第27回クラスターカップ。柴田善臣騎手が負傷したためリュウノユキナは村上忍騎手に変更。リメイクは競走除外で13頭。
ダンシングプリンスは躓いて3馬身の不利。ジャスティンが逃げて2番手にオーロラテソーロ。内から追い上げてきたダンシングプリンスが3番手になり4番手がリュウノユキナ。5番手のルチルクォーツまでは差がなく続きました。3馬身差でスティンライクビー。7番手にフィナルタ。8番手にカミノコ。2馬身差でクレールアドレ。10番手にナラ。11番手にマイネルヘルツアスで12番手にグレートコマンダー。最後尾にユアマイラブという隊列。前半の800mは34秒8のスローペース。
3コーナーを回ってリュウノユキナが外から3番手に。ここからジャスティン,オーロラテソーロ,リュウノユキナは雁行になり,ダンシングプリンスは4番手。5番手以下とは差がついてこの4頭の争い。直線に入るとすぐにオーロラテソーロが先頭に。追ってきたのはリュウノユキナでしたが並ぶところまではいかず,直線先頭のオーロラテソーロが優勝。リュウノユキナが1馬身差で2着。逃げ粘ったジャスティンが1馬身差の3着。発馬の不利が大きかったダンシングプリンスは5馬身差で4着。
優勝したオーロラテソーロは重賞初勝利。オープンは2勝していましたので,重賞で通用する能力はありました。このレースはダンシングプリンスの速力が上位だったのですが,発馬の不利が致命的。その他の馬ではJRAの3頭が上位だったのでその3頭の争いに。斤量では最も有利な立場でしたから,着差を考えるとほかの2頭よりも上位であったとはいいきれないように思います。
騎乗した鮫島克駿騎手と管理している畠山吉宏調教師はクラスターカップ初勝利。
ホッブズThomas Hobbesの政治論の形而上学的基礎は,人間の精神mens humanaと人間の身体humanum corpusは実在的にrealiter区別されるけれども,因果関係があるという点です。とはいえこれだけでその形而上学的基礎となっているわけではありません。デカルトRené Descartesの哲学では,身体と精神の間の因果関係のうち,精神が原因causaとなって身体が運動motusに決定されることが,倫理的目標となっています。あるいは同じことですが,人間の精神が能動actioという状態にあり,身体が受動passioという状態にあることを目指すのが,デカルトの哲学における倫理的目標となっています。このことは,理性ratioによって欲望cupiditasを抑制するということと同じ意味をもっています。自由論のところでいったように,スピノザの哲学では理性が直接的に欲望を抑制することはできないのですが,デカルトの哲学ではそれが可能になっているのです。それはデカルトが理性を精神に,欲望を身体に帰した上で,精神と身体との間に因果関係があるということを肯定しているからなのです。これを浅野は主客二元論といういい方で示していますので,ここでもそれに倣うことにします。デカルトの哲学が二元論であるのは間違いなく,スピノザの哲学が平行論といわれることがあるのは,それは二元論ではなく平行論であるという意味に解するのが最適でしょう。
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ホッブズはこの主客二元論を,自身の政治論の形而上学的基礎として利用しているというのがシュミットCarl Schmittの見解opinioでありまた浅野の見解でもあります。ホッブズは主権と民衆との関係を主体subjectumと客体との関係に置き換えます。すなわち主権というのがデカルトの哲学でいう精神に該当するもので,民衆がデカルトの哲学でいうところの身体に該当するという形でホッブズの政治論は構築されているのです。
ここではホッブズの政治論については探求しませんから,ホッブズの政治論の是非については考察しませんし,上述のような浅野やシュミットの見解の正当性についても判断を下すことはしません。ただ,デカルトの主客二元論を形而上学的基礎において政治論を構築すれば,そこでいわれているような政治論が完成をみるということは否定することはできないでしょう。その政治論そのものについて探求を続けます。
ダンシングプリンスは躓いて3馬身の不利。ジャスティンが逃げて2番手にオーロラテソーロ。内から追い上げてきたダンシングプリンスが3番手になり4番手がリュウノユキナ。5番手のルチルクォーツまでは差がなく続きました。3馬身差でスティンライクビー。7番手にフィナルタ。8番手にカミノコ。2馬身差でクレールアドレ。10番手にナラ。11番手にマイネルヘルツアスで12番手にグレートコマンダー。最後尾にユアマイラブという隊列。前半の800mは34秒8のスローペース。
3コーナーを回ってリュウノユキナが外から3番手に。ここからジャスティン,オーロラテソーロ,リュウノユキナは雁行になり,ダンシングプリンスは4番手。5番手以下とは差がついてこの4頭の争い。直線に入るとすぐにオーロラテソーロが先頭に。追ってきたのはリュウノユキナでしたが並ぶところまではいかず,直線先頭のオーロラテソーロが優勝。リュウノユキナが1馬身差で2着。逃げ粘ったジャスティンが1馬身差の3着。発馬の不利が大きかったダンシングプリンスは5馬身差で4着。
優勝したオーロラテソーロは重賞初勝利。オープンは2勝していましたので,重賞で通用する能力はありました。このレースはダンシングプリンスの速力が上位だったのですが,発馬の不利が致命的。その他の馬ではJRAの3頭が上位だったのでその3頭の争いに。斤量では最も有利な立場でしたから,着差を考えるとほかの2頭よりも上位であったとはいいきれないように思います。
騎乗した鮫島克駿騎手と管理している畠山吉宏調教師はクラスターカップ初勝利。
ホッブズThomas Hobbesの政治論の形而上学的基礎は,人間の精神mens humanaと人間の身体humanum corpusは実在的にrealiter区別されるけれども,因果関係があるという点です。とはいえこれだけでその形而上学的基礎となっているわけではありません。デカルトRené Descartesの哲学では,身体と精神の間の因果関係のうち,精神が原因causaとなって身体が運動motusに決定されることが,倫理的目標となっています。あるいは同じことですが,人間の精神が能動actioという状態にあり,身体が受動passioという状態にあることを目指すのが,デカルトの哲学における倫理的目標となっています。このことは,理性ratioによって欲望cupiditasを抑制するということと同じ意味をもっています。自由論のところでいったように,スピノザの哲学では理性が直接的に欲望を抑制することはできないのですが,デカルトの哲学ではそれが可能になっているのです。それはデカルトが理性を精神に,欲望を身体に帰した上で,精神と身体との間に因果関係があるということを肯定しているからなのです。これを浅野は主客二元論といういい方で示していますので,ここでもそれに倣うことにします。デカルトの哲学が二元論であるのは間違いなく,スピノザの哲学が平行論といわれることがあるのは,それは二元論ではなく平行論であるという意味に解するのが最適でしょう。
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ホッブズはこの主客二元論を,自身の政治論の形而上学的基礎として利用しているというのがシュミットCarl Schmittの見解opinioでありまた浅野の見解でもあります。ホッブズは主権と民衆との関係を主体subjectumと客体との関係に置き換えます。すなわち主権というのがデカルトの哲学でいう精神に該当するもので,民衆がデカルトの哲学でいうところの身体に該当するという形でホッブズの政治論は構築されているのです。
ここではホッブズの政治論については探求しませんから,ホッブズの政治論の是非については考察しませんし,上述のような浅野やシュミットの見解の正当性についても判断を下すことはしません。ただ,デカルトの主客二元論を形而上学的基礎において政治論を構築すれば,そこでいわれているような政治論が完成をみるということは否定することはできないでしょう。その政治論そのものについて探求を続けます。