17日と18日に湯の川温泉で指された第65期王位戦七番勝負第二局。
渡辺明九段の先手で相掛り。後手の藤井聡太王位が縦歩取りの要領で一歩を得する将棋になりました。
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第1図から後手は☖2五銀と出て☗2八飛に☖3四銀と引きました。これは再び☗2六飛なら☖2五銀と出て千日手にしようという狙い。後手で千日手は悪くありませんが,裏を返せば千日手を狙うほかなくなっている局面ともいえ,ここまでの手順が万全ではなかったかもしれません。
先手は☗7四歩と打って打開しにいきました。後手にとっては予想外の手だったようです。1時間9分考えて☖3七歩成☗同銀と成り捨てて☖3八歩と打ちました。
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ただこれは反撃として弱かったようです。先手は52分考えて☗3五歩と打ちました。以下は一方的に先手が攻め勝っています。後手にとって不出来な将棋だったという印象で,そこを先手がうまく衝いたという一局でした。
渡辺九段が勝って1勝1敗。第三局は30日と31日に指される予定です。
現実的に存在する個々の人間には,それぞれに固有の本性essentiaがあります。このことは第二部定義二から明らかだといわなければなりません。この定義Definitioによれば事物とその本性は一対一で対応し合うことになります。ですからもし現実的に存在するAという人間とBという人間の現実的本性actualis essentiaが一致するなら,AとBは同じ人間であるということになってしまいます。しかしこれほど不条理なことはありません。したがってAの現実的本性とBの現実的本性は異なります。このことがすべての人間に妥当します。よって現実的に存在する個々の人間に,その人間に固有の現実的本性があるのであって,同一の現実的本性を有する複数の人間は存在しません。
第四部定理一八備考がいっているのは,それぞれ固有の現実的本性を有する人間が各々の仕方で,各々の本性に則したとしても,有徳的である限りでは理性ratioに従うことになるということだと國分は指摘します。理性は人間を巡る一般的な法則ですが,その法則に従うのではなく,あくまでも各々の人間が各々の人間に固有の現実的本性に,各々の仕方で従っているという点が重要です。これは僕が前もっていっておいたことでいえば,理性に従うということあるいは同じことですが有徳的であるということは,各々の人間が自身に固有の現実的本性を正しく認識して行動することの帰結であるということと関係しています。
このような人間がどのように振る舞うのかということが,同じ備考Scholiumの中に示されています。
「理性に支配される人間,言いかえれば理性の導きに従って自己の利益を求める人間は,他の人々のためにも欲しないようないかなることも自分のために欲求することがなく,したがって彼らは公平で誠実で端正な人間であるということになる」。
この部分で重要なのは,自分がされたら嫌なことを他人に対してもしないとはスピノザはいわず,他人がされたら嫌なことを自分にもしないとスピノザがいっている点だと國分は指摘しています。これはまさにその通りであって,だからスピノザは自己の利益suum utilisというのをこの備考の中で,また第四部定理二〇や第四部定理二四でいっているということができるでしょう。
渡辺明九段の先手で相掛り。後手の藤井聡太王位が縦歩取りの要領で一歩を得する将棋になりました。
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第1図から後手は☖2五銀と出て☗2八飛に☖3四銀と引きました。これは再び☗2六飛なら☖2五銀と出て千日手にしようという狙い。後手で千日手は悪くありませんが,裏を返せば千日手を狙うほかなくなっている局面ともいえ,ここまでの手順が万全ではなかったかもしれません。
先手は☗7四歩と打って打開しにいきました。後手にとっては予想外の手だったようです。1時間9分考えて☖3七歩成☗同銀と成り捨てて☖3八歩と打ちました。
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ただこれは反撃として弱かったようです。先手は52分考えて☗3五歩と打ちました。以下は一方的に先手が攻め勝っています。後手にとって不出来な将棋だったという印象で,そこを先手がうまく衝いたという一局でした。
渡辺九段が勝って1勝1敗。第三局は30日と31日に指される予定です。
現実的に存在する個々の人間には,それぞれに固有の本性essentiaがあります。このことは第二部定義二から明らかだといわなければなりません。この定義Definitioによれば事物とその本性は一対一で対応し合うことになります。ですからもし現実的に存在するAという人間とBという人間の現実的本性actualis essentiaが一致するなら,AとBは同じ人間であるということになってしまいます。しかしこれほど不条理なことはありません。したがってAの現実的本性とBの現実的本性は異なります。このことがすべての人間に妥当します。よって現実的に存在する個々の人間に,その人間に固有の現実的本性があるのであって,同一の現実的本性を有する複数の人間は存在しません。
第四部定理一八備考がいっているのは,それぞれ固有の現実的本性を有する人間が各々の仕方で,各々の本性に則したとしても,有徳的である限りでは理性ratioに従うことになるということだと國分は指摘します。理性は人間を巡る一般的な法則ですが,その法則に従うのではなく,あくまでも各々の人間が各々の人間に固有の現実的本性に,各々の仕方で従っているという点が重要です。これは僕が前もっていっておいたことでいえば,理性に従うということあるいは同じことですが有徳的であるということは,各々の人間が自身に固有の現実的本性を正しく認識して行動することの帰結であるということと関係しています。
このような人間がどのように振る舞うのかということが,同じ備考Scholiumの中に示されています。
「理性に支配される人間,言いかえれば理性の導きに従って自己の利益を求める人間は,他の人々のためにも欲しないようないかなることも自分のために欲求することがなく,したがって彼らは公平で誠実で端正な人間であるということになる」。
この部分で重要なのは,自分がされたら嫌なことを他人に対してもしないとはスピノザはいわず,他人がされたら嫌なことを自分にもしないとスピノザがいっている点だと國分は指摘しています。これはまさにその通りであって,だからスピノザは自己の利益suum utilisというのをこの備考の中で,また第四部定理二〇や第四部定理二四でいっているということができるでしょう。