出場です。
厳密にいえば受動感情の積極性は,すべての受動感情に成立する事柄です。ですからスピノザが絶対的に否定するような受動感情,高慢superbiaとか憎しみodiumといった感情affectusにも成立します。したがって,ある種の受動感情が人と人とを融和させるような作用をなすということを,この受動感情の積極性という観点だけで説明することができるわけではなく,それとは別の条件が必要とされます。『スピノザ〈触発の思考〉』ではその条件が示されています。ただしそのことは後回しにして,ここでは受動感情の積極性というのがどのような意味を有するのかということを先に考察します。これはこれでスピノザの哲学を理解するために重要な観点であるからです。
僕はこのことはふたつの観点から説明できると考えています。まず最初に,感情を感情の総括定義として示されているような思惟作用として解してみましょう。この定義Definitioは感情については限定的な定義ではあるのですが,ここでは受動感情に限定して考察するわけですから,まずは受動感情だけをターゲットにしているこの定義を利用するのがよいと思います。
この定義では,受動感情がある混乱した観念idea inadaequataであるといわれています。混乱した観念というのは,十全な観念idea adaequataが真理veritasを意味するのに対して虚偽falsitasを意味します。観念は必ず何かの観念,他面からいえば観念対象ideatumを有する思惟の様態cogitandi modiですから,その観念対象に対する個別の真理を意味するのが十全な観念ないしは真の観念idea veraであるのに対して,個別の虚偽を意味するのがその観念対象の混乱した観念あるいは誤った観念idea falsaであるというのが適切です。僕は真理というのは個別の真理の総体であり,かつそれは思惟の様態であると考えているという点には注意しておいてください。
スピノザは混乱した観念は虚偽であるけれども,そこには積極的なあるものが含まれていると解しています。それは僕が虚偽の積極性といっていることです。たとえば第四部定理一では,誤った観念の積極性といういい回しがされています。そしてこの定理Propositioでいわれている意味,虚偽の発生も現在も,真理によっては妨害されないのは,虚偽がそれ自体である積極性を有しているからだといえるのです。
振駒で渡辺名人が先手となって矢倉。永瀬王座の急戦模様に,先手が早めに角で2筋の歩を交換。これに対応して後手が雁木に。後手が作戦勝ちを収めてそのまま押し切る将棋でした。
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第1図から☖6二金☗2五歩☖同歩☗同飛☖2四歩☗2八飛☖5二金と進みました。
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第1図と第2図は手番は異なりますが駒の配置は同一です。なのでまた☗2五歩と打てば最後の☖5二金が☖6二金となり,さらに☗2五歩と打つことによって千日手が見込めるようになります。実戦は☗9八香と上がって穴熊への組み替えを目指しましたがあまり芳しくありませんでした。先手としては第1図で作戦負けを受け入れて,千日手を視野に入れておかなければいけなかったようです。
永瀬王座が勝って挑戦者に。第87期以来となる6年ぶり2回目の棋聖戦五番勝負出場です。
厳密にいえば受動感情の積極性は,すべての受動感情に成立する事柄です。ですからスピノザが絶対的に否定するような受動感情,高慢superbiaとか憎しみodiumといった感情affectusにも成立します。したがって,ある種の受動感情が人と人とを融和させるような作用をなすということを,この受動感情の積極性という観点だけで説明することができるわけではなく,それとは別の条件が必要とされます。『スピノザ〈触発の思考〉』ではその条件が示されています。ただしそのことは後回しにして,ここでは受動感情の積極性というのがどのような意味を有するのかということを先に考察します。これはこれでスピノザの哲学を理解するために重要な観点であるからです。
僕はこのことはふたつの観点から説明できると考えています。まず最初に,感情を感情の総括定義として示されているような思惟作用として解してみましょう。この定義Definitioは感情については限定的な定義ではあるのですが,ここでは受動感情に限定して考察するわけですから,まずは受動感情だけをターゲットにしているこの定義を利用するのがよいと思います。
この定義では,受動感情がある混乱した観念idea inadaequataであるといわれています。混乱した観念というのは,十全な観念idea adaequataが真理veritasを意味するのに対して虚偽falsitasを意味します。観念は必ず何かの観念,他面からいえば観念対象ideatumを有する思惟の様態cogitandi modiですから,その観念対象に対する個別の真理を意味するのが十全な観念ないしは真の観念idea veraであるのに対して,個別の虚偽を意味するのがその観念対象の混乱した観念あるいは誤った観念idea falsaであるというのが適切です。僕は真理というのは個別の真理の総体であり,かつそれは思惟の様態であると考えているという点には注意しておいてください。
スピノザは混乱した観念は虚偽であるけれども,そこには積極的なあるものが含まれていると解しています。それは僕が虚偽の積極性といっていることです。たとえば第四部定理一では,誤った観念の積極性といういい回しがされています。そしてこの定理Propositioでいわれている意味,虚偽の発生も現在も,真理によっては妨害されないのは,虚偽がそれ自体である積極性を有しているからだといえるのです。