スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

北条早雲杯争奪戦&公民

2022-08-28 19:37:26 | 競輪
 小田原記念の決勝。並びは郡司‐和田‐松谷‐佐藤の神奈川,深谷‐田中の南関東,浅井‐坂口の三重で清水は単騎。
 前受けは浅井。3番手に清水,4番手に深谷,6番手に郡司で周回。残り3周のバックの出口から郡司が上昇開始。この後のコーナーで田中が深谷に接触してしまい落車。過失走行で失格。ホームで郡司が浅井の前に出てペースダウン。この間に清水が内から上昇して郡司の前に。ペースが超スローだったのを見計らい,単騎となった深谷が外からかまし先行を敢行して打鐘。清水が2番手で追いましたが,超スローペースからの追い上げとなってしまったため,深谷との差が大きく開いてしまいました。第二先行になった清水の番手になった郡司がバックから発進したものの時すでに遅し。元のリードが大きかった深谷が優勝。郡司が7車身差で2着。郡司マークの和田が4分の3車輪差の3着で,和田の後ろを奪った浅井が半車身差で4着。
                                        
 優勝した静岡の深谷知広選手は先月の静岡のFⅠ以来の優勝。記念競輪は2017年9月の青森記念以来となる17勝目。小田原記念は初優勝。このレースは南関東が6人になったので,地元勢とそれ以外に分かれてのレース。先行しそうなのは深谷で,3番手にだれが入るかが注目でした。ところが田中が落車してしまったために深谷は単騎に。ほかの選手もそれを見ていたために,深谷の先行はなくなったとみて,ペースを落としてしまったのだと思います。ペースが遅すぎると一気にかまされたときには対応できませんので,そこを外からかましていった深谷がうまい走りをしての圧勝だったということになるでしょう。とはいえ深谷もそれほど隊列から離れていたわけではありませんから,ダッシュ力は素晴らしかったといえます。

 私見も述べましたので,『スピノザ〈触発の思考〉』の第6章に関連する考察は終了し,第7章に移ります。第7章の主題は三木清です。
 ご承知の方もいらっしゃるでしょうが,三木は一般的には思想的に転向した人物であるとみなされています。ごく簡単にいえば,日中戦争から第二次世界大戦へと至る日本という国家Imperiumに対して,批判的であったものが肯定的に変化して,その思想が戦前の体制を擁護しまた体制そのものから利用されるようになったという見方です。ただし浅野は三木の思想をそのような観点からは評価していません。それに対していえば,三木の思想は実際には終始一貫していたのであって,戦前の日本の国家体制と容易に結びつくものであったと浅野はみています。浅野はその理由として,三木の思想というのはマルクス主義というよりヘーゲル主義であった,他面からいえばマルクスKarl Heinrich Marxが否定したようなヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの思想についてそれを否定せず,むしろ深いレベルでそのヘーゲル主義を脱していなかったということをあげています。僕はここでは三木の思想については論じませんから,浅野の三木に対するそのような評価の妥当性の是非についても判断は保留しますが,もしも三木がヘーゲルの思想を深いレベルで脱していなかったのであるとすれば,そうした思想が当時の日本の国家体制と親和的になるであろうということは理解することができます。ヘーゲルの思想の中心をなすのは弁証法であって,そしてヘーゲル主義によれば,その弁証法の最終段階には国家があるからです。したがって現実的に存在する人間は,観念的な意味においてだけでなく,現実的な意味においても,国家に理念の実現を託すということになるでしょう。そのような人間のことを公民というとすれば,三木の思想は現実的に存在する人間が公民になることを最高の徳virtusとみなすような思想になるでしょう。そして浅野は,三木自身が思想的な観点,つまり観念的な意味だけでなく現実的な意味でも,そのような公民であろうとしたのだというように理解しています。つまり三木は思想としてだけではなく,実践として公民であることを目指したというのが,浅野の三木評の中心です。
コメント
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