昨晩の函館ミリオンナイトカップの決勝。並びは嵯峨‐坂本貴史‐新山‐佐藤‐山田の北日本,松川‐坂本亮馬の九州で岡田と川口は単騎。
新山がスタートを取って嵯峨の前受け。6番手に松川,8番手に岡田,最後尾に川口で周回。残り2周のホームから松川と坂本亮馬のふたりで上昇開始。嵯峨を叩きにいきましたが,嵯峨が突っ張りました。坂本亮馬は引いて単騎となった松川が再びバックから叩きにいって打鐘。しかしここも嵯峨が突っ張り,松川は不発。最後尾まで引いていた坂本亮馬はバックで内を進出していこうとしたものの進路を封じられました。単騎の岡田が外から捲っていきましたが前までは届かず。直線は番手有利に運んだ坂本貴史が差し切って優勝。新山が嵯峨と坂本貴史の中を割ろうとしたので坂本貴史の外にいった佐藤が半車身差で2着。新山は4分の3車輪差で3着。坂本貴史と佐藤の間に進路を取った山田も半車輪差の4着に続き,北日本勢で上位を独占。
優勝した青森の坂本貴史選手は6月の川崎のFⅠ以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは北日本勢が5人で結束。松川は先行が得意というタイプではないですから,嵯峨の先行が有力で,よほどのことがない限り優勝は北日本勢から出ると予測されました。松川が嵯峨を叩こうとしたので嵯峨は早めの発進に。それでも突っ張り切りましたので北日本勢には展開も有利に運びました。上位独占になったのは,嵯峨の頑張りが大きかったと思います。
『国家論Tractatus Politicus』の当該部分の記述から,スピノザが人間にとっての自由libertasをどう解しているか理解できます。いわずもがなかもしれませんがそれは,理性ratioに導かれる限りにおいての人間です。僕が能動的自由というタイプの自由がそれに該当するといっていいでしょう。ですから,現実的に存在する人間が,他者との関係性の中で自由を拡充していくための第一条件は,その人間が理性に従うということになります。よって自由の拡充を導くのは理性であるという浅野の指摘は,妥当なものであることになります。
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第四部公理は,現実的に存在するどのような個物res singularisに対しても,より有力な個物,つまりより強い力potentiaを有する個物が存在するといっています、そして現実的に存在する人間というのもひとつの個物であるわけですから,第四部定理系にあるように,現実的に存在する人間は,程度の差はあるにしても,常に受動passioに隷属することになるのです。しかし,ある個物Aとそれとは別の個物Bとの関係を抽出したとき,その関係が常に個物Aの力を減少させるとか,逆に常に個物Bの力を減少させるというわけではありません。この関係が個物Aの力を増大させる場合もあり得ますし,個物Bの力を増大させるという場合もあり得るのです。そしてこのことは,現実的に存在するある個物と,同様に現実的に存在する別の個物が関係する場合には,常に適用されます。なので一般的にいえば,自然Naturaのうちには無限に多くのinfinita個物が現実的に存在しますから,あるひとつの現実的に存在する個物は,現実的に存在するほかの個物から様ざまな働きを受けるpatiことになるのですが,その関係の中には,その個物の力を増大するような働きかけもあれば,力を減少するような働きかけもあることになります。その中から,現実的本性actualis essentiaを最も展開することができるようにするということが,人間的にいわれる自由なのであって,その第一条件が理性であることになります。他面からいえば理性とは,コナトゥスconatusを最も十全に展開できる状態を形作ることへと向かう思惟作用であるということになるでしょう。ただしその理性というのは,自由意志voluntas liberaに基づく思惟作用でないという点にはここでも注意が必要です。
新山がスタートを取って嵯峨の前受け。6番手に松川,8番手に岡田,最後尾に川口で周回。残り2周のホームから松川と坂本亮馬のふたりで上昇開始。嵯峨を叩きにいきましたが,嵯峨が突っ張りました。坂本亮馬は引いて単騎となった松川が再びバックから叩きにいって打鐘。しかしここも嵯峨が突っ張り,松川は不発。最後尾まで引いていた坂本亮馬はバックで内を進出していこうとしたものの進路を封じられました。単騎の岡田が外から捲っていきましたが前までは届かず。直線は番手有利に運んだ坂本貴史が差し切って優勝。新山が嵯峨と坂本貴史の中を割ろうとしたので坂本貴史の外にいった佐藤が半車身差で2着。新山は4分の3車輪差で3着。坂本貴史と佐藤の間に進路を取った山田も半車輪差の4着に続き,北日本勢で上位を独占。
優勝した青森の坂本貴史選手は6月の川崎のFⅠ以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは北日本勢が5人で結束。松川は先行が得意というタイプではないですから,嵯峨の先行が有力で,よほどのことがない限り優勝は北日本勢から出ると予測されました。松川が嵯峨を叩こうとしたので嵯峨は早めの発進に。それでも突っ張り切りましたので北日本勢には展開も有利に運びました。上位独占になったのは,嵯峨の頑張りが大きかったと思います。
『国家論Tractatus Politicus』の当該部分の記述から,スピノザが人間にとっての自由libertasをどう解しているか理解できます。いわずもがなかもしれませんがそれは,理性ratioに導かれる限りにおいての人間です。僕が能動的自由というタイプの自由がそれに該当するといっていいでしょう。ですから,現実的に存在する人間が,他者との関係性の中で自由を拡充していくための第一条件は,その人間が理性に従うということになります。よって自由の拡充を導くのは理性であるという浅野の指摘は,妥当なものであることになります。
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第四部公理は,現実的に存在するどのような個物res singularisに対しても,より有力な個物,つまりより強い力potentiaを有する個物が存在するといっています、そして現実的に存在する人間というのもひとつの個物であるわけですから,第四部定理系にあるように,現実的に存在する人間は,程度の差はあるにしても,常に受動passioに隷属することになるのです。しかし,ある個物Aとそれとは別の個物Bとの関係を抽出したとき,その関係が常に個物Aの力を減少させるとか,逆に常に個物Bの力を減少させるというわけではありません。この関係が個物Aの力を増大させる場合もあり得ますし,個物Bの力を増大させるという場合もあり得るのです。そしてこのことは,現実的に存在するある個物と,同様に現実的に存在する別の個物が関係する場合には,常に適用されます。なので一般的にいえば,自然Naturaのうちには無限に多くのinfinita個物が現実的に存在しますから,あるひとつの現実的に存在する個物は,現実的に存在するほかの個物から様ざまな働きを受けるpatiことになるのですが,その関係の中には,その個物の力を増大するような働きかけもあれば,力を減少するような働きかけもあることになります。その中から,現実的本性actualis essentiaを最も展開することができるようにするということが,人間的にいわれる自由なのであって,その第一条件が理性であることになります。他面からいえば理性とは,コナトゥスconatusを最も十全に展開できる状態を形作ることへと向かう思惟作用であるということになるでしょう。ただしその理性というのは,自由意志voluntas liberaに基づく思惟作用でないという点にはここでも注意が必要です。