25日に北國新聞会館で指された第49期棋王戦五番勝負第二局。
伊藤匠七段の先手で角換わり相腰掛銀。後手の藤井聡太棋王が6筋の位を取ったところで先手から猛攻する将棋になりました。

王手が掛かっているので受けるところ。実戦は☖7二銀でしたが,感想戦の内容では☖8二歩も有力だったようです。
☗8五桂に☖7四角と打つのが☖8二歩とはしなかった狙い。先手は☗7三桂成☖同角に☗9四龍と逃げたのですが,☖8四歩と打たれて攻めが簡単には続かなくなってしまいました。

龍を逃げずに☗5三金が有力で☖同王☗7二龍なら攻めが途切れてしまうことはなかったようです。
藤井棋王が勝って1勝1持将棋。第一局が指し直し局なしで完結ということなので,来月3日に指される予定の第三局は藤井棋王の先手となります。
我思うゆえに我ありcogito, ergo sumという命題と,それに関連する確実性certitudoを中心とした概念notioに関する考察はこれで終了です。次の探求に移ります。
『スピノザー読む人の肖像』の第1章では,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』に関連する論考が,ニュートンIsaac Newtonの物理学と関連して説明されています。これは考察というほどのものではないのですが,物事の考え方として興味深い点が含まれていますので,このブログでも紹介しておくことにします。
『デカルトの哲学原理』の第二部定理三に,真空vacuumが存在することは矛盾であるというものがあります。これは『哲学原理Principia philosophiae』では第二部の十六,十七,十八でデカルトRené Descartesが主張していることです。つまりデカルトは真空の存在existentiaを否定しているのであって,そのことをスピノザはこの定理Propositioとして示しているわけです。
ただし気を付けておかなければならないのは,ここでいわれている真空というのは,僕たちが通常の意味で使用する真空とは意味が違います。僕たちは真空ということで,空気が存在しない空間のことを意味しようとしますが,デカルトが『哲学原理』でいっているのは,そのような意味での真空が存在しないということではありません。『デカルトの哲学原理』では,真空が物体的実体substantia corporeaがない延長Extensioとされています。これは第二部定義五で定義されていますので,公理系で示されている『デカルトの哲学原理』では変更のしようがありません。そしてデカルトは,物体あるいは物質の本性essentiaは延長に属するのであって,それ以外のものには属さないといっています。こちらは『デカルトの哲学原理』では第二部定理二で論証されています。これは『哲学原理』では第二部の四と九で言及されています。つまりこれらはすべてデカルトの思想に合致しているのであって,スピノザが自身の考え方を示しているわけではありません。
真空が物体的実体がない延長で,物体の本性が延長だけに属するのであれば,真空は物体がない物体を意味することになります。だから自己矛盾だとデカルトはいいます。ただこれは僕たちには理解しにくいでしょう。デカルトは空間と物体は同一だと考えますので,物体がない空間が真空だと理解するのがよいと思います。
伊藤匠七段の先手で角換わり相腰掛銀。後手の藤井聡太棋王が6筋の位を取ったところで先手から猛攻する将棋になりました。

王手が掛かっているので受けるところ。実戦は☖7二銀でしたが,感想戦の内容では☖8二歩も有力だったようです。
☗8五桂に☖7四角と打つのが☖8二歩とはしなかった狙い。先手は☗7三桂成☖同角に☗9四龍と逃げたのですが,☖8四歩と打たれて攻めが簡単には続かなくなってしまいました。

龍を逃げずに☗5三金が有力で☖同王☗7二龍なら攻めが途切れてしまうことはなかったようです。
藤井棋王が勝って1勝1持将棋。第一局が指し直し局なしで完結ということなので,来月3日に指される予定の第三局は藤井棋王の先手となります。
我思うゆえに我ありcogito, ergo sumという命題と,それに関連する確実性certitudoを中心とした概念notioに関する考察はこれで終了です。次の探求に移ります。
『スピノザー読む人の肖像』の第1章では,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』に関連する論考が,ニュートンIsaac Newtonの物理学と関連して説明されています。これは考察というほどのものではないのですが,物事の考え方として興味深い点が含まれていますので,このブログでも紹介しておくことにします。
『デカルトの哲学原理』の第二部定理三に,真空vacuumが存在することは矛盾であるというものがあります。これは『哲学原理Principia philosophiae』では第二部の十六,十七,十八でデカルトRené Descartesが主張していることです。つまりデカルトは真空の存在existentiaを否定しているのであって,そのことをスピノザはこの定理Propositioとして示しているわけです。
ただし気を付けておかなければならないのは,ここでいわれている真空というのは,僕たちが通常の意味で使用する真空とは意味が違います。僕たちは真空ということで,空気が存在しない空間のことを意味しようとしますが,デカルトが『哲学原理』でいっているのは,そのような意味での真空が存在しないということではありません。『デカルトの哲学原理』では,真空が物体的実体substantia corporeaがない延長Extensioとされています。これは第二部定義五で定義されていますので,公理系で示されている『デカルトの哲学原理』では変更のしようがありません。そしてデカルトは,物体あるいは物質の本性essentiaは延長に属するのであって,それ以外のものには属さないといっています。こちらは『デカルトの哲学原理』では第二部定理二で論証されています。これは『哲学原理』では第二部の四と九で言及されています。つまりこれらはすべてデカルトの思想に合致しているのであって,スピノザが自身の考え方を示しているわけではありません。
真空が物体的実体がない延長で,物体の本性が延長だけに属するのであれば,真空は物体がない物体を意味することになります。だから自己矛盾だとデカルトはいいます。ただこれは僕たちには理解しにくいでしょう。デカルトは空間と物体は同一だと考えますので,物体がない空間が真空だと理解するのがよいと思います。