スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スポーツニッポン賞鎌倉記念&スピノザの認識

2024-10-10 19:02:04 | 地方競馬
 北海道から1頭,高知から1頭が遠征してきた昨晩の全日本2歳優駿トライアルの第23回鎌倉記念
                            
 内の各馬の出方をみつつベアバッキューンがハナに立ち,2番手にミランミラン。3番手はハセノブライアンとゴールドモーニン。2馬身差でケンシレインボー。3馬身差でジャガーノート。4馬身差でレッドサラマンダーという隊列で発馬後の正面を通過。そのままベアバッキューンは飛ばしていき,向正面ではリードが3馬身くらいに開きました。前半の800mは52秒8の超スローペース。
 向正面で一旦はゴールドモーニンが単独の3番手になりましたが,ケンシレインボーが差を詰めていき,3番手に。直線の入口でもベアバッキューンのリードは3馬身。ミランミランとケンシレインボーの差は2馬身ほど。ゴールドモーニンがさらに2馬身差の4番手。直線に入るとベアバッキューンが後ろとの差を広げる一方となり,2秒2もの差をつける圧巻の逃げ切り。ミランミランが2着を死守し,ケンシレインボーが2馬身半差で3着。
 優勝したベアバッキューン若武者賞に続いて南関東重賞2勝目。デビューからの連勝を4に伸ばしました。このレースは例年は北海道から複数の馬が参戦してきて好走するのですが,今年は1頭だけ。それはおそらくベアバッキューンが強いとみられていたためで,その下馬評通りの圧勝。まだ逃げる競馬しかしていない点は不安ですが,このスピード能力ですから全日本2歳優駿でも有力でしょう。勝ち負けするにはもう少しタイムを詰める必要があると思いますが,このレースは超スローペースでしたから,それも可能ではないでしょうか。父はモズアスコット。母の父はネオユニヴァース
 騎乗した川崎の町田直希騎手は若武者賞以来の南関東重賞15勝目。鎌倉記念は初勝利。管理している川崎の鈴木義久調教師は南関東重賞2勝目。鎌倉記念は初勝利。

 スピノザとウリエル・ダ・コスタUriel Da Costaの間に本当に面識があったかどうかは分かりません。ただ,仮に会ったことがなかった場合でも,ダ・コスタはスピノザのことを知らかったとしても,スピノザがダ・コスタを知らなかったということはあり得ないでしょう。もちろんそれは,単にダ・コスタという人間がいたということを知っていたということではなくて,ダ・コスタがかつて破門宣告を受け,その宣告を解いてもらうために屈辱的な儀式を行った後で,自殺をした人間であるということを知っていたという意味です。
 ファン・ローンJoanis van Loonの『レンブラントの生涯と時代The life and times of Rembrandt』の中に,メナセ・ベン・イスラエルMenasseh Ben Israelがスピノザに対して,第二のアコスタになるのかと怒鳴りつける場面があります。これに対してスピノザは,ウリエルの後を追うつもりはないと答えています。この部分は実際にあった出来事であるとはいえない面があるのですが,ファン・ローンがこのように記しているということは,スピノザがダ・コスタのこと,とくに末路を知っていたことを前提しているからです。いい換えれば,スピノザがダ・コスタのことを知っているということは,当然視されていることになります。
 スピノザが死んだとき,呪詛されるべきスピノザの死をアムステルダムAmsterdamのユダヤ人のだれかが知ったとしたら,それは瞬く間にその共同体の中に広まったであろうから,レベッカRebecca de SpinozaやダニエルDaniel Carcerisもそのことを知ったであろうと僕はいいました。これはアムステルダムのユダヤ人共同体というのがそれほど大きな共同体ではなかったがゆえのことです。だからこのことはダ・コスタの破門や自殺についても同じことがいえるのであって,このことはアムステルダムのユダヤ人共同体に住んでいた人なら,だれでも知っていたであろう出来事だと解するのが適切です。なのでたとえスピノザとダ・コスタの間には面識はなかったとしても,スピノザがダ・コスタのことを何も知らなかったということはあり得ないというべきでしょう。
 さらにいうと,このことは単にアムステルダムのユダヤ人共同体に住んでいた人だけに周知の出来事だったというわけではなく,オランダ人にもおそらく同様でした。
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